お好みオムレツ
フカイ
掌編(読み切り)
まな板の上で、2枚ほどのキャベツの葉をくるくる巻いて、握りこぶし大に。揃えた左手の指の節に包丁の横面をあてがって、トントントンとリズミカルに千切りに。ひととおり細い線キャベツが出来上がったら、90度向きを変えて、同じようにトントンして、それをみじん切りに。
冷蔵庫から出してきたハム。包丁の刃先を立て気味にして手前に引くように切れば、重なりを崩さずみじん切りにできる。
右手の中で包んだ卵をシンクの端でトントンして、ボウルの上で殻を開くようにすれば、片手で卵を割ることもかんたん。
そのなかにキャベツとハムの千切りを入れて、白だしをチョロっと、マヨネーズを3センチくらい。そして決め手は『オタフクソースの天かす』。イカの天ぷらでできた天かすで、風味がとても強く、あらゆる料理のだし代わりにもなるスグレモノ。
それらをボウルの中でよく混ぜる。
「あぁ…」と、あの人がぼくの耳の中でため息をつく。「そこ…ダメなの」
ぼくの指は、ベッドの中で、あの人の芯を捉える。芯のなかで蜜をすくって、ちいさな突起にそれをやさしく塗り込む。
あの人の甘い吐息が耳の中に注ぎ込まれると、こちらの身体も強く熱く、反応してしまう。
水曜日の昼下がり、ぼくたちはお互いの会社を抜け出して、ホテルのベッドの中で肌を合わせている。あの人の肌とぼくの肌が溶け合って、互いの境目が分からなくなるほどに密な時間。指先がトロけた蜜の中を探り、あの人の指もまた、高ぶるぼく自身を捉え、包み、撫でる。
外は雪。だけどこのホテルの部屋の中で、ぼくらは汗ばんだ身体を寄せ合わせている。
軽く熱した四角い卵焼きフライパンにたっぷりとサラダ油を。
フライパンを熱し、油をサラサラに。それから柄を持ってパンを上下左右に傾けて、内面の全体に油を行き渡らせる。そうしたら、コンロの脇にあるオイルポットに不要な油を捨てる。
そのうえでコンロを弱火にしてから、ボウルの中身を三分の一だけ、そっとフライパンに流す。
ジュゥゥゥという音を立てながら、パンに拡がってゆくオムレツのタネ。
小さな泡をプツプツとたてながら、ドロリとしたタネの先端が丸く焼けてゆく。立ちのぼる香ばしい匂い。
コンロの火力を強めてからパンを持ち上げて、左右に傾け、タネを均等に拡げる。時々フライ返しを使ってタネをパンの半分まで伸ばして。
そこにまた、ボウルの中身を三分の一、追加する。
「明日は息子のクラスメイトのママ友たちと、小さなクリスマス会なの」
ゆったりとした前戯から、互いの名を呼び合って無我夢中になる時間を経て、ぼくたちはベッドの中で息を整えている。
ぼくの左手にあの人の右手が重なって。
互いの指のあいだに、相手の指を挟んで。
「ウチの子は、キリスト教の保育園に行ってるから、この時期は毎日、聖劇の練習ですよ」
「聖劇?」
「うん。イエスの誕生をテーマにしたミュージカル仕立ての劇なんです」
「あらかわいい。あなたの娘さんは何役なの?」
「マリア様だったら良かったんだけど、そこは別の子に取られちゃったから、東方の三博士のひとりなんですよ」
「三博士が女の子?」
「いま風なんですよ。男女同権ですからね」
ぼくたちは、ベッドの中で小さく笑った。
あの人はぼくよりも五つ年上。子どもも小学校三年生で、ウチの保育園児に比べると、少しお兄ちゃんだ。
「わたし達も男女同権じゃないとね。次の時はわたしが上になってもいい?」
笑顔でぼくはうなずいた。
四角いフライパンの全面に拡がったタネ。フライパンを火から離して強めの遠火でタネに火を入れてゆく。
タネが固まり切る前に、フライ返しを使って、半分を織り込む。ココがこの料理のポイントだ。フライパンを軽くゆすりながら、タネの底面がパンに張り付いていないことを確認。それからフライ返しをていねいに、パンとタネのあいだに滑り込ませる。あとは一気にタネの折り返しを行う。パンの左右にこぼれぬように気をつけながら、エイっと。
ひっくり返されたタネの裏側はまだすこしも焦げていない。黄色い卵とキャベツの緑がまだらになって、そこにピンクのハムが見え隠れする。とてもきれいな色。
四角いフライパンの空いたスペースに、残りのタネを流し込む。パンをまた左右に揺すって、残りのタネも均等に拡げて。
最後はフライ返しで、その残りのタネのまだトロけている表面に、先程裏返した分をひっくり返す。お布団を折りたたんでゆくように。そして固まっていない表面が、ひっくり返された裏面とよくくっつくように。
コンロの火力をまた弱め、もう一度パンをコンロに置く。その上で、オムレツの形を整形してゆく。
フライ返しを使ってパンの縁にオムレツを寄せて、ぎゅぅぅって押し付ける。パンの縁に押し付けられたオムレツから、ジュゥゥって音がして、小さな泡がいくつもはぜて、いい匂いが立ちのぼる。
もう一息だ。
「クリスマス会のホームパーティーのメニュー、どうしようかな?」
「ケーキとか焼かないんですか?」
「それはホストのママさんがやるでしょ? だからそれ以外のチキンとかそういうものを持っていくのだけど、もう月並みなレシピばかりになっちゃうのよ」
ぼくは隣に横たわるあの人の肩を甘噛みする。
歯を立てて、そのすべすべの肌を味わい、そっと舌を這わせる。
なんてきれいな肌だろう。なんて甘い身体だろう。
ぼくはあの人に夢中になる。
その時ふと、心の中にあのレシピが浮かんでくる。
「お好みオムレツ、っていかがですか?」
「お好みオムレツ?」
「うん。お好み焼き風のオムレツなんです。ぼくが適当に作った料理なんですけど、ウチの娘は大好きなんですよ」
「それ、どんな風に作るの?」
あの人はベッドの中で、こちらに向き直った。
そしてぼくの顔を捉えると、唇を寄せてきた。
あの人の舌が、ぼくの舌に絡む。
「教えてくれたら、うんと気持ちいいこと、してあげる」
四角いパンの中で、オムレツを裏返して。パンの底と柄の側の壁を上手に使って、オムレツの四面に優しく火を入れてゆく。焦げ目がつくと見た目が悪くなるので、あくまで弱火で。時々オムレツの上からフライ返しで力を入れ、パンにオムレツを押し付ける。すると中の水分が抜けて白い蒸気が出てくる。その湯気が弱くなった時が、オムレツ全体に火がまわった証拠だ。
四角いオムレツの各面が、きつね色に仕上がって。キッチンには、卵とだし、そしてイカの天かすの混じったとてもいい匂いが漂う。
まな板にペーパータオルを敷いて、そこに焼きたてのオムレツを置く。そしてペーパータオルで丁寧に丁寧に、オムレツを包み込む。すると、ペーパータオルに余分な油が染み込んでゆく。
最後にペーパータオルをはがして、包丁で一口大に切り分ける。
表面のきつね色。断面はキャベツのグリーンとハムのピンク、そして卵のイエローが渾然一体となったとてもきれいな色合いになっている。
あの人がこれを上手に再現できるように、この文章をメールして、今日はおしまい。
宇多田ヒカルの『二時間だけのバカンス』をスピーカーからリピートで流しながらね。
お好みオムレツ フカイ @fukai
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