第3話 『雪化粧』と二人の邂逅
『女の子の泣き顔を見たんだから、その責任を取ってもらうために決まってるでしょ?』
そう言った割には、その場はお互いの連絡先を交換させられただけで解放された。特になにかされた訳でもなく、どころか学校一の美少女な先輩の連絡先をゲットしてしまうなんて言う、俺は本当に俺なのかと首を傾げてしまうような出来事があったわけだが。
勿論それだけで終わることなどなく、俺はしっかり昼飯を食いそびれ、腹を空かせた状態で午後の授業を受けることとなってしまった。こう言うところで帳尻合わせが来る内は、まだマシな方だが。
さて。あれから数時間が過ぎて放課後。今日は当番の日でもないので、帰宅部の俺はこのまま家に帰るか、暇を潰すために図書室に行くかのどちらかだ。
今日は図書室へ。仕事で両親の帰りが遅いから、外で飯を食わないといけない日なのだ。そんな日は、適当な時間になるまで図書室で暇を潰すことにしている。
俺は元々、あまり本は読まない方だった。読んだとしても、気になったアニメの原作ラノベくらい。だが、図書委員になって駒鳥にあれやこれやと勧められる内に、気がつけば読書と言う行為が好きになっていた。
今日読んでいるのは、その駒鳥から勧められた、我が校の文芸部の作品。部誌の『雪化粧』に載せられている『白雪姫は毒林檎がお好きな模様』と言う作品だ。
文章はそこまで硬いものでもなく、どちらかと言えばラノベ寄りの一人称で進められている。主人公の『僕』とヒロインの『白雪姫』の二人の視点から描かれる、学園ラブコメ的な作品。
俺が今読み進めているのは、文化祭編の終盤あたり。じれったい二人が早くくっつかないかと、悶えながら読んでいる。
「あっ、『雪化粧』読んでくれてるんだ」
不意に降ってきた声に首を動かすと、昼休みに見たばかりの綺麗過ぎる顔がそこに。突然過ぎる顔面偏差値の暴力に、口がパクパクと動くも声が出ない。
目の前で微笑むその様は、まるで天から降臨した神の使いのようだ。錯覚とは分かっていても、その背後に後光が差してるように見え、天使の輪っかと翼を幻視した。
「やっ、昼休みぶりだねっ」
「……そうですね」
熱くなってる頬を見られたくなくて、視線をすぐ近くの本棚へ移す。クスリと笑う声が聞こえたので、無駄どころか逆効果だったかもしれないが。
「で、何しに来たんですか? 図書室とか先輩から最も縁遠い場所な気がしますけど」
「馬鹿にしてない?」
「まさかそんな」
肩を竦めて鼻で笑ってみせれば、むぅ、と頬を膨らませる白雪小梅先輩。
なにも馬鹿にしたわけではなくて、陸上部の元エースと図書室が中々結びつかないと言うだけだ。実際、俺が図書室にいる時、今まで見かけたことはなかった。
「ほー、今そこ読んでるのかー」
対面から手元の本を覗き込んで来る小梅先輩。めっちゃ近いしなんかいい匂いするしやめてもらいたいんですけど。
今この図書室には、俺以外にも当番の図書委員が二人いる。その二人がこちらを珍しそうに見ているのに気がついて、余計羞恥心のようななにかが湧いて来る。
「やー本当、その二人さっさと付き合えよって感じだよね。まさかステージの上であんなことするなんて、見た時は信じられなかったもん。あーんな弄りネタをまさか提供してくれるとはねぇ。馬鹿と言うか、ある意味純粋と言うか」
その語り口調からして、小梅先輩もこれを読んだことがあるのだろうか。いや、だとしても、少し違和感を覚える喋り方ではあるが。
ジッと見つめてみれば、笑顔で首を傾げられた。さっさと何の用か説明しろと言いたかったのだが、どうやら伝わらなかったらしい。それにしても可愛いなおい。えくぼが出来たり八重歯が見えたりとかどうでもいい情報を得てしまった。
「結局何の用なんですか? 俺は早く続きが読みたいんですけど」
「まあまあ、そう焦りなさんな。言ったでしょう?」
カラッとした笑顔で言った後、小梅先輩の顔が急接近してきた。
運動部の動きに帰宅部のもやしが反応できるわけもなく。いや、それ以前に。小梅先輩の吐息が耳にかかる。制汗剤の香りが鼻腔を擽る。俺の動きを止めるには、それだけで十分だったのだ。
「君には、私の泣き顔を見た責任を取ってもらうって、言ったじゃない」
「……っ⁉︎」
耳元で小さく囁いたその言葉は、どうしてかとても妖艶な雰囲気を纏っていた。男を惑わす悪女の甘言。そう思ってしまってもおかしくない程の。まるで同じ高校生とは思えない声。
遅れて顔を離せば、小梅先輩は見たことのない笑顔を浮かべていた。まるで獰猛な蛇のように、今にも舌舐めずりをしそうな。俺は肉食獣の前に姿を見せた、哀れな獲物と言ったところか。
「さっ、取り敢えず場所変えるよ。図書室にいても仕方ないからね」
「場所変えるって、どこに……」
言って、思い当たる場所がひとつ。昼休みにも連れて行かれた、あの教室だろう。
えー、マジで? 今からあそこ連れてかれるの? てことはなに、またこの人と二人きり?
……悪くはない、かな。
いや、いやいやいや。悪くはないじゃないぞ。さっきは昼休みで時間もなかったからなにもされなかったけど、今は放課後だ。今度こそなにをされるのか分かったもんじゃない。
そりゃこんな美人と二人きりで、なにをされるのか分からないなんてのは、随分と魅力的と言うか、まあ健全な男子高校生なら色々と想像と言うか妄想しちゃうのが当然だと思うが。実際、ほかの男子生徒なら、その妄想力をフルに活用して変なこと考えるんだろう。
だが俺はどうも、この人からただならぬ何かを感じると言うか、ただの美人な先輩には見えないのだ。うまく言語化出来ないのがもどかしいが、一つ言えるのは、俺に不幸を運んでくる悪魔みたいな人、と言うのは間違いないだろう。
「ほら、荷物まとめて!」
「えっ、ちょっと……!」
床に置いていた俺の荷物を無理矢理持たせ、更にまた俺の手を掴んでから、先輩は図書室の扉へ向けて歩き出す。
ああ、当番の図書委員からの視線が痛い……。やっぱツイてねぇなぁ……。
「ほらほら、キビキビ歩いて! 時間は有限なんだから!」
「分かった、分かりましたから、取り敢えず手を離してくださいよ」
さすがに、無理矢理力ずくで手を振りほどくなんて乱暴な真似は出来ない。相手は先輩で、しかも女の子なのだから。
図書室から出てすぐに抗議の言葉を上げたが、どうしてか小梅先輩は唇を尖らせて不服そうだ。
「えー、綺麗なお姉さんと手を繋ぐのはお嫌い?」
「そりゃ嫌いじゃない──じゃなくて! こんなとこ誰かに見られたら、勘違いされますよ」
「私は気にしないからいいんじゃない?」
「俺が気にします!」
ダメだ、この人本当に話を聞かない。そもそも俺みたいなちんちくりんが小梅先輩に手を掴まれているからって、それを見た誰かが邪推するとは思えないが。それでも、嫉妬に狂った男子生徒から校舎裏に呼び出しとか、そんな危険性も無きにしも非ずなのだ。
小梅先輩にはもう少し、自分の人気を自覚して欲しい。
だがそんな様子も一切見られない小梅先輩は、鼻歌でも歌い出しそうな程に機嫌よく俺の手を引いて、階段を上ろうとし。
「椿くん?」
声が、聞こえた。
元より、この学校で俺の名前を呼ぶやつなんてそうはいない。教師か、唯一の友達か。今俺の手を引いているこの先輩も、一応そこに数えられはするけど。
椿くん、と呼ぶようなやつは、この状況において、ただ一人だけで。
「駒鳥……」
振り返った先、階段の前の廊下に、部活へ行ってるはずの駒鳥がいた。
彼女は信じられないものを見たような目をしていて。まあ、そんな顔になるのも当然だろう。なにせ、かたや学校一の美少女かつ人気者。かたや駒鳥くらいしか友達のいない不幸なぼっち野郎。駒鳥じゃなくてもそんな反応になる。
「その、私、部活が早く終わったので……」
「そ、そうか……」
駒鳥とは、昨日の別れ際以降、話をしていなかった。だから、図書室でのあの発言の真意なんて未だ分からないままだし、それでも俺に会いに来たというその行動の意味も、俺には理解出来ない。
「私、もしかして、お邪魔でしたか……?」
「そんなことは……!」
「駒鳥小鞠ちゃん」
今すぐにでも去ってしまいそうな駒鳥の足が、縫い止められた。俺の声ではなく、俺の手を掴む人の声によって。
ただ、駒鳥の名前を呼んだだけだ。しかしそこには、聞いたものの足を止める不思議な力がある。圧力があるわけではない。だと言うのになぜなのか。
いや、それよりも。なぜ、小梅先輩は駒鳥の名前を知っているのか。
「文芸部の子は一応名前を把握してるのよ。お姉ちゃんとお兄さんの後輩がどんな子か、知っておきたかったし」
聞いてもいない質問に答えてくれる小梅先輩は、笑顔だ。それが向けられている駒鳥は、少し怯えているようにも見える。
俺はなにも悪いことはしていないと言うのに、なぜかこの状況はすこぶる気まずい。駒鳥に、小梅先輩といるところを見られた。ただそれだけだ。なにもやましいことなんてない。
いや、俺が小梅先輩に連れられている理由は、少しやましいと言えないこともないが。
それにしたって、この二人が険悪になる理由などないはず。
「白雪小梅先輩、ですよね……あの、どうして椿くんと一緒にいるんですか……?」
「それはあなたに説明しないとダメかしら? 一応、退っ引きならない事情というのがあるのだけれど」
「いえ、それは……」
やめて! 喧嘩しないで! 俺が一番困るから!
そんな俺の思いが通じたのかどうか、微笑みを一つ落とした小梅先輩が、駒鳥へ空いているもう片方の手を差し出した。
「まあ、いいわ。駒鳥ちゃんも一緒に来なさい。一人増えたところで、なにも困ることはないし」
「えっと……」
視線を彷徨わせた駒鳥は、最終的に俺と目を合わせる。どうするべきか悩んでいるのだろう。それに俺は頷きを一つ返して、付いて来てくれと伝えた。先輩と二人きりになってしまうより、余程いい。
「じゃあ……」
「うん。言う事を聞いてくれる子は、お姉さん大好きよ?」
差し出された手を取る駒鳥。その手も掴み、小梅先輩は俺たち二人を連れて階段を上っていった。
向かう先はあの空き教室。多分。昼休みの時と違うのは、駒鳥も一緒にいること。
またなにか不幸の予感がするが、駒鳥には迷惑をかけないようにしよう。
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