第4話 完璧少女の願いと文学少女の決意
放課後、空き教室で、可愛い同級生と美人な先輩に囲まれている。
さて、このフレーズが魅力的に聞こえる男は、どれほどいるだろうか。なに、素直になってくれていいのだ。むしろ、これが魅力的に聞こえない男などいるだろうか? いや、いない。
しかもその同級生は、自分に気があるような素振りを見せていて、先輩の方はと言うと、自分が弱みに似たなにかを握ってしまっている。所謂一種のハーレムという奴だ。なんだよ俺はいつの間にラノベ主人公になっちまったんだハッハッハッ。
とまあ、そんなバカなことを考えていないと、気まずさに押し潰されてしまいそうなのが現実だ。
「はい、これ。遠慮せず飲んでいいよ」
差し出されたのは、昼休みと同じカフェオレ。こんな甘ったるいもの、一日に二本も飲む気にはならないが、俺は先輩から奢られるとそれがなんであれノーと言えない模範的な日本人なので、お言葉に甘えて遠慮なく頂いた。
一方、俺の隣にいる駒鳥は。未だこの空き教室に驚いているのか、物珍しそうに室内を見渡している。
「ほら、駒鳥ちゃんも飲みなよ」
「……いえ、遠慮させてもらいます」
「あれ、もしかして甘いのは苦手だった?」
「そう言うわけじゃないですけど……」
小梅先輩に話しかけられた駒鳥は、警戒心を隠そうともしていない。そりゃこんな意味不明な教室に連れてこられたんだ。警戒もするだろう。
俺だって、まだこの先輩に対する不信感は拭えていないのだ。なんなら不審点しかない。俺に関わったその理由すらもイマイチはっきりせず、更に駒鳥まで巻き込んだ目的も不明だ。
いくら学校一のリア充だか陸上部の元エースだかでも、今の俺と駒鳥からしたら、警戒の対象にしかならない。
「そこまで警戒されると、お姉さんちょっと悲しいかも。泣いちゃいそう」
そのなんでもない一言に、思わず肩を震わせて反応してしまった。その拍子に飲んでいたカフェオレが器官に入ってしまい、思いっきり噎せてしまう。小梅先輩は案の定イタズラな笑みを浮かべていて、俺の反応を見て楽しんでいた。
「つ、椿くん、大丈夫ですか?」
「えほっ、ごほっ、大丈夫、ちょっと噎せただけだから……」
この悪魔め……。年下をからかってそんなに楽しいか。楽しいんだろうなぁ……。
カフェオレの缶を机に置いて息を整え、改めて小梅先輩に向き直る。先輩はその顔に、未だ笑みを貼り付けたままだ。
「それで、そろそろ目的を明かしてくださいよ。俺だけじゃなく、駒鳥を巻き込んだのにも、どうせ理由があるんでしょう?」
「おや察しがいい。やっぱり君に目をつけて正解だったかも」
クスリと漏らした微笑みは、まるで幼い少女のようなものだった。直前までのギャップに、つい見惚れてしまう。笑顔のバリエーションが多いことで。
一つだけ後ろから取り出されている机の上に腰を下ろした小梅先輩が足を組み替えれば、ついその健康的なふとももに視線が吸い寄せられてしまいそうになる。
「勿論、駒鳥ちゃんも連れて来たのは、ちゃんと理由があるよ。でも、そうだな。どこから話しましょうか」
言葉とは裏腹に、悩むようなそぶりは見せない。ただ、どう言う言い回しをすれば俺たちが困るのか、考えを巡らせているだけなのだろう。
やがて口を開いた小梅先輩は、その端を愉快そうにつり上げていて。
「単刀直入に言えば、あたしの暇つぶしに付き合ってもらいたいの」
「暇つぶしって、先輩、もうそろそろ受験でしょ。そんなことしてる暇あるんですか?」
「指定校推薦でもう受かってるよ」
なるほど、大学受験にはそう言うものもあったか。まだ一年生だから、大学入試に関することは触りの部分しか教えてもらっていない。二年になれば本格的に色々と叩き込まれるんだろうが、大学受験なんて一年の俺たちにはまだ縁遠いものに感じてしまう。
指定校推薦は、高校側の人選で決まり、それを受けることが出来ればほぼ100%合格と聞いた。完璧超人と噂の白雪小梅であれば、推薦を勝ち取り既に受験を終わらせていても不思議ではない。
「それで、暇つぶしって具体的になんですか? 小梅先輩のオモチャにされるのだけは勘弁願いたいんですけど」
「大丈夫大丈夫、そんなのじゃないから。あたしはね、これまで経験したことがないものをやりたいの」
もう一度言うが、小梅先輩は完璧超人と噂されている。スポーツは陸上だけでなく、サッカーや野球、バスケにテニスと球技すらなんでもござれ。格闘技も嗜んでる上に、音楽系や美術系も完全網羅。料理も出来て裁縫も出来て、演技だってお手の物。
幾分か脚色されているであろうが、火のないところになんとやら。今日一日小梅先輩と関わっただけでも、あながち全部本当のことかもしれないと思ってしまう。
そんなこの人が、これまでに経験したことないものなんて、世界一周くらいにまで規模を広げないといけないのではないだろうか。
だが次に小梅先輩の口から出たのは、そんな壮大なものではなくて。
「あたし、恋がしてみたいんだ」
ともすればそれは、とても小さな願いだった。
世界一周なんかよりも余程身近で、俺たち高校生なら誰もがしてもおかしくない、人によっては勉学よりも躍起になるもの。
予想だにしていなかったその解答を、鼻で笑い飛ばすことは出来なかった。大切にしまっていた宝物のように披露された願い。それを伝えた小梅先輩が、あまりにも純粋な笑顔を浮かべていて。
俺も、きっと駒鳥も、そんな彼女に見惚れ、心を奪われてしまっていたから。
「白馬の王子さまなんていらない。呪いを解くキスだって必要ない。ただ、ずっと隣にいたいと思うような相手が欲しい。そんな人に、恋をしたい。これがあたしの、暇つぶしの内容かな」
それは果たして、暇つぶし程度に費やしていいものなのだろうか。今の小梅先輩の言葉を聞いていたら、そんな疑問が湧いて出る。
いや、それよりも。もっと重要な疑問が一つあるじゃないか。
「それを聞かされて、俺たちはどうしたらいいんですか? 校内からいい感じの人を見繕って来いと?」
そう、その小梅先輩の願いと俺たちの存在が結びつかない。わざわざこうして、ぼっち二人をこんな教室に拉致する必要性が見当たらないのだ。
「あはは、それはないない。て言うか、ここまで言ったのに、椿君はまだ気づかないのかしら?」
「まさか……」
隣の駒鳥が、なにかに気づいたように小さく呟いた。しかし、俺はなにも思い当たる節がない。どれだけ頭をひねってもなにも出ず、やがて艶のある笑顔を浮かべた小梅先輩が立ち上がり、俺に一歩近づく。
今までで一番近い距離。図書室で耳元に顔を寄せられたりしたけれど、身体がこんなに近づいたのは、初めてだ。
「なにをっ……」
するんですか、と続けようとした言葉は、しかし容易く遮られてしまった。小梅先輩の細く白い指が、俺の顎に添えられたから。
「分からない? あなたに恋をさせて、って言ってるの」
確かな熱を持った言葉が、俺の耳から胸へと浸透していく。だが、その意味が分からない。なぜ、どうして、そんな思考が脳内に渦巻く。
俺と小梅先輩の関係は、昨日俺が、先輩の泣き顔を見てしまったところから始まった。言ってしまえば、未だその程度の関係なのに。そんな相手に、恋をさせて、だと? この人は一体、なにを考えているんだ?
「そんなのダメです!!」
教室内に叫び声が響いた。
俺を思考の海から引き上げるのに十分な声量は、すぐ隣の駒鳥が発したもの。駒鳥がそんな大きい声を出せることに驚いたが、お陰で小梅先輩が俺から離れてくれたので助かった。
「ふふっ、駒鳥ちゃんなら、ちゃんとそう言ってくれるって思ってたわ。恋のライバルは必要だからね」
しかし、その駒鳥の叫び声すらも小梅先輩の掌の上なのか。楽しそうに笑みを浮かべるのみだ。
「こ、恋のライバルって、私はそんなのじゃ……!」
「……ようは、俺があなたを籠絡しろと、そういうことですか?」
真っ赤な顔でテンパってる駒鳥の代わりに、話を進める。恋のライバルとかそう言うのは、ちょっとタイムリーすぎるのでひとまず置いておくとして。
「明け透けに言っちゃえばそう言う事。どう? 学校一の美少女からこんな提案なんて、中々ないと思うけれど」
「だからって、なんで俺なんですか。小梅先輩なら、探せばもっと優良な物件見つかると思いますけど」
「んー、色々と理由はあるんだけど、まず一番は昨日のことでしょ?」
「……」
その話を出されてしまえば、俺はなにも言えない。そもそも、泣き顔を見た責任を取れと言われたのが、今この状況の端を発しているのだし。俺自身、女の子のそんなところを見てしまった罪悪感もある。
「それからあなた達、白雪桜って知ってるかしら?」
「小梅じゃなくて?」
「小梅じゃなくて」
少なくとも、俺は聞いたことのない名前だった。苗字が同じと言うことは、小梅先輩の親族だろうことは予想出来るけど。
だがこの場においてその名を知らないのは俺だけのようで。さっきまで真っ赤な顔をしていた駒鳥が、控えめに手を挙げた。
「私は一応知ってます……。その、白雪先輩のお姉さん、ですよね?」
「そ、あたしのお姉ちゃん。この学校に通ってたら、名前くらいは聞いたことあるはずなんだけどね。でも、椿君は私のお姉ちゃんを知らない。それがもう一つの理由よ」
「その、白雪桜さん? が、なにか関係あるんですか?」
時折、小梅先輩の口から出ていたお姉ちゃんとは、その人のことなのだろう。だがそれこそ、俺を選んだ理由との因果関係が分からない。
そもそもどんな人なのかと尋ねてみれば、小梅先輩が急にドヤ顔になった。え、なに、いきなりどした?
「ふっふーん。あたしのお姉ちゃんは凄いんだよ! 二年前の生徒会副会長で、その時にお兄さんと一緒に、この学校の色んなものを変えてくれたの! あたしの方が勉強も運動もその他諸々優れてるとは思うけど、でも、そんなあたしよりもよっぽど魅力的な人なんだから!」
「えっと、当時の生徒会の人達は、例えば体育大会を紅白のチームに分けたり、文化祭のスケジュールを一から見直したり、後は指名制だった会長職を、ちゃんとした選挙にしたりとか、色々と変えたみたいですよ。その時の副会長が白雪先輩のお姉さんだったらしいんです」
随分と抽象的な小梅先輩の姉自慢に、駒鳥が丁寧に補足してくれた。ありがたい。
たしかに、そこまでの改革をもたらした人なら、卒業後も名を残していてなんらおかしくないだろう。俺が知らなかったのは、ただ単にぼっち故の情報収集力のなさが原因のようだ。
「でも、駒鳥はよく知ってたな」
「私は、文芸部の先輩からお話を聞いていたので」
そうか、同じぼっちでも、駒鳥は部活に所属してるもんな。部活ではぼっちになってないようで、俺は安心したよ。悲しくなんてないんだからな。
「そんなお姉ちゃんを君は知らない。これがもう一つの理由。あとはまあ、あたしの同級生ってみんなガキっぽいからさ。それに比べると、椿君は老けて見える、じゃなくて、ちょっと大人っぽく見えるし!」
「そこまで言ったら言い直さなくて結構ですよ」
まあ、同年代のやつらに比べたら、それなりに苦労している自覚はあるけど。主にこの身に降りかかる不幸のせいで。
それでも老けてるって言われるのは、何というか、凹むな……。
「と言うわけだから。これからよろしくね、椿葵君。あたしのこと、ちゃんと惚れさせてよ?」
「いや、まだ俺はやるなんて一言も──」
「じゃ、あたしは用事あるからお先にー! ここの鍵は大黒先生に返してくれればいいから!」
「えっ、ちょっと!」
こちらに反論の隙なぞ微塵も与えず、小梅先輩は教室から去っていった。結局、先輩の姉に関わる謎はなにも教えてもらってないし。
残されたのは俺と駒鳥の二人だけ。台風のように去っていった小梅先輩の背中を見送ってから暫くも経たないうちに、教室内は少し気まずい雰囲気が流れてしまっていた。
昨日のあの会話の後に、こんな展開だ。俺からはなにを言えばいいのか分からない。
「あの、椿くん……」
沈黙を破ったのは、駒鳥の控えめな声。
隣に視線を向ければ、しかし駒鳥は俺と目を合わせようとせずに、言葉を続ける。
「白雪先輩の暇つぶし、本当に付き合うんですか……?」
「まあ、一応……」
元より俺に拒否権などないのだ。昨日あのシーンに出くわしてしまったのだから。
「それは、どうしてですか?」
ようやく目を合わせてくれた駒鳥の瞳は、必死になにかを訴えかけているようだ。
俺は別に、小梅先輩から口止めされているわけではない。だから、唯一の友達である駒鳥には、せめて事情を説明すべきなのだろう。
けれど。今日一日接した小梅先輩は、その種類に差はあれど、ずっと笑顔を浮かべていて。
そんな先輩を見た後だからこそ、昨日のことは言うべきではないと思った。
「悪い、先輩が言ってたみたいに、ちょっと退っ引きならない事情ってのがあるんだ。これはさすがに、俺の口からは勝手に言えない」
「そう、ですか……」
駒鳥の目が再び伏せられてしまう。なにか間違えていないだろうか。告げるべき言葉はこれで本当に良かったのだろうか。
目の前で俯いてしまっている友人を見ていると、そんな不安ばかりが脳裏によぎる。
「……分かりました。じゃあ、私も頑張ります」
「頑張るって、なにを?」
顔を上げた駒鳥は俺を見ていなかったけど、その瞳には力強さが感じられる。それなりの時間を共にしてきたが、そんな駒鳥は初めて見た。
「恋のライバルを、ですよ」
さすがの俺も、その言葉に秘められた意味を理解してしまって。
これは、いつもみたいにツイてないとか、言ってる場合じゃなくなってきたかもしれない。
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