デート一日目 後編

 晴さんに連れてこられたのは都営新宿線、九段下駅より徒歩三分。


「ふぅ、ようやく辿り着いたぜ。ぶどーかん」


 もう開場しているというのに、外には入場待ちの人で溢れている。ミュージシャンの聖地にして最高峰。日本武道館。

 待ち合わせの駅から到着まで実に一時間掛かった。多分順当に行けば十五分くらいで行けるくらいの距離だったと思うんだけど……。


「新宿で迷いすぎたんですよ。目的地を教えてくれたら案内したのに……」

「一度は来たことあるさかい、大丈夫やと思ったんやけどな……まあ、けど、ついでに新宿の駅の中も楽しめたし、開演時間には間に合ったし大丈夫、大丈夫」


 晴さんが先導して新宿駅の中を彷徨っているときに、見かけたオサレ度の高いスイーツショップで度々買い食いを挟んだのもあり、私達のお腹は少し膨れていた。

 というか、迷っている最中普通にデートしてるみたいで、お腹と同時に色々と一杯になっていた。


「おいおい、本番はまだまだこれからだぜぇ……私ぃ……」

「ん? どないしたん。歩きつかれてもうた?」

「いえ、大丈夫ッス! 体力には自信ありますから!」


 胸の高鳴りはとりあえず置いといて、武道館か……。

 晴さんの先生も粋なことをする。

 音楽で生きる人間、生きようとしている人間、そして、音楽を楽しもうとしている人間。いずれにとってもまさしく聖地と呼ぶに相応しい場所。

 この道にゴールなんてないが、あえて、標を立てるなら、ここのステージで歌うこと。それが一番の大きな目標となるだろう。

 ドームやアリーナと比べれば決して収容人数が多いわけではない。けど、かのビートルズがこの地で最初に音を刻みつけたとなれば、それに続きたいと思うのがアーティストの性だろう。


「せや、ずっと思っとったんやけど、深夜ちゃんそのTシャツ……」

「やっぱダサいッスか!?」

「いや、ちゃうちゃう。そのバンドが今日参加するって知っとった?」

「え? 適当に選んだだけっすけど」


 私が着てきたTシャツは五人組男性バンドのモノで、ここ武道館は勿論アリーナでもライブをしてるほどのメジャーバンドだ。

 熱狂的なファンに比べると大したことはないが、近場でライブを行なうらしいと知ればライブに申し込む程度には好きなバンドではある。

 けど、今日ここでライブをするらしいということは知らなかった。チェック不足だな。


「やとしたら、少し驚くんとちゃうかな。今日みたいな場面で歌うん見るのは」

「驚く?」


 晴さんの言っていることの意味はよくわからなかったけど、とりあえず、開場しているので中に入る。

 私達は二階席の南西側、まさかの最後列だった。


「高っ!」

「深夜ちゃんも来たことあるんとちゃうん?」

「私が来たときは一階席とアリーナ席だったので、二階席は初めてなんです」


 結構ステージとの距離はあるけど、近くで見るよりステージ全体がよく見える。

 いやステージだけじゃない、見渡せばこの広い武道館全体が視界に収まる。


「ウチが前に来た時もこの辺やってんよ。最初はステージから遠いし、アーティストの顔よう見えんし、立ち見とあんま変わらんやん。って思ったんやけどな。今は、ココじゃなきゃ駄目やったって思ってる」

「それってどういう意味ッスか?」

「始まったら、きっと分かるで」


 晴さんが不敵に微笑んだ。

 その真意をはかれないまま、座席にあった今回のライブの案内を手に取る。


「アニソンの合同ライブ?」


 なるほど、晴さんが最初に驚くって言ってたのはこれか、確かにあのバンドがアニソンを歌っていたというのは知らなかったけど。


「うん、深夜ちゃんはロックとか、J-POPとかの方が好きやろうから、楽しんでもらえるかどうか分からんけど……」


 晴さんの表情が不安げに曇る。


「晴さん、どうしてそんなこと聞くんスか。いい音楽は誰が聞いても、いい音楽なんです。晴さんが好きで、いい音楽だって思ったなら胸を張ってください。むしろ、私を虜にしてやる、ぐらいの勢いでもいいんです」

「…………めっちゃかっこいい……」

「は、晴さん!?」

「っ!? ごめん! 今のなし!」


 晴さんは思わず口をふさいだかと思えば自分が持ってた案内を盾に顔を隠してしまった。

 え、なに? このめちゃんこ可愛い年上のお姉さんは? 


「ほ、ほら、もう始まるさかい、ちゃんと見なあかんで!」


 また逃げた。

 以前、晴さんが『私の色んな顔が見れて嬉しい』みたいなことを言ってたけど、なるほど、今ならその気持ちがよく分かる。

 主に晴さんの自爆でだけど。

 と、晴さんの可愛らしい一面に見惚れるのもいいが、本当にライブが始まってしまう。

 席は完全に埋まっているようで立ち見の人もいるようだ。

 これまで、アニソンというものにあまり馴染みの無い人生を送ってきたけど、一体、どんな新しい発見があるのか、私はわくわくしている。


 開幕するために会場の明かりが落ちる。

 そこで、私は晴さんが言っていた意味の一端を理解した。

 暗闇の中で次から次に様々な色の光が灯っていく。

 全体が見渡せる。ということは当然観客席も。これだけ大勢の人々が一斉に手に持ったペンライトを点灯させる瞬間というのは圧巻だ。

 けど、本当に驚くのは、本当にライブが始まってからだった。


 武道館のライブには何回か来ている。それでも生バンドの演奏を全体に響かせる爆音の音響には息を飲む。音の振動が肌で分かるほどの音圧は興奮を増幅させる。

 けど、それはきっとこの会場のどこにいても味わえる感動だ。

 晴さんが、『ココじゃなきゃ駄目』と言った理由を完全に理解した。

 ココはステージと対になってる。言い換えれば、ステージから見る観客席をそっくりそのまま反対側から見ているのと同じ景色が見えている。

 だからこそ、ステージに立つ人間の凄まじさが、まざまざと突きつけられる。

 一体感。一万を越える人々の注目が一点に集中し、一つの生き物のように統率された動きで音に合わせて光を振る。

 パフォーマーであると同時にあの場に立っている人間は指揮者コンダクターでもあるんだ。

 そしてこれらの光の瞬きは一つとして例外に漏れることなく、あの場に向けられる。私はその様子を傍から眺めているに過ぎない。

 この光の輝きは、彼ら彼女らにのみ与えられる、満天の輝き。

 私の夜空には未だ都会の街明かりに埋もれた真っ暗な闇と白く輝く月しかない。


「いつか……」


 あの場に立つものだけに与えられる星空。

 自分だけの、星空を作り出せる、あの場所に私は。


「いつか、私も――」


 まだ、一番遠くから羨望という光を送っているだけの小さな星の一つだけど。

 声援を浴びたいわけじゃない、憧れを抱かれたいわけじゃない。

 私は見たい、こんな見下ろしてみるんじゃなくて。見上げて、しっかりと目を見開いて、手が触れらそうなほど近くで溢れている光を。


「あの場所に、立ちたい……!」


 あぁ……なるほど、本当にココじゃなきゃ駄目なんだ。

 ただの光の一粒じゃ、きっとここまで焦がれられない。

 一番離れているからこそ、似ているようで全く違うからこそ、今の本当の自分の立ち位置がちゃんと見えているからこそ、この渇望が生まれるんだ。


「そう思ってくれるって思ってたから、知ってほしかってんよ。深夜ちゃんは絶対になあなあで終わらせん人やから」


 独りよがりで燻っていた私の心に、より、確かに、今まで以上の熱量が湧き上がってくる。


「きっと、この場で見てへんかったら夢を追って後先を考えないで突っ走るだけの勇気持てへんかった。せやからココが私のスタートライン」


 最後に晴さんは「って言っても、まだまだ、進めてへんねんけどね」と付けたして恥ずかしそうに笑う。

 ただただ私は嬉しかった。

 ココは晴さんの原点。そこを紹介してくれた。これは私の勝手な思い込みかも知れないけど。晴さんにとって私は何かになれた、そんな気がした。



「ふぅ、熱かった……」

「アニソンも結構、カッコええもんやろ?」


 ライブが終わり、私と晴さんは熱気冷めやらぬまま、ギターも持ってきていないというのに、どうしてかそれが当たり前かのようにいつもの駅前にやってきていた。

 五月の夜風は火照った体には程よく心地いい。


「ウチもな、あの場所に立ちたいって思ったんよ。初めて見たライブで」

「私も音楽をやっているなら当然の目標だと思ってたけど、今日、ようやく、あの場所が明確に目指したい場所だって思えた気がしました」


 私も晴さんも夜空を見上げていた。

 空に浮かぶのは少し欠けた月だけ。その周りに本来あるはずの星々はどれだけ晴れていてもこの街では見えない。――そう思っていた。


「あのライブが終わったら深夜ちゃんに言おうと思ってたことがあるんよ」


 隣に座る晴さんは、顔の向きを変えることなく、私に語き掛ける。


「歌手やバンドと声優アーティストって歌うけど本当は全然違うモンやってのはわかってる。でも、あの場所ではちゃうモン同士でも一緒に音楽を奏でられる」


 そうだった。私が知っていたバンドと今日参加していた私の知らない声優アーティストがコラボして、彼らが奏でる音楽を背に歌っていた。

 その姿はとても不思議で、けど、とても楽しそうにも見えた。

 名前も今日始めて知ったアーティストばかりだけど、どの人も大勢を惹きつける魅力を持っていて。その熱量がぶつかり合って、さらに強く熱狂の渦を生み出した。


「辿っていく道はウチと深夜ちゃん全然違うと思う。けど、いつかその道の先はあの場所で繋がってる。だから――」

「晴さん、それは野暮ってもんッス」


 思わず、私は晴さんの言おうとしていることを遮った。

 それは少し違うと思ったから。


「私は絶対にあの場所に行きます。全力疾走で。そこに晴さんがいるのを信じてますから。だから、晴さんも信じてください。きっとそうすれば私達は――二人であの舞台の星空を見上げられます」


 約束はしない。

 なぜなら、私は信じているから、交わさなくても。一緒にあの光景を見た晴さんとなら、道は必ず繋がっていると。


「せやね……ウチも信じとる。だって、ウチが惚れ込んだアーティストさんなんやから……!」

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