メイド喫茶とコスプレと執事服と
今日は私が誘ったほうのライブの日。
昨日は武道館みたいなでかい場所でのライブだったのに、今度は名前を聞いてもぴんと来ないマイナーな小さいライブハウスでの合同ライブ……。
なんか……申し訳ない気持ちでいっぱいだ……。
昨日と違ってそんなに長い公演時間ではないので夕方にでも付けばいいのだが、晴さんの提案で昼から駅で待ち合わせをし、街に繰り出していた。
そして、今は……。
「ええやん! ええやん! 可愛いで深夜ちゃん!」
「は、晴さん……見ないでください……めちゃんこ恥ずかしいから……!」
スマホのカメラを連打する晴さんの前で膝から崩れ落ち顔を覆い隠す私。
私は、目も当てられない格好をしていた。どうしてこうなった――。
晴さんのご要望で私たちは秋葉原に来ていた。
そして、晴さんが事前に予約していたという、メイド喫茶でお茶をしていた。
喫茶店でも事前予約とかあるんだ……。
しかし、それにしても全く馴染みのない空間で、どこか現実離れしている。
「こういうとこ、初めて入るッス」
「そうなん?」
「なんていうか、男の人のための場所ってイメージなんで」
「確かになぁ、けど、最近はそうでもないんよ……」
そう言って晴さんはテーブルの上にある一枚の紙を差し出してきた。
「メイド、体験……ッスか?」
「うんそう! この店で出来るらしいんよ!」
なんか、めちゃんこ前のめり、というか、うっきうっきでキラキラしてる。
どうやら事前予約した客に限り、メイド服を借りて写真撮影が出来るというサービスをこの店ではやっているらしい。
「晴さんこういうなんも興味あるんスね。私はやったことないな……」
そもそも、一般人が嬉々として
「せやろうと思ったさかい、今からやるんやろ?」
「………………え?」
どういうこと?
と目を丸くしている間もなく、奥から従業員のメイドさんが現れた。
「ご予約の雪下様とお連れのお客様、準備が完了いたしましたので、どうぞこちらへ」
「うぇっ!?」
――と、あれよあれよという間に、撮影スタジオにつれて来られ。メイド服に換装させられたのだった。
「スカートなんか、制服以外で履いたことないよ……」
「大丈夫やって!
あ、晴さん興奮しすぎて聞こえてない。
いや、知ってたよ。声優目指しるって言ってたし、昨日のライブもアニメ系だし、今日に至っては隠す気全く無いし。
「そんなにメイド服が好きなら、晴さんが着ればいいじゃないですか! なんで、晴さんは執事服なんですか!」
「ん? いや二人ともがメイド服でもしゃーないやん。それに――」
晴さんは撮影を中断し、私に近づいてくる……ってなんか近くね?
そのまま、膝を折って私に目線を合わせた。至近距離の晴さんは手袋を嵌めた手で私の顎に触れ……うぇっ!?
「何、恥ずかしがってんだよ。大丈夫だよ。ちゃんと似合ってっから」
……何が……起こってる? 私より小さい晴さんが私の目線より若干高いとこにいて、それで、ええ……目線を合わせるために、顎をクイって……低い声で……!
「みたいな、同僚のメイドと執事ごっこが出来るやろ」
「あ、あわわわわ……!」
ものっそい間抜けな声が出ていた。
慌てふためいていると人って本当にあわあわ言うんだな……。
「晴……さん! 毎度毎度、顔、近いっ……!」
なんとか振り絞って取り戻した自我で晴さんを押しのける。
「近い……と息、詰まる、から」
多分、もっと深刻な事態に繋がりかねないんだけど。
「そっか、せやな、好きでもない事無理矢理押し付けんのはようなかったよな……」
ちょっと強く拒絶しすぎただろうか。
「べ、別に嫌だったわけじゃ……ないです。ちょっと恥ずかしかっただけッスから」
ちょっと晴さんに甘い気がするぞ……私。
「そう? なら、今度は衣装取替えっこしよっ!」
まあいいか。晴さんは曇り顔よりも、その名前の通り晴れ晴れとした表情の方が似合ってるし。
「――ん? 取替えっこッスか?」
「そ、スカートは嫌みたいやし、執事服なら恥ずかしいないやろ?」
つまり、晴さんが今着てた服を私が袖を通し、私が今着てた服を晴さんが袖を通す。ということか!? それはもうセックスなのでは!?
いや、それは発想が飛躍しすぎだ。
それにしてもだ、こんなの人生で一度たりとも経験したことがない。普通に生きていて友達と服を取替えっこする機会などあるだろうか、いや、普通はないだろう。
まさか、そんなビッグイベントがこの身に舞い降りようとは……。
「いいですね、やりましょう」
人は頭に熱が回りすぎると帰って冷静になるって耳にしたことはあるが、本当だったんだな。
「やっぱ、コッチの方がよかったんやな。んじゃ、深夜ちゃんのサイズ用意してもらうな!」
…………んん?
あ、うん、そうッスよね……晴さんと私じゃサイズ合わないですもんね。晴さんが着てたのをそのまま着れるわけじゃないんだよね……。
「やっぱり、スラックスの方が気持ち楽ですね」
髪形も晴さんに弄られ、いつもより低い位置で一本に結ばれ、より男装っぽくなった。胸をサラシで潰すのは流石に初体験だけど。
「うんうん、足長いし線が細いさかい、深夜ちゃんはズボンとか体のラインが出る服が似合うな」
ニコニコしながらそういう晴さんの姿、いや周囲の空気感が華やいでいた。
心なしかロングスカートが手伝って幼く見え。手ごろに小さい体つきだからか、マスコット的で思わず抱きしめたくなる。
「晴さんも、やっぱりふわふわした感じの可愛い系の方が似合ってますよ」
「そう? ウチとしてはかっこいいのも好きなんやけどなぁ……まあ、けどこれはこれで……」
またしても晴さんが近づいてきた。
今度は何をする気かと、思わずたじろいでしまう。それすらも計算どおりと言わんばかりのしてやったり顔で私の首もとに手を伸ばす。
「タイが曲がってるじゃない、アナタはこの家の窓口みたいなものなんだから、しゃんとしないとご主人様のごめーわくでしょ!」
――っんん!
上目遣いは卑怯じゃないっか!
息苦しいなんてレベルじゃない……息が出来ないっ!
上目遣いだけでも致命傷なのに、さらにムスっとした表情とちょっと舌足らずな喋り方がミニマムな晴さんにちょっとしたアブナイ香りをプラスしている!
「ちょっと……晴さん?」
「ん? どうしたん、今度はさっきみたいに押し返さへんの?」
主導権が完全に握られてしまってる。
いいように弄ばれてしまってる!
どうにか、しないと、私の心臓が保たない……!
「い、今の晴さんは、触っちゃうと、その、なんていうか、駄目っていうか、イケナイ気がしまして」
「ふーん?」
しまった、墓穴を掘って飛び込んでしまった!
「えいっ!」
「――っは⁉」
かわせなかった。
私はその一撃を予見できていたのにかわせなかった。
不意の一撃ではない、晴さんの瞳には確かに怪しい光を覗かせていた。それは、つまり「今から攻撃に出るぞ」という無言の意思表示だった。
それに気づいてなお、私はそれに対応しうる手段を選択しなかった。
否、できなかった。
それは必殺の一撃であると同時に、甜すぎ過ぎる誘惑だったから。
自分から触れないと行ったのは、もはや敗北宣言だったのかもしれない。無意識に誘ってしまったのだ。
「な、何を……」
最後の力を振り絞って出した問に意味はまるでない。
亜麻色の髪が胸元にある。
私と晴さんとの間に隔てるものは空気の層1ミリだってない。
完全なる密着状態。晴さんの腕は私の腰の後ろで結ばれている。
抱っこ。抱擁。ハグ。ホールド。言い方を変えれば幾通りもあり、その仕方にも無限の解があるそれを。受けていた。
簡潔に言おう。
私は晴さんの腕に抱かれている。
「深夜ぁ……キツいこと、言ってゴメンね。私、ね。深夜のこと嫌いであんなこと言ったわけじゃない! だから――嫌いにならないで?」
留めの一撃。
声があまりにも甘い。
身体的接触に加え、彼女の最大の武器である声。食らったら最後ひとたまりもない。
「―――――――――ッッッ!!!」
私は声にならない叫びを上げ、魂は塵となったのだった。
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