第16話 心配と形に残るもの

 俺はどうして、あんなことをしてしまったのだろう。

 思い出すだけで顔から火が出そうだ。冷静になってみたらおかしいだろ。なんで超絶美人の先輩女子に、自分の使ってたマフラー渡してんだよ。普通に考えてありえない。貸すならともかく上げるってどうよ。

 一夜明けて金曜日。そんなことを昨日の夜からずっと考えていたが、マジであの時の俺はどうにかしてた。本当に頭のネジがどっか飛んでしまったのかもしれない。

 てか、あれで素直に受け取っちゃう小梅先輩もどうなんだ。これで今日、やっぱり返すねとか笑顔で言われたら、俺は立ち直れる気がしないぞ。悲しみの向こう側を見ることになってしまう。


「寒い……」


 乾いた風が身を震わせる。マフラーがないだけでもこんなに違うものなのか。

 学校に到着し、とりあえずは温かい飲み物でも買おうかと寄った自販機。すっかりあの甘さの虜になってしまったカフェオレを買おうと思っていれば、同じタイミングで近くの扉が開かれた。


「あっ」

「……おはようございます」


 ツイているのか、いないのか。現れたのは、俺の中で絶賛嵐を巻き起こしている人。しんちゃんの映画くらい嵐巻き起こしてる。あれは呼んでるのか。

 ともあれ。現れた小梅先輩はやはり、その首にマフラーを巻いていて。カァーっと、顔が赤くなるのを自覚した。やばい、唐突に死にたくなってきた。

 改めて俺の使っていたマフラーを巻いている姿を見ると、謎の背徳感のようなものが駆け上がってくる。そんな俺が使ってた汚らしいマフラーより、彼女に相応しいものはもっとあるだろう。


「おはよっ、葵君」


 少しマフラーに顔を埋めた先輩が、笑顔で挨拶してくる。この人、絶対分かっててやってるだろ。

 だってほら、その笑顔の持つ意味が徐々に変わってきて、もはやニマニマとかそんな擬音が相応しいものになっているのだから。


「ふふふっ、相変わらず可愛いわね。自分のだったマフラーを巻いてる美少女。そんなに興奮する?」

「自分で美少女とか言っちゃうイタい人に興奮とか、するわけないじゃないですか」

「あら残念」

「そっちこそ、俺のマフラーで変なことしてないでしょうね。いや、今はもう先輩のだから、なにしようが俺に咎める権利なないわけですけど」

「……」

「あの、黙らないでくれません……?」

「えっ? あ、いや、別になんにもしてないよ? うん。なにもないなにもない。こんな純粋な目をした美少女が変なこととか、するわけないじゃん?」


 その純粋な目とやらを逸らしながら答えた。この人、昨日の自分の発言覚えてないのかな? てかなに、マジでなんかしたの? なんかってなんだよ。

 まあ、そのあたりは追求しないでおこう。藪を突いてヤマタノオロチとか出てきたらどうしようもないし。


「それより、葵君なに飲むの? どうせだから先輩が奢ってあげよう」

「んじゃお言葉に甘えて、先輩と同じので」

「ほいほーい」


 いつものカフェオレを二本購入した小梅先輩から、そのうち一本を受け取る。

 缶の熱で暖を取りつつも、プルタブを開けて喉を潤した。相変わらず甘い。


「それにしても、駒鳥ちゃんがその傷みたら、なんて言うだろうねー」

「めちゃくちゃに心配されるのは間違いないです」


 一晩で傷が完治するわけもなく、今の俺はデコの辺りに絆創膏を貼っている。以前にも何度か顔の辺りを怪我してこんな状態になったことはあるが、その時はいずれも小鞠にめちゃくちゃ心配された。

 心配してくれるのは嬉しいのだが、本当いい加減慣れて欲しいとも思う。と言うのは、無茶な話か。


「でも、君も気をつけなよ? 怪我するのは慣れてるんだろうけど、あたしや駒鳥ちゃんからしたら怖くて見てらんないんだから」

「これでも気をつけてるつもりなんですけどね。それでも降り掛かる不幸には、対処のしようがないんですよ。なにせ、俺の意思が及ばないところからですから」

「それでも、よ。自分の傷に無頓着なのは、よくないことだもの」


 無頓着というわけでもないのだが、この人からするとそう見えるという話だろう。しかし実際、どこかで諦めにも近い感情を抱いているのはたしかだ。

 俺はそういう星の元に生まれてしまったのだから、仕方がないのだと。


「ま、とりあえずは駒鳥ちゃんに怒られて来なさい」

「いや、俺はなんも悪くないんですけどね」

「いつも心配掛けてるんでしょ? なら怒られて当然よ」

「いてっ」


 軽くデコピンされた。しかも絆創膏の上を。攻撃箇所に性格の悪さが滲み出てる。


「じゃ、また昼休みにね」


 そして小梅先輩は、こちらに文句を言う隙も与えず、買ったカフェオレを持って校舎の中へと去っていった。

 昨日のハイキックに比べたら、デコピンなんて可愛いものだと思うことにしよう。

 ハイキックといえば。下着見たこと謝るの忘れてた。いや、言うとするならお礼か? まあ仮に言ったとしたら、今度こそ本当に蹴られそうなもんだが。







「全くもう、葵くんはもっと自分の身を大事にしてください!」

「いやだから、別に大した怪我でもないんだって」


 案の定と言うべきか。昼休みになり空き教室へ向かう最中、小鞠から怒られる羽目になってしまった。

 教室では自重していたというか、そもそも人前でこんな大きな声を出すのが恥ずかしいからか、昼休みになるまで我慢していたみたいだが。朝教室に入った時なんか、めちゃくちゃ睨まれたし。まあ、怖くなかったどころか可愛かったんだけど。


「それに、頼ってくださいって言ったじゃないですか……」

「……悪い」


 まるで自分の身に起きたことのように、小鞠は悲痛な表情を浮かべる。

 昨日は頼れるような状況じゃなかったとか、あんな暴力沙汰に巻き込むわけにはいかないとか、言い訳はいくらでも思いついたが。その顔を見れば、何も言えなくなってしまう。


「私は、葵くんになにか不幸なことが起きたら、それを一緒に解決したいって、力になりたいって思うんです。白雪先輩と違って、私なんかじゃ出来ることも限られてますけど、でも、私は……」


 その先が紡がれるよりも前に、目的地に到着した。小鞠は口を閉ざしてしまって、それ以上なにかを話そうとはしない。

 なにを言われるにしても、今回の件は完全に俺の不注意だ。分かっていたこと、予想できたことではあったのに、それでも実際に事が起こるまで、どこか現実感がなかったから。


「……入りましょうか。白雪先輩が待ってますから」

「そうだな」


 困ったように笑いながら、小鞠が開いた扉の先。いつもは机の上に堂々と座っている小梅先輩は、そこにいなかった。

 いや、教室内にはいたのだが、完全に予想していなかった体勢で。つまり、なんとあの小梅先輩が椅子にちゃんと座って、あろうことか机に上体を突っ伏して眠っていたのだ。


「寝てる?」

「みたいですね……」


 その光景に若干驚きながらも、小鞠と二人で先輩の元へ歩み寄る。室内は暖房が効いてるのに、先輩はマフラーを巻いていて、未だ慣れない俺はまた顔が熱くなる。

 しかし、こうして見ると本当に可愛い顔してると思う。寝顔も至極穏やかなもので、本当気持ちよさそうに寝ていやがる。

 今更ながら、小梅先輩はとても顔がいい。そんな美人と接点を持つことになるなんて、昔の俺に言っても信じてはくれないだろう。

 小鞠も俺と同じ感想を抱いているのか、先輩の寝顔を惚けた表情で眺めている。でもこの人、こんな可愛い顔して下着は黒なんだぜ。


「でも、葵くんだけずるいです」

「へ? なにが?」


 突然の発言に、思わず首を傾げてしまう。もしかして、俺だけこの人の下着見たのずるいとか? いや、小鞠はそれ知らないはずだし。

 知ってたらやばいけど。小鞠に軽蔑されたら生きていけない自信あるぞ。


「マフラーですよ。葵くんだけそんな、白雪先輩に贈り物だなんて、ずるいです」

「いや、そうは言われてもな……」


 あのマフラーについてはそのうちなにか言われるとは思っていたが、まさかまさかの発言である。

 てっきり、小梅先輩にずるいと言うもんだと思っていたが。うわ、なんか自意識過剰みたいで気持ち悪いな俺。恥ずかしっ……。


「私もなにか、形に残る繋がりが欲しいんですけど……」

「なんでまた」

「だって、白雪先輩も、もう少ししたら卒業じゃないですか」

「ああ、そうだったな……」


 もっと先のことだとばかり思っていたが、卒業式は二月の終わりだったはず。もう一ヶ月しかないのだ。

 後一ヶ月経てば、ここに先輩は来なくなる。その前に、形に残る繋がりが欲しいと、小鞠は言う。

 まだ出会って一週間とちょっと。少し早すぎる別れは、すぐそこに迫っている。


「んんっ……あれ、二人とも来てたんだ。おはよ」


 小梅先輩が目を覚ました。大きなあくびを嚙み殺そうともせず、グッと体を伸ばす。決して豊かとは言えない胸元が、それでも強調されてしまって、視線のやり場に困った。

 しかし、そうやって体を伸ばしたらちゃんと分かるもんなんだな。


「おはようございます、白雪先輩」

「もうおはようの時間じゃないですけどね。昼休みですよ」

「ありゃ、そんなに寝ちゃってたか」


 小梅先輩は、どう思ってるんだろうか。もう少しで卒業。俺たちとは会えなくなる。全くと言うわけでもないだろうが、この空き教室で会うことはなくなるだろう。


「いやぁ、昨日ゲームしてたら夜更かししちゃってさ」

「ダメですよ先輩。夜更かしはお肌の天敵らしいですから」

「大丈夫大丈夫。手入れは欠かしてないからね」


 そう言って笑う小梅先輩からは、卒業の寂寥感など微塵も感じなかった。

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