第8話 デートのマナーとフルーツタルト
白雪小梅先輩は、ある一部分を除いて抜群のプロポーションを誇っている。足は長いし、体は細いし、おまけに顔がいい。東京の渋谷とか原宿とかのシャレオツな街で歩いていたら、確実に芸能事務所のスカウトに声を掛けられるだろう。
さて、一方の俺はと言えば。まずチビだ。小梅先輩よりも五センチくらい身長が低い。もうこの時点でだいぶヤバイが、その上で最低限にしか整えられていない髪の毛、ユニクロで母親が買ってきたジーパンとシャツにスポーツショップで買った適当なジャンバー。おまけに顔の方だって、渋谷とか原宿とかのシャレオツな街を歩いてたら、スカウトどころか彼女にいいとこ見せたいイキリ散らしたクソ野郎に格好の餌食にされそうなパッとしない顔。小梅先輩からは老けて見えると好評の。好評でもなんでもねぇなこれ。
そんな俺が、あろうことか小梅先輩に手を掴まれて、その隣を歩いているのだ。
周囲から視線を感じるのは、単なる自意識過剰だろうか。日頃の不幸ゆえに出来上がった僻み根性がそう思わせているだけかもしれない。
「突然ですがここで問題です!」
デデン! と丁寧にそんな擬音まで口に出して、俺の手を引く小梅先輩が脈絡のないことを言い出した。
目的地も聞かされぬまま線路沿いを歩き出したと思えば、謎の出題。まあ、方角的に新しく出来たショッピングモールだとは推測出来るが。
「女の子とのデートで一番大事なことはなんでしょうか!」
「なんすか急に」
「いいから答えてみて?」
まあ、特筆して話題にしたいことがあるわけでもない。少し考えてみようか。
しかし、彼女いない歴=年齢の不幸ぼっち野郎に、その問題は難問すぎる。生まれてこのかたデートなんて呼べるものしたことがないのに。つまり初デートを小梅先輩に奪われてしまっているわけだが、まあそれは良しとしよう。
「楽しませる、とかですか?」
「はい残念間違いでーす!」
このアマ……。人の間違いを嬉しそうに笑いやがって……。俺の不幸に無理矢理巻き込んでやろうか。
「じゃあ何が正解なんですかね」
「もうちょっと自分で考えようとしてみたら? そんなんだからモテないんだよ」
「一言余計ですよ」
どうして俺は、一日に二度も同じ人からモテないと言われてしまっているのか。完全に俺のせいですねこれ。はーほんと、そんなんだからモテないんだぞ俺。
「なら、紳士的なエスコートとか?」
「それは出来て当たり前かな」
当たり前なのか。大丈夫か俺。出来るのか紳士的なエスコート。もうこの容姿からして紳士なんて言葉とは程遠いぞ。
自分で言っておいてなんだが、そもそも紳士的なエスコートってどんなことを言うのだろうか。レディファーストってやつか? でもあれ、元は男性のマナーじゃなくて女性のマナーだって話だし。
「まあ、椿君にはまだそこまで求めてないから、安心して?」
「おい」
安心出来る要素どこだよ。
「で、正解はなんなんですか?」
「おっ、気になっちゃう〜?」
「やっぱいいです」
「あぁ嘘だって! 教えてあげるから!」
いちいちめんどくさいなこの人マジで。特に今日は、学校で会った時よりも比較的テンションが高いように思える。それを正確に判断出来る程の付き合いではないのだが。
なにせ、まだ出会ってから日が浅い。俺の人間性くらい浅い。浅すぎて底が見えちゃうまである。
そんなテンション高めかと思われる小梅先輩は、やはり魅力的すぎる笑顔を振り撒きながら、答えとやらを口にした。
「正解は、一緒に楽しむこと」
「……それ、最初の答えであってたんじゃないですか?」
「全然違うよー。楽しませるだけじゃなくて、自分も楽しまなきゃダメ。そもそも、自分が楽しくないのに相手がそれでデートを楽しんでくれると思う? そう言う幸せな感情は、一緒にいる人と共有しなきゃだよ」
なるほど一理ある。相手を一方的に楽しませるなんてのは、対等ではない。顔色を伺って、ご機嫌を取って。ともすれば、それを不快に感じるやつだっているだろう。
「相手のことを考えるって言うのは所詮綺麗事で、ただの自己満足。自分は相手のことを考えてやってるんだと優越感に浸り、自分に酔ってるに過ぎない。物事に対する考え方や見方、捉え方って言うのは人それぞれ違うんだから、らしいよ?」
「誰かの受け売りですか」
「まあね」
隠そうともせず、笑顔で肯定する小梅先輩。恐らくまた、お姉ちゃんなりお兄さんなりから聞かされた話なのだろう。
そんな話をしていると、目的地らしきショッピングモールの目の前まで辿り着いた。しかし俺の手を引く先輩はその入り口に向かうことなく、モールの前を通り過ぎる。
ここが目的地ではなかったらしいことを察して、俺は話を続けた。
「でも、それじゃあどうやって、相手とその楽しみを共有しようってんですか? 相手も楽しませて、自分も楽しむ。なら自然、相手と自分、双方のことを考えないといけないじゃないですか」
「今見ている世界を拡張しろ、だってさ」
その言葉の意味は、いまいち理解出来なかった。それはつまり、言葉の表面だけをなぞれば、視野を広げろ、と言うことだろうか。
「あたしもこの辺りはイマイチわかんなかったんだけどね。見えていなかったものを見るんじゃなくて、見ることが出来なかったものが見えるようにしろ、らしいよ」
「小梅先輩でもわからないこととかあるんですね」
「そりゃ、あたしだってまだまだ子供だからねー。お兄さんやお姉ちゃんに比べると、わからないことだらけだよ」
俺から見れば、小梅先輩も十分大人っぽいのだが。先輩の兄や姉となると、更に歳は上なのだろう。ならば、俺なんかが想像できない人生経験もあるかもしれない。そこから得た教訓を、こうして妹に伝えているのかもしれない。
人によって物事への捉え方が違うと言うのなら、果たしてその教訓は、小梅先輩の、延いては俺の人生にも当てはまるのかはわからないが。
「お話は一旦お終い。ほら、着いたよ」
線路沿いのショッピングモールを通り過ぎ、細い路地に入った先。辿り着いたのは、こじんまりとした喫茶店だった。あまり繁盛してるとは言えない、寂れたようにも見える店の佇まい。
小梅先輩に手を引かれるまま入った店内には、やはり想像通り、客なんて一人もいなかった。しかし雰囲気は悪くない。ショッピングモールが近いにも関わらず、外の喧騒とは無縁の静謐さを感じられる。いらっしゃいませ、と和かに挨拶してくれた初老の男性は、ここの店長だろうか。掛かっているBGMはジャズで、なんか、隠れた名店、みたいな感じがして男の子的には結構興奮しちゃったり。
窓際の席に二人で腰を落ち着かせると、カウンターにいた男性がおしぼりと水を持ってきてくれた。
「ケーキセット二つ。飲み物は両方カフェオレでお願いします」
「かしこまりました」
メニューも見ず、小梅先輩は俺の分も勝手に注文してしまう。別にいいのだが、一言くらい断りを入れるもんじゃないだろうか。
「よく来るんですか?」
「んー、たまにね。あのマスターさん、一応知り合いだからさ。還暦で前の仕事辞めて、このお店開いたんだって」
あの人還暦超えてるのか。めっちゃ若く見えるけど。
「どんだけ交友範囲広いんですか」
「そうでもないんじゃないかな?」
そうでもない、なんてことはないだろう。校外の、それもあれだけ歳の離れた男性と知り合いだと言うのだ。陸上部だった過去もあるから、他校に友達がいてもおかしくないし、ラインの友達の数とか、ふつうに百超えてそう。因みに俺は四人だけです。
「それにしても、どうして喫茶店なんですか? てっきり、そこのモールの中とか連れ回されると思ってたんですけど」
「だって、言ったじゃん。ちゃんとゆっくり出来るデートコース考えてあげるって」
ああ、そう言えばそんな話を昨日したか。俺が家でゆっくりしていたいと言えば、ならゆっくり出来るデートにする、なんて言われた。たしかにこの喫茶店はとても落ち着いた雰囲気で、ゆっくり出来るとは言え。
「さっきあたしが言ったことと矛盾してる、とか思ってるでしょ?」
「……」
図星を突かれて、思わず黙り込んでしまう。
小梅先輩は言った。相手のことを考えるなんてのは、所詮自己満足でしかないと。それが誰かの受け売りであれ、俺は小梅先輩の口からそれを聞いたのだ。
しかし、小梅先輩が俺のわがままを聞いてここに来たのであれば、それは先輩が言うところの自己満足をして、自分に酔ってる行為に他ならないのではなかろうか。
「君は嘘をつくのが下手だね。可愛いからいいと思うけれど」
「別に何も言ってませんけど」
「否定しようとして、けれど咄嗟のことで言葉が出なかった。そう言うのは、ままあることよ」
笑顔と共に、口調までもが大人びたものへと変わる。それが演技なのか、はたまたこちらが素なのかはわからない。
だが彼女が纏う雰囲気は、明らかに変わっていて。あれだけ活発な少女だったはずの小梅先輩は、どこか憂いを帯びたような、儚い雰囲気で口を開く。
「たしかにお兄さんにはそうやって言われたけれど。あたしはね、その自己満足すらも押し付けられる相手が欲しい。押し付けてもいいと思えるような人が欲しいのよ」
それは、先日口にした願いのことだろうか。恋をさせてほしいと、とんだ無理難題を吹っかけられた時の。
果たしてどうして、そんな願いを持つに至ったのか。そこは俺のあずかり知らぬところだ。聞けば答えてくれるかもわからない。
「……とんだわがままですね」
「あら、知らなかった? あたしって結構欲深いんだよ。だから、なんでも欲しくなっちゃうの」
「それはまあ、なんとなく察しがつきますけど」
クスリと微笑みを漏らした小梅先輩が、元に戻る。どちらかと言えば見慣れた、いつもの活発な少女へと。
タイミングよく、マスターさんがケーキセットを二つ運んで来てくれた。皿の上に乗っているのは、フルーツタルト。見た目鮮やかでとても美味しそうだ。
「ん〜! 相変わらず美味しい!」
早速タルトに手を付けている小梅先輩は満面の笑顔。チラリとカウンターに戻ったマスターを見れば、嬉しそうに柔らかな微笑を携えていた。彼からすれば、俺たちは孫と同じくらいの歳だろうか。そしてそんな俺たちの光景を見ていると、微笑ましくなるものらしい。
「さて。とは言っても、実際ここに来た目的があるのも事実なんだよね」
「混乱するんで急に話戻すのやめてもらっていいですか」
「わかっててやってるんだよ」
「なおさらやめろ」
自己満足の押し付けだとかの難しい話以前に、単純にここに来た目的があると言う。甘いもの好きっぽい小梅先輩のことだから、このケーキが目的なのだろうかと思ったが、どうやらそれも違うらしく。
「ほら、一度ゆっくりお話したいなって。椿君、あたしのことあんまり知らないでしょう?」
「学校一の美人でなんでも出来る完璧超人な先輩、くらいの情報しかないですね」
「あらお上手。そんな褒めてもここのお勘定くらいしかでないよ?」
「付け加えるなら、適当なこと抜かしてすぐに調子に乗るヤバイ人、とか」
「椿君ここのお代全部出してくれるんだー!さすが男の子頼りになるー!」
手のひらギガドリルブレイクかよ。
「冗談はさておいて、椿君が知ってるあたしなんて、結局噂の上での白雪小梅なわけ。それが果たしてどこまで真実で、どこからが嘘なのかも、実際わからないでしょ?」
「まあ、そうですね」
「だから、なにか聞きたいこととかあれば、なんでも聞いてくれていいよ。今日はシンプルに、交友を深めよう!」
聞きたいこと。聞きたいことねぇ……。ていうか、そもそも。
「逆にですけど、先輩は俺のことどれくらい知ってるんですか?」
「んー、友達のいないぼっちの不幸野郎?」
「酷い言い草だなおい」
「でもまだマシだと思うよー。キザで胡散臭いナンパ野郎とか言われてる人知ってるし。本人に全くその気はないのにね」
可哀想すぎる。思わず同情で涙がちょちょぎれるところだったが、冷静に考えてみればそう言われる所以とやらも勿論あるわけで。恐らくその人は、本当にキザなことばっかり言う上に胡散臭くてナンパだってしちゃうようなやつなのだろう。
なんだよただのクソ野郎じゃねぇか。
「てか俺、友達いるんですけど」
「駒鳥ちゃんだけでしょ? 友達は複数形だから、君に友達はいないよ」
「屁理屈じゃねぇか……」
「屁理屈も立派な理屈ですー。で、他には? なにか聞きたいこと、あるんじゃない?」
小梅先輩の瞳が、俺の目を捉える。ともすれば、その奥に宿る光に、雁字搦めになって捕らえられてしまいそうに錯覚する。
まるで、俺の目を通して、心の内まで覗き込んでいるような。
聞きたいことはある。あの日のこと。先輩が、泣いていた日のこと。
だが、俺は果たしてそこに踏み込んでもいいのか。聞いたところで、答えてくれるのか。
いや、恐らくだが。小梅先輩は聞けば答えてくれるのだろう。俺に接触して来た時だって、わざわざそのことをぶり返していたし、本人的にはなんとも思っていないのかもしれない。
ただ俺に、それを聞くだけの勇気がないだけで。
「臆病だね、椿君は」
悩んでいる俺に降ってかかったのは、微笑み混じりの優しい声音。
「臆病、ですか……」
「ええ、臆病。他人に踏み込むのが怖いんでしょう? なまじ、人よりも不幸に見舞われ易い君だから」
「どうなんですかね。自分じゃわからないですよ、そんなの」
その表情は、全てを慈しむ聖母のようで。
あんな、小さな子供みたいに泣いていた人と同一人物とは、まるで思えない。一体この人は、その内にどれだけの数の顔を隠しているのだろう。
でも、臆病だと言われて腑に落ちる部分もある。誰かを自分の不幸に巻き込むのが怖いから。だから必要以上に誰かと関わるのを避けてしまう。
駒鳥や小梅先輩は例外だ。駒鳥なんて、あれだけ拒絶したこともあるのに、あまつさえ好意を抱いてくれていると言うのだから。
「まあ、君から聞きたいことがないなら、あたしから話しちゃうけど。いいかな? 君とは趣味とか合いそうな感じするし」
「どうぞご勝手に」
ならばいつか、俺から誰かに踏み込むことが、出来るのだろうか。
その誰かが誰なのかは、まだわからないが。
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