第10話 お弁当と俺の気持ち
小梅先輩とのデートから二日経ち、週が明けた月曜日。今日からまた金曜日まで、この寒空の下登校しなければならないと考えると、どうしても憂鬱な気分になってしまう。
夏と同じで冬も長期休みがあればいいと思うのは、俺だけじゃないはずだ。もっと暖かくなってから学校始めてもいいと思う。
さて。そんな週始めの今日だが、俺の頭を悩ませることが一つ。土曜日のあの別れ際からずっと、脳にこびりついて離れないこと。
いや、対して悩むようなことじゃないのかもしれない。人によっては、その程度のことか、と斬って捨てるだろうし、実際俺だってそうしたいところなのだが。
だって、ただ名前を呼ばれただけなのだ。本当になんてことない。親には毎日のように名前を呼ばれてる。確かに学校の知り合いに呼ばれたのは初めてだったが。
ならどうして、俺はこんなに頭を悩ませ、心を動かされてしまったのだろう。
ため息を一つ落とし、思考を中断させる。考えても仕方のないことだ。これ以上は無駄な労力を費やすだけ。そもそも今は昼休みなのだから、しっかりと休まねばなるまい。
それに、待ってると言われたのだから。あの空き教室に、向かわないとダメだろう。
昼飯のおにぎりが入った袋を持ち、教室を出る。木曜と金曜は母親が弁当を作ってくれるが、それ以外の日はお金を渡されるので途中のコンビニでおにぎりを買って来ている。親の仕事の都合だ。
何を買うのか考えるのも面倒なので、毎日鮭のおにぎりを二つだけ買っている。それによって浮いたお金を自分の懐に納めると言う寸法だ。お陰で財布の中は潤うが、やはり育ち盛りの高校生におにぎり二つだけはキツイものがある。身長全く伸びないけど育ち盛りなのだ。
あの時と同じ階段を使い、教室から第二校舎三階へ。その一番奥の教室の前に辿り着けば、中からなにやら話し声が聞こえてきた。
はて、小梅先輩以外にも誰かいるのだろうか。どんな話をしているのかまでは聞こえないから、念のためノックをしてみると、中から小梅先輩のどうぞー、という声が聞こえた。
扉を開けた先。小梅先輩と一緒にいたのは、意外や意外。我が友人である駒鳥だった。
「あれ、駒鳥? こっち来てたのか」
「はい。椿くんが来るかなーって」
教室で言ってくれれば、一緒にここへ向かったのに。だがまあ、友人だからといって駒鳥と教室内で話すかと聞かれれば、首を傾げざるを得ないのだが。話すっちゃ話すが、それでも多い方ではない。俺と彼女の交流は、その殆どが図書室の中で完結していたから。
どうやらそれも、先週までの話になりそうだが。
「やっほー葵君。こんにちは」
「……どうも」
駒鳥の対面、今までと同じく机の上に座っている小梅先輩。スカートの中が見えそうで危ないので、ちゃんと椅子に座って欲しい。
未だ慣れない、というか、今ので二度目の名前呼びに、出来る限り動揺を抑えて対応したのだが。やはり、小梅先輩には無意味のようで。
「わざわざ反応してくれるなんて、可愛いなぁ」
「男に可愛いなんて言っても喜びませんよ」
どうせならかっこよく見られたいのは、全国の男子共通だろう。
残った空いてる席、駒鳥の隣に腰を下ろせば、なにやらジトーッとした視線を感じる。その先に目をやると、ぷっくりと頬を膨らませた、いかにも不機嫌ですよオーラを醸し出してる駒鳥が。なんだそれ可愛いなおい。
「どうした?」
「いえ、なにも」
言葉とは裏腹に、駒鳥の不機嫌顔は戻らない。可愛いからいいと思いますけどね、ええ。
「それよりも。椿くん、今日もおにぎりだけですよね?」
「おう。いつも通りおにぎりだけだぞ」
「ならこれ、作って来たので食べてください」
一転して控えめな笑顔を浮かべた駒鳥は、俺の座っている方の机に、弁当箱を置いた。女子が食べるには少し大きいかと思われるくらいの大きさで、駒鳥の方には別の弁当箱が置かれている。
「作ってきたって、駒鳥が?」
「はい。椿くん、おにぎりだけじゃ足りないってこの前言ってたじゃないですか」
「いや、そうだけど、なんか悪いな……」
「いいんですよ。一人分も二人分も手間は変わらないので」
蓋を開ければ、見事な彩りのおかず達と白飯が。中には冷凍食品も混ざっているが、それでも美味しそうに見えてしまう。女の子の手作り弁当って時点でもう最高。
「ほえー。凄いね駒鳥ちゃん。もしかして、自分のやつも自分で作ってるの?」
「はい。一応、料理は得意なので」
「ね、ね、あたしにもちょっと頂戴?」
「これは椿くんのために作ったやつだから、白雪先輩はダメです」
「むぅ、ケチだなー」
ふと、違和感を覚えた。
果たして先週までの二人は、こんなフレンドリーな雰囲気で話をしていただろうか。少なくとも、多少険悪と言えるくらいの雰囲気だったはずだ。
であれば、俺が来る前になにか話して、それで少し仲良くなったとか。まあ、仲が悪いよりかはいい。俺の肩身の狭さ的にも。
そんなことはひとまず置いておいて、今は駒鳥が作ってきてくれた弁当だ。
「じゃあ、いただきます」
「はい」
どれから食べようかと少し悩み、まずは手作りであろう玉子焼きをパクリ。
横目に映った駒鳥は、少し不安そうにしている。
「……美味い」
「ほんとですか⁉︎」
その不安そうな顔が、パッと輝いた。眼鏡の奥の瞳は喜びに満ちていて、駒鳥にしては珍しく満面の笑みだ。
「本当だよ。もう毎日食べたいくらい」
「えっ」
「悪い今のなし」
見る見るうちに赤く染まる駒鳥の頬。笑みを浮かべていた顔は俯いてしまい、つられるようにして俺の顔も熱を帯びてしまう。
まあ、思わず失言してしまうほどに美味しかったということで、ここはどうか。
「その、椿くんさえよければ、月曜から水曜までは、毎日作って来ますよ……?」
願ってもない申し出だ。これで親から貰う千円を全て懐に入れることができる。しかし、さすがに駒鳥に悪いと言うか、手間は変わらないとは言っても、他人のためにそこまでの労力を使う必要もないだろう。
とは思いつつも、俯きがちに言ってきた駒鳥の言葉を無碍にすることも出来ず。
「……なら、お願いしようかな」
「はいっ……! 明日も楽しみにしててくださいね!」
「おう……」
目を細めた駒鳥に見られていると、なんだか妙な気恥ずかしさが襲ってくる。照れ隠しのように今度は唐揚げを口に入れた。どうやらこれは、冷凍食品のようだ。
「ちょっと二人ともー。あたしのこと忘れてなーい?」
「そういえば居ましたね」
完全に忘れてた。
「全く。イチャイチャするのはいいけど、時と場所は考えてよね」
「べ、別にっ! イチャイチャしてるわけでは……!」
「はー! 駒鳥ちゃんも可愛い反応してくれるなー!」
叫びながら駒鳥に抱きつく小梅先輩は、正直どう見ても変態にしか見えない。どんだけ美少女でも、行動一つでここまで見え方が変わってしまうものなのか。
駒鳥も抱きつかれて満更でもない表情をしているし、この二人は本当に仲良くなってるみたいだ。百合百合してるのはいいことだと思いますね、はい。
昼休みが終われば、当然のように午後の授業が始まる。先週釘を刺したお陰か、小梅先輩が暇つぶしにラインを送ってくるなんてことはなく、苦手な数学の授業を見事睡眠に当てることが出来た。駒鳥の弁当のお陰で腹が膨れていたから仕方ないのだ。
そしてやって来た放課後。駒鳥は部活なので、一人であの教室に向かうことになる。
いくら不幸な俺とはいえ、そう毎日のように不幸な目にあっているわけではない。週に一日くらいは、なにもない日だってあるのだ。そして恐らく、今週は今日がその日に該当するのだろう。どころか、駒鳥が弁当を作る約束をしてくれた、なんて幸運なことも起きている。
ちょっとくらい浮かれていても、仕方のないことだろう。
「随分と上機嫌だね」
「そう見えます?」
「そう見えるから言ったんだよ」
空き教室に辿り着いた俺へ、最初に掛けられた声がそれだった。
小梅先輩から渡された缶のカフェオレを喉に通す。最初に飲んだ時は甘ったるくて好きになれそうにもなかったが、数回しか飲まないうちに、気がつけばこの甘さがやみつきになってしまっている。
「そんなに駒鳥ちゃんの手作り弁当が嬉しいんだ?」
「否定はしませんよ。誰かが自分のために何かをしてくれるってのは、嬉しいことでしょ」
「それが誰でも?」
「もちろん人は選びますよ。俺を嫌ってるやつが、俺のためにイタズラを仕掛けるとか、そんなの喜ぶわけないし」
それもそうだ、とカラカラ笑ってる先輩は、本棚に置いてあったラノベを読んでいる。アニメの原作くらいしか読まない俺は知らないタイトルだ。
しかしこの人、本当椅子に座らないな。机は座る場所じゃないことを知らないのか疑うレベルで。もしかして、机の上に座ってるあたしカッコいいとか思っちゃってる痛い子なのだろうか。あり得そうで怖い。
「どうかした?」
「……いえ」
あまりにも不躾に視線を向けすぎたか、手元の本から顔を上げた先輩が、笑顔で尋ねてくる。どうにもその笑顔を直視出来なくて、思わず視線を逸らしてしまった。
ただ、聞きたいことなら一つあった。
「そういえば、駒鳥といつの間にあんな仲良くなったんですか?」
昼休み、駒鳥は小梅先輩に対しても笑顔を見せていた。仲良くなってるとは思ったが、想像以上に心を許しているようで驚いたのだ。
駒鳥は先輩のように、誰とでも仲良くなれる、なんて性格はしていない。小梅先輩みたいなリア充は、どちらかと言えば苦手にしていたはずだ。内気な彼女は、クラスの女子ともあまり話せていないらしいし。
果たしてどんな魔法を使ったのやら。
「別に、特別なことはなにもしてないよ。葵君が来る前に、ちょっとお話しただけ」
「お話って?」
「それは女の子の秘密ってやつ」
イタズラな笑みでウインクを返された。可愛いのが腹立つ。
しかし、そのお話の内容は気になるが、先輩と駒鳥が仲良くするのは悪いことではないはずだ。駒鳥は俺と同じで友達が少ないから、あわよくば小梅先輩が駒鳥の良き理解者になってくれるといいのだが。
「もしかして、嫉妬してるのかな? 唯一の友達があたしに取られるかもって」
「んなわけないでしょ。むしろ、先輩が駒鳥と仲良くしてくれるのは嬉しいですよ」
「ふーん」
その声に、温度らしきものは含まれていなかった。ただの相槌のはずだ。しかしそれ一つで俺の意識は小梅先輩に向けられ、嫌な鳥肌が立つ。
なにか、今の会話で彼女の琴線に触れるものがあったのだろうか。恐る恐る隣を見れば、まるで俺の全てを覗き込もうとする瞳とぶつかる。
やがて先輩が浮かべた笑みは、まるで俺を嘲笑うかのようで。
彼女の纏う雰囲気が、変わる。
「葵君はさ、駒鳥ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「は……?」
「だから、駒鳥ちゃんのこと。好きなの?」
質問の意図が分からない。何故今、そんなことを問うのか。
この人からその問いを投げられるのは、まあ良しとしよう。俺と先輩、駒鳥の関係性を見れば、おかしくないことかもしれない。
だが、何故このタイミングなのか。つい先日デートなんて言って俺を連れ回し、駒鳥とも仲良くなれたらしい、このタイミングで。
それを聞くことの意味が、よく分からない。
「質問が少し極端すぎたわね。別に好きとか嫌いとか、そんなのじゃなくても。君は、彼女のことをどう思っているのか。自分の感情くらい、理解しておきなさい。でないと、取り返しのつかないことになるわよ?」
「……まるで、経験したことあるみたいな言い方ですね」
「経験談だもの。最も、あたしの場合はお姉ちゃんに対する、だったけれど」
小梅先輩と先輩の姉との間になにがあったのか。それは俺の与り知らぬところだ。今はどうでもいい。
俺の駒鳥に対する感情。彼女のことをどう思っているのか。考えたことがないわけではないが、改めてそう問われると、返答に窮する。
だって、さすがのこの人も想像だにしないだろう。駒鳥のことを考えれば、どうしても先輩のあの表情が、頭をよぎるだなんて。
だから、答えを出せないだなんて。
「……駒鳥は、俺にとって唯一の友人です。それ以上でもそれ以下でもありませんよ。今は」
「今は、ね」
「ええ。人間関係なんて、些細なことで変化するもんですから」
「たしかに」
クスリと笑みが落とされ、それを合図とするかのように、張り詰めていた糸が弛緩する。小梅先輩が纏う雰囲気も、元に戻っていた。
いちいち変な雰囲気を醸し出すのは、こっちも疲れるからやめて頂きたいのだが。それを伝えたところで、面白がって助長するだけに決まっている。
「まあでも、ちゃんと考えといた方がいいよ。あたしのせいで、どうも拗らせちゃってるみたいだから」
「自覚はあったんですね」
「もちろん。まあ、多少拗らせてる方が、見てる分には楽しいからいいんだけどね」
きっと、一週間前なら簡単に答えを出せたのだろう。それを駒鳥本人に言えるかは別として、俺の中でしっかりとした答えを得ることが出来ていたはずだ。
それが出来ないのは、まさしくこの人の言う通り。予想外の闖入者で、色々と拗れてしまったからで。
だが、見て見ぬ振りは出来ないから。
「精々頭を悩ませなさい。それも一つの、青春模様ってやつよ」
色々と考える前に、取り敢えず。
ドヤ顔でなんか言ってるこの先輩がムカつくので、そろそろしばいてもいいだろうか。
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