第9話 相合傘と君の名前

 色んな話をした。

 好きな食べ物、テレビ、ゲーム、本、アニメ、漫画。特技に趣味に、休日の過ごし方まで。小梅先輩は意外とオタクと言うか、サブカルチャーに対しての造詣が深くて驚かされてしまった。

 同じソシャゲをやっていると聞いたので、取り敢えず俺のデータで10連を引いて貰ったら、初の星五が出てしまったり。

 今季のオススメアニメを教えて貰ったり、その原作も教えて貰えたり。


「本当、意外ですよ。小梅先輩って、こう言うのとは縁遠い存在だと思ってたんで」

「あたしの場合はお姉ちゃんがね。結構というか、重度のオタクだから、影響されちゃったってわけ」


 しかも、俺の聞いていた噂話は、あながち嘘でもなかったのだ。本当になんでも出来てしまう完璧超人に違いなかった。運動と勉強のみならず、音楽や芸術系もかなりのもので、これだけは嘘だろうと思っていた空手黒帯もマジらしい。


「逆に、先輩の出来ないことってないんですかね」

「あるよー。ほら、この前もそのお話したじゃん?」

「それは出来ないじゃなくて、したことがない、って話じゃありませんでした?」

「似たようなものでしょ。それよりさ! 椿君くらい不幸だったら、やっぱり死にかけたこととかあるの?」

「二回くらいならありますよ」

「えっ」


 まさか本当に死にかけたことがあるなんて思っていなかったのか、小梅先輩は目を丸くして驚いている。まあ、その反応も当然だろう。世間一般的な高校生は、そんな経験したことなんてないやつが殆どなのだから。しかも俺の場合、二回も。


「一回は生まれた時。二回目は、五、六年前のゴールデンウィークの時ですかね」

「ま、待って。五、六年前のゴールデンウィークって、まさかそれ……」


 珍しく、小梅先輩が取り乱した様子を見せる。二度目の方でなにかあるらしいが、それを俺に言おうとはしない。

 一人でブツブツと呟いている様を見て、思わず首を傾げてしまっていたのだが。


「いや、これはあたしが変に首を突っ込まない方がいいかな……」

「小梅先輩?」

「ん、なんでもないよ。こっちの話。そろそろ出ようか。もうお昼だしさ」


 言われて店の時計を見れば、確かに針は十二時すぎを示している。まさか二時間近くここで小梅先輩と話していたとは。

 自分でも驚きだが、それ程に彼女と過ごす時間が楽しかったと、そういう事なのだろう。


「俺の分幾らでした?」

「あー、気にしないでいいよ。あたしが払うから」

「いや、そういう訳にもいかないでしょ」

「いいのいいの! 先輩に甘えときなって!」

「……じゃあ、ご馳走になります」

「ん、それでいいの!」


 そこまで言われてしまえば、逆に無理に払おうとするのは失礼な気がしてしまう。

 小梅先輩がマスターを呼んで、レジで会計をする。お互いに三杯くらいおかわりしてしまったから、結構な値段いってしまっていると思うのだが。


「椿君、椿君」

「どうしました?」


 会計を終えた先輩に手招きされる。近づけば外を指差すので、その先に視線をやれば。


「あー……」

「めっちゃ雨降ってるね」


 まあ、そう言う事だった。やはりと言うかなんと言うか。期待を裏切らないとも言えるか。結局朝の懸念通り、天気予報は外れてしまっていて。さっきまでの晴れ空がどこに行ったんだと言うくらいの曇天模様。

 空から降る雨が地面を濡らし、この様子では道行く人々も濡れ鼠となっていることだろう。ここは細い路地だから、通行人は見当たらないが。


「先輩、この後は?」

「ラーメン食べに行こうかなって。浅木の方に美味しいお店があるんだ」

「因みにですけど、傘持ってます?」

「もちろん」


 持ってんのかよ。


「だって、あれだけ自分の不幸をプレゼンされたんだからさ。そりゃもしもの時のために、持ってきててもおかしくないでしょ?」

「別にプレゼンしてたわけじゃねぇよ」


 言いながら先輩は、カバンの中から折り畳み傘を取り出す。一般的な、どこにでも売っている折り畳み傘を一つ。


「えっ、それだけ?」

「そうだけど?」


 不思議そうに小首を傾げる様はとても可愛らしい。や、そんなのはどうでもよくて。

 つまりなにか。俺はこの雨の中濡れて駅まで歩けと。そう言うのか。さすがは小梅先輩いい性格してやがるぜ。


「なに考えてるのか知らないけど、傘なんて一個あれば十分じゃん。一緒に入れば問題ないし、駅まで距離があるわけでもないし」

「えぇ……」


 それはそれでまた別の問題が浮上するのだが、この人にそれを言っても無駄なことは、既に理解している。

 マスターにご馳走様ですと挨拶をして、店を出る。雨は止む気配がなく、なんなら店で暫く雨宿りさせてもらっても良かったとも思うのだが。


「相合傘! いやー恋人っぽいねー!」


 小梅先輩にその気はなさそうだ。しかし、この雨はまだ予想出来たレベルだったのに。うっかり傘を忘れてしまうとか、俺はどんだけデート楽しみにしてたんだって話だ。

 確かに楽しみだったのは否定しないが、それでも浮かれすぎだろう。自分がいかに不幸なのかを忘れてしまうなんて。


「ほら、入りなよ」


 先輩が開いた折り畳み傘は小さい。元より人が二人も入るための設計はなされていないのだ。けれど笑顔の小梅先輩は、その隣にしっかりと俺のためのスペースを空けていて。

 女子のくせに、ちょっとイケメンすぎやしませんかね。


「何回も同じこと言うようですけど──」

「勘違いされても知りませんよ、って? ならあたしだって何回でも同じ答えを用意するけど。この無駄なやり取り、いつまで続けるつもり?」


 ついため息が出てしまうのも、致し方ないことだ。なぜこの人が、俺にそこまでの接触と接近を許してくれているのかは謎だが、あまり逆らっても面倒なことになるのは間違いないだろう。

 観念して小梅先輩の隣に並んだものの、やはり折り畳み傘の中で二人は狭い。肩と肩が触れ合ってしまって、少しドキリとする。それを見透かされてしまっているのか、小梅先輩は俺の顔を見てクスリと笑みを漏らした。


「傘を持つくらいはさせてください。さすがに持ってもらってるのは、男として色々とあれなので」

「あたしの方が身長高いし、あたしが持ってる方がいいと思うけど」

「気にしてるんで身長のことはあんま言わないでくれませんかね」


 半ば奪い取るようにして傘を取る。これで少しは、紳士的なエスコートとやらが出来るのではないだろうか。

 傘は出来る限り小梅先輩の方に寄せる。俺の右肩が濡れてしまうが、頭から全身濡れるよりもマシだと考えよう。


「もう。それじゃ君が濡れちゃうじゃない」

「傘が小さいんだから仕方ないでしょ。てか、どうせなら普通の傘持ってきたらよかったのに」


 言いながら歩き出す。駅までそう時間はかからない。さっさと歩いて、この超密着してる状態から解放されようそうしよう。


「んー。じゃあこうしちゃおっか」

「ちょっ……!」


 傘を持つ左の二の腕のあたりを、ギュッと思いっきり抱きしめられた。肘のあたりになにやら柔らかい感触が押し付けられている。顔が燃えるように熱くなってしまい、思わず傘を落としそうになってしまった。

 なにやってるんだこの人は。確かに近づけば近づくほど、濡れることはないのだが。それにしても、そんな、本当の恋人同士みたいな真似をしなくても。


「おやおや〜? 随分とまあ可愛い反応しちゃってるじゃないですか〜?」

「そっちは随分と楽しそうですね……」


 昨日は二の腕どころか、全身思いっきり抱きしめられたが。あの時とは状況が違いすぎる。まずもって、こんなハッキリと柔らかい感触を感じるなんて、あの時はなかったわけで……。

 いや、落ち着け俺。無心だ。無心になれ。この肘に当たるのはあれだ、人をダメにするクッションだ。あれが今当たってるに過ぎない。断じて小梅先輩の胸とかそんなのではないから落ち着けいい機会だからと堪能しようとするな。そもそもコート越しなんだからそんなに意識向けなかったら分からないぞ!


「ありゃ、やっぱり小ちゃいからあんまり分かんない?」

「分かってやってんのかよ……!」

「当ててんのよ、ってやつだね」


 ニシシ、と笑うその様に邪気は見当たらない。小さな子供のような笑顔だ。

 全く。これでは小梅先輩よりも先に、俺が籠絡されてしまいそうじゃないか。






 なんとか無事に駅に辿り着き、そこから浅木に電車で向かって、小梅先輩オススメらしいラーメン屋で昼飯を食べて、それからまた蘆屋に戻って来たのが現在。

 ラーメンは美味かった。小梅先輩との会話も、まあそれなりに弾んでいた。雨も途中で上がったし、俺にしては珍しく、突然の雨以外の不幸に見舞われることもなかった。その雨だって、小梅先輩のお陰で濡れることなく切り抜けられたし。


「さて。今日はもう解散かな」

「もうですか?」


 蘆屋駅の改札をくぐってすぐ、小梅先輩は満足そうにグッと背伸びをしながら言った。

 ゆっくり出来るデート、なんて言っていたものの、もっと連れ回されるのだと思っていたから、ある意味拍子抜けだ。


「お? もしかして椿君は、もっとあたしと一緒にいたいのかな?」

「それはないです」

「即答されるとそれはそれで悲しいな」


 調子に乗ってもらっては困る。今日は先輩に言われるがままデートだなんてものに連れてれたが、俺は基本的に早く帰りたいのだ。これ以上の不幸が舞い降りないうちに。


「まあでも、言ったでしょ? 今日のデートの目的は、君との交友を深めるためだって。どう? あたしのお願い云々を一旦傍に置いて、単純に一人のお友達として。あたしのことはお嫌いかしら?」

「……別に、そんなことはないんじゃないですかね」


 聞き方が卑怯だ。それで俺がノーと答えられないのを、分かっているくせに。


「ふふっ、素直じゃないんだね。可愛くていいと思うけど」

「そっちはいつも素直ですよね」

「さて、それはどうかしら」


 含みのある笑み。まるで俺を試すように口元を歪めた小梅先輩は、素直なんて言葉とは程遠い、悪女のようにも見えてしまって。


「女の子はよく嘘を吐くから。気をつけた方がいいかもしれないわよ?」

「……肝に命じておきます」


 それが事実か、はたまた俺をからかっているだけなのかは分からない。元より、俺が関わる女子なんて、嘘をつけなさそうな駒鳥と、目の前にいる未だもってしてよく分からない先輩の二人だけだ。

 でも、不思議なことだが、この人は。小梅先輩は、嘘なんて吐けないのではないかと思ってしまう。


「さて、椿君で遊ぶのはこの辺りにして」

「言い方。せめてもうちょいオブラートに包めよ」

「今日、どうだった? 楽しかったかな?」


 デートで大切なことは、一緒に楽しむことだ。自分が楽しむだけでも、相手を楽しませるだけでもなく、二人で一緒に。

 この人からそう教えられた。

 では、今日のこのデートはどうだったのか。

 わざわざ思い返すことすら白々しい。答えはとうの昔に出ている。けれどそれを素直に伝えるのも、なんだか負けた気がするから。


「今日は、珍しく不幸に巻き込まれなかったんですよね。まあ、あの雨がありましたけど、それもお陰様で濡れずに済みましたし」

「椿君的には、当てられるならもう少し大きい方が良かったかな?」

「それはどうでもよくて」


 確かに大きい方が好みではあるが。


「まあ、こんな穏やかな外出は久しぶり、ってことですよ」

「つまり?」

「あとは知りません。自分で考えてください。どうせ分かってるんでしょうけど」

「えー、小梅わかんなーい」


 こいつ……。いい加減一発くらい殴ってやろうか……。


「ま、君が楽しかったなら良かったよ。あたしも今日は、久しぶりに楽しかったし」

「最近は楽しいことがなかった、みたいな言い方ですね」

「だってクラスの連中とつるんでてもなんも楽しいことないし」


 唐突に闇を見せるのやめてくれない? 反応に困るだろうが。


「そういう訳だから。今日は君とデート出来て良かったよ。あたしの初めてを奪ったんだから、感謝しなさいよ?」

「その言い方やめてくれません?」


 そもそもあんたが半ば無理矢理俺を連れ出したんだろうが。奪ったなんて言い方は正しくないだろう。

 しかしまあ、小梅先輩も楽しかったんなら、それはそれで良かったと言うものだ。一応、この人のあの願いを聞かされている身ではあるし、一緒に楽しまなければ、なんて言われた直後なのだから。


「んじゃ、これで解散なら俺は帰りますね」

「うん。昼休みと放課後、あの教室で待ってるから。月曜からまたよろしくね、葵君」

「はい。……はい?」

「じゃあねー!」


 タタッと軽快な足取りで、小梅先輩は去っていってしまった。

 最後に、俺の心へ大きな爆弾を落として。


「いや、名前を呼ばれただけだろ……」


 それだけだ。それだけの、はずなのに。

 どうして俺の頬はこんなに熱を持っていて。こんなに心臓は煩く喚いて。

 どうして、嬉しいだなんて、思ってしまっているのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る