くちばしの曲がったカラス

「何が気に入らないんだ?」とくちばしの曲がったカラスは訊いた。


「わからない」と俺は少し考えてから言った。「たぶん、何もかもが気に入らないんだろう。空が青いことすら気に入らないんだ」


 そう言って俺は鼻で笑った。しかし、くちばしの曲がったカラスは笑わなかった。その代わり、不思議そうな表情を浮かべて言った。


「日は高く、空は青い。いいことじゃないか?」


「そうかもしれない」


「それに空はいつも青いわけじゃない」


 くちばしの曲がったカラスは空を見上げて言った。俺も見上げる。そこには濃いブルーの空が広がっていて、くっきりとした雲が一つ浮かんでいた。「夜が来れば黒くなるし、雨が降れば灰色になる。青いことのほうが珍しいくらいだ」


「あぁ、そのとおりだ」と俺は言った。「そして雨が降れば、人は文句や愚痴を言う。雨が気に入らないんだ」


 くちばしの曲がったカラスは俺の顔を見た。そして、ケケケと笑った。


「人間というのはよくわからん」と彼は言った。


「勝手なんだ」と俺は言った。




「俺にも気に入らないことが一つだけある」とくちばしの曲がったカラスは言った。


「何だい? それは」と俺は尋ねた。


 くちばしの曲がったカラスは翼を広げてバサバサと羽ばたいた。風が巻き上がり、黒い羽根が辺りに舞った。


「この色さ」


 巻き上がった自分の羽根が地面に落ちるのを待ってから、彼は言った。「くちばしの先から尻尾の先まで真っ黒ときてる」


「君は自分の体が黒いことが気に入らないのかい?」


「あぁ、気に入らないね」


 くちばしの曲がったカラスは吐き捨てるように言った。「あんたは他の鳥たちを見たことがあるかい?」


「他の鳥?」


「そうさ、ヒバリやらスズメやらツバメやらさ。何だっていい。そこらへんを飛んでる鳥たちさ」


「あるよ」と俺は答えた。


「あいつらは一羽として俺みたいに黒くはない」


 そう言うと彼は地面に視線を落とした。「きれいなもんさ」




「でも君の黒色だって悪くない」


 くちばしの曲がったカラスは、驚いたように俺の顔を覗き込んだ。


「本当に? 本当にそう思うかい?」


「あぁ、本当さ。悪くない。全然悪くない」


 彼はそれを聞くと、照れくさそうに微笑んだ。


「ありがとう。そんなことを言ってくれたのは君が初めてだ」


「誰もが思ってることをすべて口にするわけじゃない」と俺は言った。「実際に言わなくても、そう思ってる人は他にもたくさんいるさ」


「それを言ってくれたのも君が初めてだ」


 そう言って、くちばしの曲がったカラスは微笑んだ。




「ところで君のくちばしは少し曲がってるけど、それはどうだい?」と俺は訊いてみた。


「どうだいって?」


 彼は不思議そうな顔をした。


「それは気に入らなくはない?」


 くちばしの曲がったカラスは、とんでもない、というように首を振った。それから声に出してそう言った。


「とんでもない。俺はこれが気に入ってるんだ。すごくね」


 そう言って、彼は三度その場で飛び跳ねた。ピョン、ピョン、ピョン。


「俺のくちばしは俺が生まれたときから曲がっていたし、他に俺みたいなくちばしを持った鳥はいないからね」


「君も十分に勝手なように思えるけどね」と言って俺は笑った。


 彼もしばらくそのことについて考えていたようだったが、やがてケケケと笑った。


「そうかもしれない」




「そろそろ行かなきゃならない」とカラスは言った。「もうすぐ夜が来るからね」


 そう言うと彼は西の空を見た。地平線の辺りはすでに茜色に染まっていた。


「君のおかげで、少しは飛ぶことが楽しくなったよ」と彼は言った。「あんたたちは俺たちが空を飛べることを羨ましく思うかもしれないが、俺たちは好きで空を飛んでるわけじゃないんだ」


「そうなのかい?」


「あぁ、そうさ。他に方法がないから飛ぶんだ」


「それは知らなかったな」と俺は言った。


 ケケケとカラスは笑った。




「あんた、空が青いことがまだ気に入らないかい?」とカラスは尋ねた。


「気に入らないね」と俺は答えた。「でも前ほどじゃない」


「そいつはよかった。あんたは色々と俺のことを褒めてくれたから教えてやるよ」とカラスは言った。「夜が来る前に、よく空を見ておいたほうがいい。しばらくは空は青には戻らないかもしれない」


「それはどういうことだろう?」と俺は尋ねたが、カラスはそれには答えなかった。


「日は高く、空は青い。いいことじゃないか?」とカラスは言った。


「そうかもしれない」


 俺がそう言い終わる前にカラスは飛び去った。彼は西の空へ向かって飛んでいき、徐々に小さくなって、やがて茜色の中に溶けていった。俺は空を見上げた。空はブルーからくすんだ藍色に変わっていた。夜が近いのだ。




 あれから三ヶ月が過ぎた。あの日以来、夜は一度も明けていない。彼は正しかったのだ。


「日は高く、空は青い。いいことじゃないか?」




 そうかもしれない。

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くちばしの曲がったカラス Nico @Nicolulu

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