第14話 頼れる友達と存在証明
「ツイてねぇなぁ……」
ベッドの上で、思ってもないことを一人呟いてみる。口癖のようなものだ。なにかあったらつい発してしまう。
夏目さんの車で家まで送られてから、すでに数時間が経過している。晩飯も食い終わり、出された課題も全て終わらし、手持ち無沙汰な時間。
寝転がって天井を眺めるが、頭の中は色んなことで埋め尽くされて、パンク寸前だ。
小梅先輩の問題。俺がそれに対して、どうしたいのか。小鞠のことだって忘れてはいけない。
なにもかもが中途半端だ。答えを出しあぐねて、袋小路に迷い込む。
「本当、ツイてねぇ……」
覚悟は決めた。ただそれだけだ。どうしたいのか以前に、なにをすべきかも分からない。
だが、なにかをしなければならない。
曖昧な思考はいつしか睡魔によって霧散して、俺は夢の世界に落ちていった。
厄病神だと、誰かが石を投げつける。
いつの頃の話だったか、よく覚えていた。物心ついた時には、もうすでに自分が周りよりも不幸なんだと気がついていて。
だから、そう。これは小学生の頃。俺の周りにいる人間だけ、やけに傷つきやすかった。
近くに住んでいた一個上の男子は登った木から落ちて骨折したし、よく一緒に遊んでた友達は川で溺れて死にそうになったし、当時淡い恋心を抱いていた女の子は、図工の授業中に彫刻刀で手首をざっくり切っていた。
そう、ちょうどこんな感じで。
「え……?」
目を見開いて驚く。目の前には、手首から血を流した女の子が。周りにいる顔のよく分からない奴らは、俺に避難の視線を向けていることだけが分かる。
覚えている。小学生の頃と同じだ。これ以降俺は、周りから避けられるようになって。俺も周りから距離を取って。
でも、違う。そこにいたのは、あんたの筈がない。おかしいだろ。なんで、なんで小梅先輩が、そこにいるんだよ。
「もうあたしに、近づかないで」
嫌な夢を見た、気がした。
夢なんてのはとても曖昧で漠然としたものだから、目を覚ました頃にはどんな夢だったのかなんて覚えていない。だがなんとなく、嫌な夢だったのは覚えている。
兎に角今日の俺は、ひどく目覚めが悪かった。鏡で確認した顔は隈ができていて、小梅先輩から老けてる、なんて言われても仕方のないような顔だった。
「おはようございます、葵くん」
「あー……おはよう、小鞠……」
学校に向かう道すがら、小鞠に出会った。直接名前を呼ぶのはどうにも慣れなくて、少し声が小さくなってしまう。
だって女子の名前呼ぶのとか初めてだし。うわぁなにこれめっちゃ恥ずかしい。中学生かよおい。
だがそれは小鞠も同じなのか。目が合ったと思ったら直ぐに逸らされて、かと思えばこっちを上目遣いで見つめて、照れたようにはにかんだ。
文句なしに可愛い。
「えへへ、まだちょっと恥ずかしいですね……」
「まあ、そうだな……」
昨日は夏目さんから色んな話を聞かされて、帰ってからはツイてないだなんて嘯いていたが、昨日一日を振り返ってみれば、そんなことはない。
駒鳥小鞠と、今までよりも一歩だけ進んだ関係になった。
とても小さな一歩ではあるけど、きっと俺たちにとっては大きな一歩だ。それがどのような影響を及ぼすかは分からないが、それでも悪いことじゃないのは確かだろう。
「でも葵くん、今日はなんだか隈が凄いことになってますけど、ちゃんと寝たんですか?」
「いや、ちょっと考え事しててさ」
「……白雪先輩のこと、ですか?」
鋭い。もしくは俺が分かりやすいのか。
いや、そもそも俺が誰かのことを考えるなんて、小梅先輩か小鞠以外にいないのだが。だってそれ以外に誰もいないし。
そこで自分のことを挙げなかったのは、いつもの控えめで謙虚な性格ゆえ、と言うわけでもないのだろう。
「まあ、ちょっとな」
小鞠にも話そうかどうか悩んだ。しかし、これは俺の話ではなく、小梅先輩の話だ。俺が勝手に話していいことでもない。
なにより、小鞠を巻き込んでしまってもいいものなのか。この話は、恐らく俺の想像している何倍も根っこが深い。せっかく小梅先輩と仲良くなれたのだ。もしかしたら、俺が何か失敗して、小鞠と先輩の仲が悪くなる、なんて可能性も考えられる。
どうするべきかと考えていると、羽織ってるコートの裾が控えめに引っ張られた。
「その、白雪先輩のことでなにがあったのかは聞きませんけど……でも、私になにかお手伝いできることがあれば言ってくださいね。葵くんの助けになるなら、私、なんでもしますから」
力強い声音は、あの小鞠がとても頼もしく思えてしまうほどで。
「ありがとう。いつかちゃんと、頼らせてもらう」
「はいっ!」
この子が友達で、本当に良かった。
さて。とは言ったものの。まずはなにをどうするべきか、全く決まらないまま昼休みになったわけだが。
「葵君さ、昨日お兄さんとお姉ちゃんから色々聞いたでしょ」
恒例となりつつある、空き教室にて三人での昼食。久しぶりに食す母親の弁当を、思わず落としてしまいそうになった。ていうか落とした。弁当箱の上に。
「な、なんのことですか……?」
「目を逸らしながらそんなこと言うのは、肯定してるのと同じだって知っといたほうがいいわよ」
そんな怖い目と合わせろって方が無理なんですが。
怒っている、訳ではなさそうだが。小梅先輩の纏う雰囲気は、鋭利な刃物を思わせるそれに変化している。口調も少し大人びたものに変わっているから、年上モードで真剣な話なのだろう。
小鞠はなんの話か分かっていないみたいで、疑問符を頭の上に浮かべながら俺と先輩を交互に見ていた。
「……昨日、たまたま夏目さんに助けられたんですよ。そしたら聞いてもないのに、ペラペラと全部話してくれましたね」
「そう……あまり知られたい話でもなかったのだけれど、まあ仕方ないわね」
ため息を一つこぼした小梅先輩を見ていると、昨日夏目さんから聞いてしまったのが申し訳なく思ってしまう。
たしかにあんな話、進んで人に聞かせようとは思えないだろう。しかも、自分からではなく別の誰かから。
「あの、さっきから話が見えないんですけど……」
「駒鳥ちゃんはいなかったって言ってたわね。一人だけ知らないのも不公平だし、教えてあげる」
そして、小梅先輩は語り出した。自分と姉の過去。そして今。あのゴミ捨て場での出来事は伏せられていたし、夏目さんから聞かされた話とは若干の差異があったが、それは小梅先輩の主観を交えているからだろう。
しかし、どうしても違う点が一つ。
「別に、周囲からの期待なんてどうでも良かったのよね。たしかに、それに応えるのは気分がいい。なにせ待っているのは誰からも褒め称えられる賞賛の嵐。それを悪く思う人間なんていないわ。そもそも出来るからそうしていただけで、期待されなくても結果なんていくらでも出してたもの」
ただ鬱陶しいだけ。吐き捨てた言葉は、姉を思わせる無色透明。
あの二人は知っていたのだろうか。小梅先輩のこの心境を。
「でも実際のところ、綾ちゃん先輩が卒業してからは学校が面白くなくなったのも確かよ。あの人がいる時は本当に楽しかった。部活は違うのにいつも二人で残って練習して、たまの休日には遊びに出かけたりして。色々と話も聞いてもらってたっけな」
捉え方の問題だ。
夏目さん達や俺達から見る小梅先輩と、先輩自身が見る自分とでは、どうしようもない乖離がそこに存在している。
なら、どうして。どうしてそんなに。
「どうしてそんなに、頑張るんですか?」
問うたのは小鞠だった。弁当を食べる手も休め、俺の疑問を代弁したかのような言葉を口にする。
投げ出しても良かったはずだ。期待に応えるのは悪くないとは言っていたが、その口ぶりから察するに、そこに快楽を見出していたわけでもあるまい。
なのになぜ、小梅先輩はそんなにも頑張って、期待に応えて敵を作るのか。
「証明しないとダメなのよ。あたしは一人でも大丈夫だって」
これが夏目さんの言っていた、新たに発生した問題。その根源。
桜さんとずっと二人三脚のような状態だったから。その桜さんが一人立ちして、取り残された小梅先輩も、否応無く変化を求められる。
「どれだけ周囲に嫌われようが構わない。でも、お姉ちゃんとお兄さんに失望されるのは、イヤだから。だからあたしは、自分を証明するために頑張るの」
ああ、なるほど。これはたしかに、夏目さんや桜さんが誰かに託したい気持ちも分かる。こんな危なっかしい人、見てるだけなんて到底無理だ。
そしてこれが、行動と思考の矛盾というやつか。俺自身にその自覚はまだないが、身近な人がそうなっていると、随分わかりやすい。
「一人でも大丈夫って証明したいんなら、なんで俺たちと関わろうなんて思ったんですか? それなら、ずっと一人のまま卒業すれば良かったじゃないですか」
そして、俺と違って高スペックな完璧超人のこの人が、それを自覚していないわけがない。なにより、あの二人の妹で、あんな過去があるというのであればなおさらに。
「葵くんなら分かるんじゃない? 一人って、思ったよりも寂しいものだったのよね」
それは、小梅先輩が俺達に初めて見せた弱さだった。
いつもの元気な笑顔なんかと程遠い、どこか疲れたような笑顔。それを俺達に見せてくれていることが、どうしてか嬉しく感じてしまう。
それは小鞠も同じだったのだろうか、立ち上がって先輩の手を取る。
「大丈夫ですよ。今の白雪先輩には、私と葵君がいますから!」
「駒鳥ちゃん……」
「だから、一人でも大丈夫なんて言わないでください。たしかに白雪先輩は一人でなんでも出来るかもしれませんけど、それでも困った時は、私達がお手伝いしますから! ね、葵君!」
「まあ、そうだな……」
突然こちらに話を振られて、若干曖昧な答えを返す。俺なんかに出来ることなんて、たかが知れている。それどころか、俺と関わることで、俺の不幸に巻き込んでしまう可能性だってある。
でも。きっとこの人のあの願いは、先輩なりのSOSだったのだろうから。桜さんを知らない俺なら、小梅先輩をちゃんと、白雪小梅として見ることが出来ると、そう思ったがゆえのだろうから。
今みたいに、隣にいるくらいは、許されてもいいのかもしれない。
「ありがと、二人とも。でも……」
また、変わる。小梅先輩が纏う雰囲気が。その笑顔の持つ意味が。
やがて小鞠の手を離した先輩は、立ち上がったのち素早く俺の後ろに回り込む。突然の行動で二人揃ってなんの反応も出来ないでいれば、不意に背中へ襲ってくる、柔らかい感触。
「それとこれとは話が別。勘違いしないでもらいたいのだけれど、あの時の言葉は、なにも嘘じゃないのよ?」
小梅先輩が俺に、後ろから抱きついて来た。それを理解出来たのは、吐息と共にその言葉が耳朶をくすぐったから。
頬が触れ合いそうなほどに顔が近く、ギュッと優しく抱き締めるその感触に、ついに俺は箸を落としてしまった。
「だ、ダメですっ! 葵くんから離れてくださいっ!」
「えー。だってこの子、抱き締めたらちょっと気持ちいいんだもん。駒鳥ちゃんもどう? 試してみる?」
「えっ、いいんですか……?」
「待て落ち着け駒鳥。いいんですかじゃないから。よくないから。先輩もさっさと離れてくれませんかね」
「顔赤くして冷静装っても無駄だよー」
「……」
「あー可愛いなー!!」
ちょっとー、抱きしめる力強くなったんだけどー! 小鞠はなんかウズウズしてるし!
どうすればいいんだよこの状況……。普通に幸せを感じちゃってるあたり、この後に待ち受ける不幸がより怖くなってくるんだけど……。
「それより、二人ともいつの間に名前で呼び合うようになったのかな? ん? 言ってみ? お姉さんに教えてみ?」
「じゃあ取り敢えず離れろ」
「それはいやー」
てか、どうでもいいから弁当食わせてくれないかな。残したらお母様にめちゃくちゃ怒られるんで。
などと思っていたら、昼休み終了の予鈴が鳴ってしまった。
「あらら。今日はここまでかしら。あたしは先に教室戻るけど、どうする? 二人で授業サボって、ここでイチャイチャしてく?」
「しません!」
「……ていうか、今日は授業出るんですね」
「まあね。ほら、明日はセンター試験じゃない? 一応友達付き合いってのもあるから、ちゃんと叱咤激励してあげないとダメなわけ」
交友範囲が広いのも考えものだな。俺だったら気疲れしてしまうから、やっぱり友達いない方がいいわ。強がりとかじゃなくて。
「じゃ、お先ー」
軽い足取りで教室を出て行く小梅先輩。残された俺達は顔を合わせて、それからなぜか少し気恥ずかしくて互いに目を逸らしてしまう。あの人があんなことを言ったから、だろうか。
「お、俺達も教室戻るか。弁当はほら、放課後ここで食えばいいだけだし」
「そ、そうですね……あたしは部室で食べることにします……」
なんて短いやり取りを交わした後、二人で教室に戻ったのだが。
戻ってからも、やはり顔の熱が治る気配はなかった。
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