第9話 兄・トレイク
グイファスの生活に必要なものを一通り揃え、彼に渡した後、メレンケリは軍事警察署の入口に腰を下ろしてた。足を抱え込み、ため息をつく。
「はあ……」
その時、自分だけが急に陰になったので上を見上げる。するとそこには、兄のトレイクが立っていた。
「お兄ちゃん……」
「どうした、こんなところに座って、ため息なんかついてさ」
トレイクは何段にも重なったトレイを抱え、妹を見下ろす。彼はパン屋で働いており、昼時になるとこうやって配達に回る。兄からは、香ばしいパンの良い香りがした。
「別に、なんでもないわ」
「そんなことないだろ」
「……」
妹が何も答えなくなるので、トレイクは仕方なく彼女の脇を通って、建物の中に入る。すると、誰かに会ったのだろう。トレイクはいつもの張りのある声で、気持ちのいい営業をしている。
(お兄ちゃんはいいな……)
人々に好かれる仕事をしている。
だが彼は、メレンケリの仕事を羨ましがっていた。
「お給料、俺の三倍だぞ。絶対そっちの方がいいって!」
そう言って笑う。
だが、真実を言わない男たちを石にして、誰に好かれるというのだ。
メレンケリは、手袋をした自分の右手をじっと見た。
(まあ、この手でパンの生地を捏ねたら石になっちゃうもの……無理よね)
「はあ……」
メレンケリがため息をつく横に、トレイクが座った。
「ほら」
そして彼は彼女の目の前に、焼き立てのクリームパンを差し出した。
「お腹空いてるんだろ。これやる」
「……別に、お腹が空いているわけじゃないのよ」
「いいから、食べなって」
メレンケリは渋々と兄からクリームパンを手に取る。本当は食べるつもりはなかったのだが、兄が食べる様子をじっと見ているので仕方なく口にした。
「あっ……」
すると小麦の優しい香りが鼻を通り、クリームのほんのり甘い味が口に広がる。パンの生地とクリームの量が絶妙で、驚くほどおいしい。
「どうだ、美味いか?」
トレイクはメレンケリの顔をそわそわした様子で覗き込む。
メレンケリは何度か、首を縦に振った。
「とっても美味しいよ、お兄ちゃん」
「だろっ!」
トレイクはにっと歯を出して笑う。まるで雲一つない晴れた空のように、清々しい笑顔だった。
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