第6話 微かな期待と明日の予定
小梅先輩の抱擁の感触が忘れられないまま、俺は先輩に手を引かれて空き教室までやって来た。もしかして、今後もこの人とここに来る時は無理矢理手を繋がれるのだろうか。さすがにそれはキツい。
誰に見られるか分かったもんじゃないし、もし見られたとして、その後俺になにかしらの不幸が降りかかるのは目に見えている。先輩男子から呼び出されてカツアゲされるとかマジでゴメンだぞ。
「さてさて。椿君、本当に大丈夫だった? 怪我ないよね?」
「お陰様で無傷ですよ」
「そっか。本当良かったよ」
ホッと胸を撫で下ろし、小梅先輩は机の上に座る。椅子に座れよ。
昨日はなかったはずの椅子と机がもう二組前に出されていて、ちょっとだけ模様替えしてるようだ。特に尋ねることもせず、その片方の椅子を引いて腰を下ろした。
多分、今日のうちに小梅先輩が用意していたものだろうし。俺と、恐らくは駒鳥の分。
「心配しすぎじゃないですか? 仮にあれで落ちてたとしても、まあ慣れてますし」
「階段から落ちるのに慣れるって、君の人生おかしくない?」
「階段から落ちるのにって言うか、ああ言うツイてないことに慣れてるってことですよ。なにせ、生まれつき運が悪いもんで」
肩を竦めて返してみれば、へぇ、と感嘆の息が向かいから漏れた。どこか興味深そうなその反応に、余計なことを言ったかと後悔する。
「運が悪いって、例えばどんな感じ?」
「さっきみたいに人によくぶつかられたり、今日の朝みたいに千円札が呑まれた挙句買った炭酸が爆発したり、先輩が声をかけて来た時みたいに勘違いで怒られたり。まあ、そんなところです。別に面白いことはなんもないですよ」
「いやいや、面白くはないかもしれないけど、十分凄いことだとは思うよ? そりゃ、災難だなーとは思うけど」
「凄くもないでしょ……」
いや、捉え方によっては凄いと思う人もいるんだろうけど。だが、当事者である俺からすれば、本当に災難以外の何物でもない。
ふと、今日ここに来ようと思った本来の目的を思い出した。こんな話をするためにここに来たわけでもなければ、先輩に抱きしめられるためにあの階段を使ったわけでもない。
「あとは、そうですね。授業中に不躾な先輩から連続でラインが来て、全然授業に集中出来なかったのも、不幸の一つですかね」
「うっ……そんなネチネチした言い方しなくても……」
「そもそも、今日はそれをやめてくれって言いに来たんですよ。推薦で決まってるって言っても、授業くらい普通に聞いたらどうなんですか?」
「あれ、知らなかった? 三年生の三学期はもう自由登校だから、別に授業出なくていいんだよ?」
知らなかった。つまり、あれか。この人は朝から授業にも出ないのに学校に来て、この教室で暇を潰して、その暇潰しに俺も巻き込まれた、と言うわけか。
いや、授業受けないんなら家にいろよ。なにしに来てんの? 暇なの?
「だって家にいてもやることないし。お姉ちゃんもいないし。お母さんは締め切り近いからって最近ちょっと修羅場だし。じゃあここに来て、ちょっとでもお友達と遊んだ方が有意義じゃない?」
「そのお友達、受験が近いの分かってます?」
呆れるしかない。誰でも彼でも、小梅先輩のように受験に対する不安がないわけじゃないのに。先輩のお友達とやらを俺が知ってるわけでもないが、どうせその人達は一般入試で、センター試験も受けなければならなくて、時間的猶予が最早ない中で遊ぶなど。愚の直行、間違えた愚の骨頂と言わざるをえない。
「ま、みんな優秀だし、どうにかなるでしょ。この学校、偏差値だけは無駄に高いんだしさ。自称進学校のバカとは違って、割と本物の進学校っぽいし。それよりもっ!」
あまり受験の話題を続けたくないのか、小梅先輩は殊更力強く声を出して話を切った。いくら自信満々を装っていても、やはり一抹の不安と言うのはどこかにあるのだろうか。
「今日のうちに決めておきたいことがあるの」
「そういや、さっきもなんか言ってましたね。あんまり無茶なことは言わないでくださいよ」
さっき階段では色々あったからスルーしてたが、決めたいこと、なんてなにかあっただろうか。軽く思考を巡らせてみるも、特に思い当たらない。
恋をさせてくれ、なんてそれこそ無茶苦茶なお願いをして来た小梅先輩だが、それに関してなにかしら決め事をするまでもなく。この人が俺に関わってくる、もしくは付きまとってくるのは分かりきった事だし。
目の前でにんまり笑っている小梅先輩。まだ正式に知り合って二日目ではあるが、その笑顔がロクでもないものだと言うのは、俺にも理解できた。
「そんな変なことは言わないよー。決めるのは簡単。初デートの日程です! はい、拍手ー!」
「はぁ?」
パチパチパチパチー、と一人嬉しそうに拍手する先輩と、目上の人に対して出すようなものではない失礼すぎる声を上げた俺。
初デート? なんじゃそりゃ、バカも休み休み言えよこいつ。
とは流石に口に出来ないが。
「だから、初デートだよ。デート。逢引。分かる? 知ってる? 彼女いない歴=年齢の椿君でも、それくらいは理解できるよね?」
「あんた俺のことなんだと思ってんだ。バカにしすぎだろ」
「うん、知ってるならよかった!」
ついタメ口で話してしまった俺になにを言うわけでもなく、先輩は満足そうに頷く。
しかし、デートねぇ……。
「申し訳ないですけど、俺とデートとか、オススメしませんよ。なにも楽しいことはないと思いますし」
当日はまず雨になるだろうし、そんな中強行しても俺の傘が壊れたりとか、交通機関がその雨で麻痺したりとか、そう言った不幸な事態に陥るのは容易に想像できる。
しかし先輩からすれば、まだ俺がどれだけツイていないのか理解できていないのだろう。
「それは君じゃなくて、あたしが決めることだよ?」
だから、変わらぬ笑顔でそんなことを宣える。この不幸と十六年間付き合ってきた俺から言わせれば、認識が甘いと言わざるを得ない。
そのはずなのだが。どこかで、期待してしまっている自分がいるのも事実だ。
この人なら。さっき、俺を助けてくれた小梅先輩なら。もしかして、俺がもたらしてしまう不幸なんて物ともしないんじゃないだろうかと。
「納得してくれたかな?」
「全く」
「でもデートに行く気にはなったでしょ?」
「……」
「沈黙は肯定とみなすね」
ここでノーと即答できなかった時点で、小梅先輩にはなにも反論できない。期待してしまっていることを、俺自身肯定してしまったのだから。
「じゃ、いつ行く? やっぱり早い方がいいから、明日とか?」
「土曜日は家でゆっくりしたい主義なんですが」
「じゃあ今からとか!」
「帰りますよ」
「おうちデートとは、中々積極的だねぇ」
「ちげぇよ話聞け」
わざとらしく体をくねらせる先輩。その際にスカートの中身が覗きそうになってしまうのでやめてもらいたい。てか、家に連れて行くわけないだろ。まだ知り合ったばっかだぞ俺たち。
「んじゃ土曜日に決定ね」
「嫌だって言いませんでした?」
「ゆっくり出来るデートにするから大丈夫」
自信満々の笑顔でサムズアップ。なんだかもう既に不安しかないのだが、本当に大丈夫なのだろうか。
「つっても、俺に気の利いたデートコースを考えろとか言われても無理ですからね」
「それこそ大丈夫だよ。そもそも期待してないから」
「あんたさっきから本当に失礼だな」
そりゃ俺は生まれてこの方彼女なんて出来たことないから、必然的にデートを経験したことは一度もないが。それでも、最初から期待していないと言うのも、男としてのプライド的ななにかが許さない。
「だって、昨日言ったでしょ? あたしは別に、王子様みたいなカッコいい人を求めてるわけじゃないの。ただ、隣にいて楽しい、嬉しい、幸せだ、そう思えるだけでいいのよ。場所とかデートコースとか、そんなの関係ないわ」
「……でも、いきなりラーメン屋とか連れてかれたら怒るでしょ」
「いいじゃんラーメン。あたし好きだよ? 明日のお昼は決まったね」
いいんだ、ラーメン……。女子とのデートではタブーみたいな感じあるけど、いいんだ……。まあ、小梅先輩のイメージと乖離してるって程でもないが。
「あと決めるのは、待ち合わせ場所とか? 椿君ってどこに住んでるんだっけ」
「記念公園のあたりです」
「あー、あそこか」
蘆屋高校より南に車で十分ほど進んだところに、野球場やテニスコート、陸上競技場に体育館の集まった、記念公園が存在する。ゴールデンウィークには毎年それなりの規模のバザーが開催されているし、それに合わせて野球部が招待試合をしたりしているらしい。あと、文芸部も出店してるとか。
そんな記念公園の近くのマンションが俺の家だ。ここまで自転車で通学しているが、地味に距離がある。お陰で軽い運動程度にはなっているからいいのだが。
「うん、分かった。じゃあ折角だし、蘆屋駅で待ち合わせようか。あたしの家と椿君の家のちょうど間くらいだしね」
「まだ行くなんて一言も言ってないですけどね」
「でも、君の中にはデートに来ないって選択肢はないでしょ?」
「……」
大きな瞳が覗き込んで来る。まるで空を映したような、澄んだ瞳だ。吸い込まれそうに錯覚すると同時、俺の胸の内を全て見透かされているような気がして、その目と合わせることが出来なくなった。
逸らした先にあった窓の、その向こう。既に空は赤く燃えていて、この空き教室に陽を満ちさせる。明日雨が降る気配なんて、一つもない。
「明日、楽しみにしててね。あたしも楽しみにしてるから!」
「そうですか……」
あまりにも純粋で幼く見える笑顔を横目に映し、思わず呆れてしまう。
果たしてこの学校一の美少女は、俺なんかとのデートでなにが楽しみなのやら。
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