第21話 お使いとチーズケーキ

 ついにソシャゲでバレンタインイベントが始まってしまい、刻一刻とその時が近づいているのを実感させられる、そんな日曜日。

 この前小梅先輩が引いてくれた最高レア度のキャラが強すぎて、イベントも順調に進めることが出来ている。まあそのキャラがいなくても、俺には最高の相棒がいるのだが。やっちゃえバーサーカー。

 せっせとイベントを周回して、女性キャラから順調にチョコレートを貰うのは楽しいが、残念ながらそれは中断せざるを得なくなった。

 母親から洗剤がなくなったからと、お使いを頼まれたのである。しかもご丁寧に、商品の指定までしてきやがった。休日を潰した母親は絶対許さない。

 というわけで、洗剤求めて三千里。嘘、数百メートルくらいしかない。一里もねぇじゃん。

 自転車を飛ばして最寄りのスーパーに入ったが、なんとツイてないことにそこは売り切れ。まあ、ここまでならなんとか予想の範囲内だ。うん、よくあることだし。

 だがその後、他のスーパーや薬局を回っても見当たらず。さすがの俺も、穏やかな心を持ちながら怒りに目覚めてしまうところだった。五人くらい集めてゴッドになってやろうか。

 家を出てから一時間。五軒目に入った駅前のモール内にある薬局で、ようやく目的のものを手に入れることが出来た。


「ツイてねぇなぁ……」


 洗剤が入った袋を右手にぶら下げながら、モールの駐輪場へ向かう。この洗剤、そんなに人気商品なの? 売り切れ四軒ってどう考えてもおかしいだろ。

 俺の不幸はついに因果律すら捻じ曲げることが可能になったのだろうか。

 しかし唯一の幸運と言えば、渡されたお金のうち、余ったおつりを俺の懐に収めてもいいというとこだろう。さすがお母様。息子のことを考えてくださってるんですね。大好き。

 我ながらひどい掌返しだ。オールフィクション作れちゃうレベル。


 さて。思わぬ臨時収入を得たわけだし、これを活用しない手はない。なにかしらの不幸が訪れるかも、なんてのは考えないようにしよう。いちいち警戒していたらきりがない。その時はその時の俺がどうにかしてくれるだろう。多分。

 結構自転車を漕いだから、それなりに疲れてるし小腹も空いてきた。家で昼飯食ってきたのに。

 日曜のこの時間は、どの店も大概混んでいるだろう。だが俺は、この近くでさっさと入れそうでその上美味しいケーキが置いてある喫茶店を知っている。


 モールから自転車で五分もかからないその喫茶店へ。どっかの誰かさんのお陰で、俺もすっかり甘党の仲間入りを果たしてしまった。そう考えると、つい苦笑が浮かんでしまう。

 大通りから外れた、細い路地の中。辿り着いたその喫茶店は、先日小梅先輩と来た時と同じく、どこか静謐な雰囲気を纏っている店構え。

 まるで、ここだけ世界から隔絶されているかのような。そう思わせるほど、この店は周囲の喧騒と程遠いなにかがある。

 さながら俺は、不思議の国に迷い込んだアリスと言ったところか。美味しいお菓子が置いてあるという意味では、ヘンゼルかもしれない。グレーテルがいないのは悲しいが、お菓子の家から出られない、なんてこともないだろう。

 自転車を店の前に止めてドアを開く。相変わらず閑散としている店内は、BGMにジャズを流していて。しかし、こういう場所特有の肩身の狭さは、不思議と感じられない。

 いらっしゃいませ、と声をかけて来たのは、先日のマスターではなく、180以上はあろう高身長の店員。見た感じ若く、夏目さんと同い年くらいに見えるから大学生だろうか。

 そしてその店員の目の前、カウンターに腰掛けている女性が、唯一の客だ。残念なことに、俺はその後ろ姿に見覚えがあった。


「小梅先輩」


 名前を呼べば、カウンターに座っている女性、白雪小梅先輩がこちらに振り返る。先輩は一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたが、すぐに穏やかな笑みへと変わった。


「こんにちは、葵君。奇遇だね」

「そうですね。先輩がここにいる可能性を考えなかったのは、ちょっと失敗でした」

「挨拶は?」

「コンニチハ」


 笑顔に凄みを持たせないで。怖いから。

 こっち座りなさい、と呆れたため息混じりに言った先輩は、どうやら読書をしていたようだ。手にはブックカバーのされた文庫本が。空き教室でもよくラノベを読んでいることがあるが、ブックカバーをしているのは初めて見た。だから、どんな作品を読んでいたのかは分からない。

 席に着いてから、店員に前と同じケーキセットを頼んだ。ケーキは日替わりっぽいから、今日はまた別のケーキが出てくるのかもしれない。


「ここのお店、気に入っちゃった?」

「ええ、まあ。この前のフルーツタルトは美味しかったですし。機会があればまた来たいと思ってたので」

「ならあたしか駒鳥ちゃんを誘いなよ」

「今日は本当にたまたまですよ。そこのモールまで買い物に来てたんで、そのついでです」


 文庫本をカバンにしまった先輩は、完全に俺と話す方へシフトしたらしい。そのまま静かに読書してもらってもいいんですよ。

 程なくして運ばれて来たケーキセット。カフェオレはホットで。今日はレアチーズケーキのようだ。早速フォークで一口。


「美味い……」


 思わず言葉が漏れてしまうほどに。この前のフルーツタルトも良かったが、今日のチーズケーキもかなり美味い。この店のリピーターになってしまいそうなくらい。

 続けてもう一口、二口と食べていると、隣から視線を感じた。フォークを動かす手を止めてそっちを見れば、ニコニコ笑顔の小梅先輩が。思ったよりも距離が近くて、咄嗟に顔を逸らしてしまった。


「なんですか……」

「ん? いや、美味しそうに食べるなーって思ってさ。ちょっと可愛かったよ?」


 ふふっ、と漏れ聞こえてくる鈴を転がしたような音に、顔が熱くなるのを自覚する。なにを今更その程度で、と思いもするが。理由なんて明白だ。

 あの空き教室以外の場所で、小梅先輩と二人。カウンター席だから仕方ないとはいえ、こんな近い距離で隣り合って座っていて。

 だったら、先輩の家に行った時のことを思い出してしまうのは、無理からぬことだろう。


「……あんまり年下揶揄ってると、そのうちバチ当たりますよ」

「えー、別に揶揄ってるわけじゃないよ。ちゃんと本心で言ってるんだから」


 余計タチ悪いわ……。


「葵君って面白いくらい運がないでしょ?」

「喧嘩売ってんのか?」


 突然なにを言いだすかと思えば、人の不幸を面白がらないでくれませんかね。

 だがそんな言葉とは裏腹に、先輩の笑顔は至極穏やかなものだ。こちらを揶揄うつもりなんて本当にないのだと、それを見ればすぐに分かってしまうくらい。


「そんな君は、自然と一人になってしまう。いえ、なろうとしてしまう、と言った方が正しいかしら。それが果たして、自分の不幸に周りを巻き込まない為か。もしくはその不幸を揶揄されないための自衛か。どちらかは分からないけれど」


 この人は一体、どこまで俺を見透かしているのだろう。

 深い蒼の瞳は、俺を捉えて離さない。そこから先輩の心情を推し量ることも出来なくて、けれど、その表情に見惚れてしまう。


「そんな考えを持ってるくせに、駒鳥ちゃんやあたしからは離れようとしない。そう言う矛盾したところが、可愛いって言ってるのよ」


 ああ、そう言えば。夏目さんにも、似たようなことを言われたか。思考と行動の矛盾。自覚がなかったわけじゃない。ただ、考えないようにしていただけ。


「……離れようとしても、あんたは離してくれないでしょ」

「そりゃもちろん。あたし、葵君も駒鳥ちゃんも好きだし。出来る限り三人でいたいから、当然じゃん」


 好き、と。その言葉に、心臓が跳ねる。別に、そういう意味で言ったわけではない。それは分かっている。分かっていても、どうしてか。

 考えないように、していたのに。核心には近づかないよう、注意していたのに。


「もう、時間もないからさ。ちょっとでも君達と一緒にいたいの」

「卒業しても、また集まればいいじゃないですか。卒業生が学校に来るのは珍しくないし、あの空き教室でだって、また三人で……」

「無理だよ、それは」


 小梅先輩の笑みに、影が差す。太陽のような輝きは失われて、それでもやはり、その魅力は衰えず。

 なにかを諦めたような、昏い笑み。

 いっそ泣き出してしまいそうなほどに。いや、あの時の泣き顔よりもひどく見えてしまう。


「あたしが遠くに行っちゃうとか、そういうんじゃないんだけどね。多分、あたしが卒業したら、もう会えないと思う」


 口に含んだカフェオレは、いつの間にかぬるくなっていた。乾いた唇をそれで潤し、なんとか言葉を絞り出す。


「そんなの、分かんないじゃないですか」

「分かるんだよ……分かっちゃうの、あたしには……だから、あたしはもっと、今を。三人でいる時間を大切にしたいの」


 笑顔は、崩れない。来た時のそれなんかとは似ても似つかない、無理矢理なものでも。小梅先輩は、笑ってみせている。


「さて。あたしはそろそろ行くね。この後用事もあるからさ。じゃあまた学校でね」


 立ち上がった先輩は店員に会計を頼み、そそくさと店を去ってしまった。店員となにか言葉を交わしていたが、席に座ったままの俺に詳しい話までは聞こえてこなかった。

 俺はなにも声をかけることが出来ず、ただ先輩の後ろ姿を見送るだけ。

 見えないフリをして。気づかないフリをして。だから、大切ななにかを零してしまう。

 きっと、今の短い時間の中で。俺はなにかを取りこぼしてしまったのだ。

 不幸だなんて関係ない。これは紛れもなく、俺自身の過失によるもの。

 向き合って、認めなければならない。

 胸の内に宿ってしまった、淡い感情を。

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