第7話 待ち合わせと鉢合わせ
朝起きて驚いたことが、まず一つ。
晴れていた。
雲ひとつない晴れ空だった。快晴だった。見ていて気持ちのいいくらい、お出かけ日和だった。ピクニックなんかしたら心地の良い日光で微睡めるくらいに。空は晴れわたっていた。
いや、昨日天気予報を見た段階では、今日一日は晴れ間が広がるとかいってたし、そりゃ当たり前の話なのだが。
俺が出掛ける土曜日に、こうも清々しい天気が訪れている。常日頃なら信じられない話なのだが、部屋から見渡した空は本当に雲ひとつなかったのだ。
むしろ逆に不安を抱えてしまうのは、れっきとした過去の記録があるからで。ああ、昨日のように思い出せる。小学生の頃楽しみにしていた家族旅行が、大雨による土砂崩れの影響で、道半ばで家に帰ってきたあの日のことを。
どうせ今日もそんな感じだろう。晴れと見せかけて実はなにか他の不幸が舞い降りてくるに違いない。
だがそれと同時に、昨日抱いた微かな期待が、心の中で大きくなっているのもまた事実。あの人なら、と。手前勝手に願望を押し付けてしまっている。
そんな自分に辟易としながらも朝食を食べ終え、久しぶりに土曜日の晴れ空を満喫しながら、俺は待ち合わせ場所である蘆屋駅まで徒歩で向かった。バスは使わない。何故って途中で遅れたりするのが目に見えてるから。
蘆屋駅に辿り着いてから、具体的にどの辺で待ち合わせなのかを決めていないことに気がついた。俺が現在いるのは、駅の南側。恐らくではあるが、小梅先輩の家は北側方面にあるのだろう。
「ここで待っとくか」
小さく漏らし、近場のベンチに腰掛けてスマホを取り出した。俺が下手に動けば、行き違いになる、なんてことはあり得るし、通行人となんやかんやあって絡まれたりする可能性だって否めない。
本当、損な体質だ。体質と言っていいのかは分からないが。
取り出したスマホの画面をつけると、表示されている時刻は九時四十三分。予定の時間までまだ十七分もある。少し早く出過ぎたか。いやでも、十五分前行動は特に悪いことでもないので、こんなもんだろうか。分からない。いかんせん、デートというお題目がある以上、その辺りの細かいことを気にしすぎてしまう。
ダメだな、改めてデートという単語を出してしまうと、無性にソワソワしてしまう。なにせ相手は、あの白雪小梅だ。学校一の美少女。リア充の中のリア充。文武両道才色兼備の完璧超人。数多くの美辞麗句が全裸でスライディング土下座した挙句逃げ出すような人だ。欠点や弱点を探す方が難しい。昨今のSNSにおけるマウント取らないと死んじゃうマンな皆さんも、彼女を見れば褒め称え崇め奉るしかなくなるのではないのかと言うほどの。むしろ、俺なんかとデートをするという事実が、彼女の欠点になってしまいかねない。
だからこそ、どうせ似たような服しか持ってないくせに、服装はこんなので良かったのかとか、昨日の放課後、髪切りに行った方が良かったかもとか、そんなどうにもならないことを考えてしまう。
いっそのこと、いつものように不幸の一つでも降ってきてくれたら楽なのかもしれない。それが俺の日常だから。完璧超人の美少女とデートなんて非日常感を、少しでも和らげたいから。
そんな思考に陥ってしまっている自分に嫌気が差して、俯いた顔からため息が一つ溢れる。
と、同時に。俺を呼ぶ声が頭上から聞こえた。
「椿くん」
聞き慣れた声。だが、待ち人の声ではない。顔を上げた先にいたのは、白いコートに白いマフラーを巻いたおさげでメガネの少女。我が友人であるところの駒鳥だった。
「おはようございます、椿くん。珍しいですね、こんな所で会うなんて」
「おはよう。確かに、駒鳥と学校以外で会うのは初めてだな」
つまり彼女の私服姿を見るのも初めてなわけで。コートの中はよく見えないが、下はチェックのフレアスカートのようだ。マフラーも相まって全体的にモコモコしてて、凄いあったかそう。小動物感もいつもより二割り増しで可愛い。
まあ、可愛いだとか服似合ってるだとか、そんなことを言えるわけでもないのだが。
「今日はどうしたんですか?」
「あー、ちょっと待ち合わせ。駒鳥は?」
「私は買い物です。今日は新刊の発売日なので」
まさか小梅先輩と待ち合わせしている、と正直に言えるはずもなく。適当にはぐらかして答えたのだが、メガネの向こうの駒鳥の目は純粋そのもので、なんだか罪悪感が湧いてくる。
しかしこれ、このタイミングで小梅先輩来たら間が悪いなんてもんじゃねぇな。ただでさえ小梅先輩と駒鳥は微妙に険悪っぽいし、駒鳥からはあんな宣言されちゃってるから、もしこれから小梅先輩とデートだなんて知られると、何が起こるか分かったもんじゃない。
「折角なので、椿くんが待ってる人が来るまで、私もここにいますね」
「えっ」
「えっ?」
まずい。それは確実にまずい。てかやばい。今日は二人を会わせるわけにはいかないんだ。俺の心の平穏のためにも!
「あ、あー、いや、どうせもうすぐ来ると思うし、その必要はないんじゃないか?」
「でも、待ってる間にまた、椿くんが何かに巻き込まれたりとかしたらどうするんですか?」
「さすがの俺も、そんな短時間のうちには……」
完全に否定しきれなくて、内心涙がちょちょぎれた。しかも駒鳥は、純粋な善意で言ってくれているのだ。無理に断るのは気が引ける。
だがしかしbutけどけれどyet、そうなれば小梅先輩と鉢合わせるのは確実。ややこしい事になるのは間違いない。
どうするべきかと頭を悩ませていれば、駒鳥が隣に腰を下ろしてしまって。俺のコートをちょこんと摘み、頬を寒さとは別の要因で赤らめたまま、小さな声を漏らした。
「その、私は、少しでも椿くんと、一緒にいたいので……」
「……そうか」
言って、マフラーに顔を埋め、俯いてしまう。僅かに見える耳はやっぱり真っ赤で、つられて俺の顔も赤くなってしまう。さっきまでは冬らしい寒さが肌をさしていたと言うのに、何故か急激に周囲の温度が上がってしまったように思える。
「じゃあ、うん……お願いしようかな」
「はい……」
こちらへの好意を隠そうともしない言葉。そんなものを直接投げられてしまえば、断るなんてとても出来ない。
俺の答えに駒鳥は、控えめに照れたように微笑んで、そのおさげをふわりと揺らす。本当、可愛いやつだ。
先ほどまでは小梅先輩とのデートと言う事実に頭がいっぱいだったのに、今ではそれがどこかへ飛んで行ってしまって。
彼女の僅か一言だけで、駒鳥小鞠と言う女の子のことしか考えられなくなった。
そんな単純な思考回路に呆れてしまうが、それだけ駒鳥が魅力的な女の子と言うことでもあるのだろう。
「そう言えば、買いに行く新刊って、この前駒鳥が言ってたやつか?」
「はい。大黒かえで先生の新刊です」
「その作家、好きなんだっけ」
「刊行された本は全部集めてます!」
「さすが文学少女」
明確な言葉を口にされたわけではないが、駒鳥は俺に、明らかな好意を向けてくれている。彼女と共に図書委員として過ごし、そりゃ勿論それなりに、とても小さくともドラマと言うものがあったりもした。
いつ、どうして俺に好意を向けてくれているのかは分からない。そもそも、告白されたわけでもないのだから。
「読み終わったら、椿くんにも貸しましょうか?」
「お、いいのか? なら遠慮なく。今までも何冊か借りたけど、駒鳥が勧めるのにハズレはなかったからな」
俺はその好意が、とてもありがたくて。駒鳥を想う気持ちが、心のどこかにあるのは、日に日に自覚してしまっていたりして。
でも、自分の不幸体質が、その気持ちに歯止めをかける。
そしておまけのように思い出してしまう、あの人の、小梅先輩の泣き顔。
「その代わり、今度椿くんもオススメのライトノベル教えてくださいよ。読むんですよね?」
「まあ、読むっちゃ読むけど、駒鳥の肌に合うかは分からないぞ? 大体がアニメの原作とかになってるやつしか読まないし」
「それでも大丈夫ですよ。ほら、前にも一度貸してもらいましたし」
「ああ、そう言えばそうだっけ」
まだちゃんと知り合ってから三日。あの泣き顔を見た日から四日しか経っていないのに。小梅先輩との間に、駒鳥と築き上げてきた思い出のようなものはなにもないのに。
まるでそれは、呪いのようで。俺の脳にこびりついて離れない。
それこそ、あの文芸部の部誌が如く、俺は毒林檎でも食わされているのかもしれないが。あんなフィクションと現実を重ね合わせると言うのも、馬鹿げたことだ。
駒鳥が俺の隣に腰を落ち着かせて、十分が経っただろうか。目の前のバスロータリーに、一台の軽自動車が入ってきた。人も少なくバスもいないそこに入り込んできた車に、自然と俺たちの視線が吸い寄せられる。
まさかと思って時間を確認してみれば、待ち合わせ時間の十時丁度。いや、今一分になった。助手席から慌てた様子で出てきたのは、やっぱりそのまさかで。
「ありがとうございましたお兄さん! またお礼しますね!」
「あっ、小梅ちゃんカバン! カバン忘れてる! ほらっ!」
「よっ……と。ありがとうございます!」
運転手の誰かとバタバタ会話を交わしながら、窓の中から放り投げられたカバンをキャッチした、白雪小梅先輩。
閑散とした駅前に現れたモデル顔負けの美少女に、思わず息を飲んだ。
長い足を見せびらかすような、黒いスキニーのパンツ。羽織っているベージュのコートの中には、白いセーターを着ていた。
隣に座っている同性の駒鳥すら見惚れているのが分かる。圧倒的なスタイルに、暴力的な顔の良さ。
そんな美少女がキョロキョロと辺りを見渡し、そして俺と目が合った瞬間、いつもの笑顔を浮かべた。
「椿君お待たせ〜!」
「待ち合わせの相手って、白雪先輩だったんですね」
先輩が駆け寄ってくるのと、駒鳥が呟いたのは、殆ど同時だった。おかしい。なにか今、背中の辺りがゾクッとしたような……。
ま、まあ、気のせいだろう。まさか駒鳥がヤンデレ化なんてそんなバッドエンド直行っぽい感じになるわけが……。いやでも、今チラッと見た駒鳥の目、光がなかったんだけど……。
「おはようございます、白雪先輩」
「あれ、駒鳥ちゃん?」
まるで先制攻撃でも仕掛けるが如く、駒鳥が駆け寄ってきた小梅先輩に挨拶を投げる。一方の小梅先輩は、どうして駒鳥がここにいるのか分からないようで、首をコテンと傾げた。いちいち可愛いな。
「たまたま椿くんと会ったので、先輩が来るまで時間潰しに付き合ってたんです」
「なるほど、たまたまねぇ?」
「はい、たまたま」
女子が「たまたま」と連呼していると卑猥に聞こえるのは、俺だけなのでしょうか。
なんて現実逃避をしていないと、この緊迫した雰囲気に耐えられそうになかった。それはそれとして卑猥に聞こえるのは俺だけじゃないはず。
「先輩、一分遅刻です」
「細かいなぁ君は。そんなんじゃ女の子にモテないよ?」
「モテようなんて思ってないんでいいんじゃないですか?」
「まあ、椿君が女子にモテモテになっちゃったら、困るのはあたし達だもんね?」
その言葉は駒鳥に向けたものだったようだが、お下げ髪の友人はそれをガンスルーして俺に向き直る。
「では椿くん、私はこの辺りで」
「あ、ああ、また学校でな」
「はい、また学校で」
いつもの穏やかで柔らかい笑みを浮かべた駒鳥は、特に追及してくることもなく、駅の改札方面へと消えて行った。
あんなことを言ってまで、俺と一緒にいたのだから、もう少し粘るのかと思ったのだが、とうやら予想は外れたらしい。まあ、小梅先輩と喧嘩っぽくならなくて良かったのだが。
「ふーん、案外張り合いがないのね」
「なにか言いましたか?」
嫌な笑みの低い声で、なにやら不穏なことを口にしている小梅先輩。あまり突いたら蛇が出てきそうなので、聞こえなかったふり。
「なんでもー。それより早速、デートを楽しもうぜ!」
「ちょっと……!」
ガッシリ掴まれた手は、あの空き教室に連れて行かれる時と同じだ。反論しようとするも、小梅先輩の笑顔が視界に移って、その気は簡単に失せてしまった。
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