譜面の間 石戸七弥は計算高い
石戸七弥は計算高い
これは、私が高校に入学して間もない、髪も括るほど長くは無かった頃、つまり、まだ石戸七弥と出会う前、さらに言えばあのアメさんの存在なんて予期すらしていなかった頃の話だ。
さて、どうしたものか……。
校門と昇降口前の間のなんて言ったらいいのかよくわからんスペースの桜並木が、そこそこに散っている具合の季節。
校内では大して盛んではないうちの学校の部活動の新勧活動で無駄に騒がしかった。
つい最近、体育館に新入生を押し込めて部活紹介が催されたのだが。期待はずれ……いや、親の機嫌をとるために入っただけの自称進学校だったし、期待なんぞほぼほぼ無かったから、案の定か。
この学校の軽音楽部のレベルはお世辞にも上手いとはいえない。いや、上手い下手以前に音楽への情熱や愛情はまるで無いに等しいといっても言い過ぎじゃない。
「カラオケレベルもいいところ……それになんだあのへたくそな演奏は……」
歌と演奏が全くかみ合ってない、せめてどっちかが合わせるべきだ。
自分ならもっと上手く弾けるし、歌える。
そんなことを放課後の誰もいなくなった教室で、私は不満げにこの喧騒が収まるのを一人で待っていた。
こんなところで時間を無為に過ごすのも嫌だけど。ギターを
いったい、いつになったら終わってくれるのか。
どうせ、どいつもこいつも外に出て自分が入る部活を探しているのだから、いっそここで練習を始めてしまってもいいか?
いや、教室ってのは窓を締め切ったとしても割かし外まで響く、ってのは中学の頃に学習済みだ。仮に閉め切って音が漏れなかったとしても突然教室に入ってくる奴がいないでもないかもしれない。
教室はリスクが多すぎる。
少し、学校見学も兼ねてギターの練習が出来そうな場所でも探してみるか。
もしかしたら、両サイドを通常授業で使ってない教室で挟まれた空き教室なんてのもあるかもしれないし。
○
結果として、そんな都合のいい教室はなかった。
学級が割り振られている教室以外はどれも文化部の部室になっていて、空き教室のように見えた教室は男女の密会のホットスポットとして有名らしく、それらしい痕跡が散見できた。
十中八九無理だと分かってはいたが一縷の望みを持って音楽室にも寄ったが統一感のない、指揮者なんていてもいなくても変わらない下手くそな吹奏楽部の演奏が聞こえてきた時点で引き返した。
学校で練習するのは諦めた方が賢明かな。薄い壁のマンションの
カラオケは言わずもがなお金が掛かるし、河川敷の人通りが減るのは日が暮れてからで時間がもう少し経過してからでもないと。
やはり放課後の数時間が少しもったいない。
時間を有効活用するためにもバイトを考えておいた方がいいかもしれない。バイト禁止の学校だけど離れた場所ですればバレることもないだろうし。
窓の外を見てみると、未だ外は学生で溢れている。
時間を潰そうと教室に戻ってみると、クラスメイトが何人か戻ってきていた。
「何部にする~?」「えっとね~、私は~」などと話合っているようだ。会話声がしている環境でゆったりとしていられるほど、私は剛胆じゃない。
どこか他に一人になれる場所を探そう。
図書館はなんかの部活が説明会を開いていて無理だし、さっき見つけた空き教室はどこぞのカップルが本来の用途で使ってるらしき声が漏れ出ていてため息がこぼれてしまう。
こういう場合に都合のいい場所というのを私は知っている。長年ボッチの実績は伊達ではない。
そこは誰も使わない階段の踊り場、つまり、最上階と屋上を繋ぐ踊り場だ。屋上なんて普通締め切られているしここを通過する人間なんていない。
「おし、先客なし」
昼休みなんかにくると
本来、そのくらいの黄金の足を保有している私だが、今日は校内でのギター練習場所の捜索という仕事があったため脱出が遅れてしまっただけなのだ。
昇り続く階段の無い踊り場に腰を落ち着けようとすると、隙間風が吹き込んでくることに気がついた。
まさか……?
隙間風の発生源となる場所を周囲を見渡して探してみると、外と中を繋ぐ経路は一つしかないことがわかった。
屋上へと続く扉。
都立高校では珍しく、屋上が開放されている? いや、簡単な仕組みの鍵だったようでドアノブが壊され無理矢理解錠させれているようだ。隙間風もココから吹いているみたいだ。
この事実がどれだけの生徒が認識しているのかは分からないが、利用者が少しでもいるとココも絶対に安全とは言い切れない。
念のため、外を確認しておくか。
思えば、学校の屋上なんて物語の中でしか見たことがない、学校に存在するくせに在学中に目の触れることのないスポット。そんなとこに足を踏み入れるということにちょっとした優越感と高揚感が私の胸を占拠した。
未知への扉を開く。
そう言葉にしてみるだけで、なんか、ちょっとしたイベントに昇華した気分になる。
実際のところ大したことじゃないかもだけど、この一歩が何かを変えるかもしれない。そう思うとわくわくする。そういうものだと私は思う。
生唾を飲んで、ドアノブに手を掛ける。
「へぇ……」
開いた先にあったのは、肌寒さを感じさせる温まりきっていない春の風と、思わず目が眩んでしまう黄昏の空。
ビルの隙間から差し込む陽光が水平に広がり、空をオレンジに燃やし、夕空の端は群青に交わらせ夜闇を迎える準備を始めている。
「うん……悪くない……!」
悪くないファーストコンタクトだ。
高い場所、といっても街に繰り出さばココより高い場所なんて山のようにあるだろう。けど、この瞬間、この三年間のウチでこの場所を見つけられた者だけに与えられる景色。
この時間制限付きの輝きは、とても価値のあるものだ、と私は思う。
と、感動するのはいいが、本来の目的を忘れてはいないだろうか?
少し屋上を歩いてみる。
ゴミなんかは落ちていない。生活感、というと変だけど、ここしばらくの間、誰かが来たような痕跡は見当たらない。それどころか風化して削れたコンクリートの床の砂埃の上には私がつけた足跡以外見つからない。
どうやら、ずっと前に誰かがドアを壊してそのまま放置されていたのだろう。
そうなってくると、ここは都合がいいかもしれない。
階段の壁を背に校舎裏の方へ向く。多分ココならアンプに繋いでないギターの音はそんなに響かないだろう。
直接座るのは少しばっちいので、読み終えた薄い雑誌を座布団として敷いて腰を下ろす。
脇にカバンとギターケースを下し、中から相棒のギターを取り出す。
座って練習すれば声を張り過ぎることもないだろうし、少し肌寒いことを除けばココは最高の練習場所だ。
手に入れた……! 私しか知らない、私だけの場所。
これで、きっと高校生活の三年間は安泰だ。
そうと決まれば、早速練習だ。と言っても今は作ってる曲もないから、指が鈍らないように慣らすだけだけど。
普段ならここでお気に入りの一曲である『天体観測』といいたいところだけど、ここは口直しも兼ねて、部勧で軽音楽部の連中が演奏していた『小さな恋のうた』でも弾いてやろう。
正直、ラブソングはそんな積極的に聞くことがないから歌詞も譜面もうろ覚えだけど、慣らし弾きならサビをループして弾ければいい。歌は……ハミングで妥協しよう。
それでも、絶対に、私の方があんな連中より巧く弾ける。
「1,2――1、2、3、4」
イントロも覚えていないから最初からいきなりサビからだけど、好調な滑り出し。
軽音のボーカルは女子生徒だった。標準的な女声キーの。
本来、男声曲でそこそこ低いこの曲を歌うんなら、演奏のキーを上げるか、ボーカルが音程を下げるかしないとチグハグになるなんて、言わずもがなだ。
それなのに、原曲の劣化コピーの演奏、合ってない音程、本当はここまで言いたくはないけど、耳障りだった。
私は多少音の高低幅があると自負しているがそれでも、あの曲を原曲の音程で歌える気はしない。だから、ギターのチューニングをいくらか高くしギターの方を私の歌声の低音に合わせる。
ギターソロだが、しょぼくならないように他のパートの穴を埋めるようにアレンジも多少入れて形にする。
先に一通り弾いて二周目からハミングを入れよう。
「~~♪ ~~~~♪」
やっぱり、学園祭なんかの定番曲なだけあってリズミカルで楽しい曲だ。一度歌詞もちゃんと読んでみるか。
――これはあとから歌詞を読んで思ったことだけど、恋を知らない私にこの詩に出てくるような永遠を誓い支えあえるような等身大の恋など、出来るのだろうか? そんな人が出来たらいいなとは考えたこともないけど、いたらいたで、私の世界はどのように変わっていくんだろう?
「~~♪ ~~♪ ――ん!?」
三週目に入ったところで違和感が生まれた。私はミスはしていない。したとしても大きく音が外れるようなことはないはず。
それに、この違和感は音が外れたことによる不快さが生んだものじゃない。
音が――増えた?
まるでタイミングを合わせたかのように自然とさりげなく音が一つ増えたのだ、自分が弾いていたときとはまた違う色が生まれる。
主旋律の音程が変わったわけじゃない、それでも厚みができた。これは――ベース!?
四周目には入らず、私は演奏を中断した。ベースの方はもう一周来ると思ったのかループの頭を少し弾いてから私が止めたのに気づき数秒たってから音が止んだ。
軽音楽部の誰かではないだろう。
やつらのベースはベースのなんたるかも知らないド素人だった。それとは比べ物にならないくらい今のベースは巧い。
途中から入ってきたのにも関わらず、私のギターに合わせた。いや二周弾いただけの演奏に有効なベースアシストを差し込むなんて、まさに職人芸だ。
「可愛らしい鼻唄と、情熱のこもったギターが聞こえてくると思ったら、こんなとこにで新入生がギターを弾いていたとは」
壁の陰からひょっこりと顔を出したのは眼鏡顔の男……誰だろう? まったく見たことがない顔だ。上級生……にしては少し老け過ぎている気がしないでもない。
顔に続いて全身を捉えると彼はスラックスに襟付きのポロシャツといった格好で制服を着ていないところをみると生徒ではないことが分かる。
ということは教師!?
「あ、あ、あの、す、すいません屋上は立ち入り禁止ッスよね! 今、出てくんで学年主任には――」
「ははっ、慌てなくいていいですよ。俺も君と似たようなものですから」
そういって彼が掲げたのは提げていたベース。
「っていうことは先生が……」
「そう、さっきは割り込んでしまってすいません。俺はこの学校で音楽の講師をしている石戸 七弥です」
めちゃんこミスマッチだ……。
セミフォーマル? のような服装でベースを提げていたり、丁寧にお辞儀をして挨拶したり。どうもこの七弥と名乗った先生はチグハグだ。
「は、はあ……私は一年の丹華ッス。ところで石戸先生は、どうしてこんなとこに?」
「七弥、でいいですよ、歳もそう離れていないことですし。実は講師であることとは関係なくバンド活動をしているもので、いつもなら俺がいるとき吹部は休みで音楽室が使えるんですけど、今日ばかりはそうもいかず、あてもなくうろついていたところで君のギターが聞こえてきたんです」
「へぇ、そうだったんスか」
けど、ギターの音はそんなに大きくはなかったはず……。偶然通りかかったいい腕のベーシストが私のギターに合わせに現れた?
ちょっと、都合が良すぎやしないか?
「君は軽音部に入部希望なんですか?」
「それ、冗談で言ってます?」
「そりゃそうですよね、君のギターの腕とあんな下手くそなお遊びグループとじゃ釣りあいませんよね」
なんか、ナチュラルに隣に腰を下ろしたぞコイツ。まあ、なんというか良く言えば人畜無害そう、悪く言えばヘタレそうなこの教師……じゃなくて講師か、が手を出してくることはないだろうし。イザってときは迎撃すればいい。
さりげなく、私はいつでも機動できるように胡坐から体育座りへと体勢を切り替えておく。
「まあ、そッスね。だから、ここで練習してたってわけッスけど、校舎の中まで聞こえてるんじゃ他の場所を再検討しないとッスね」
「その心配は杞憂だと思いますけどね。今日みたく当て所なく歩きでもしない限りここの階段付近は滅多に人は通りませんし」
……本当に偶然か?
「まあ、けど少しは校舎に響くのは事実ですしね……あ、そうだ、良ければでいいのですが、こういうのはどうでしょう?」
七弥の提案とは、自分がこの学校に出勤しているとき自分が音楽室を管理するから、その間、私にも音楽室を貸し出すというもの。
音楽室を貸し出す、というのは場所は勿論、設備も使ってもいいということらしく、CDプレイヤーやアンプも使っていいとのことだった。
話が美味すぎる……。
「どうして、そこまでしてくれるんスか?」
「そりゃ、持ちつ持たれつってやつですよ。同じく音楽を愛する者同士協力するのは当然では? それに俺がなにか消費するわけじゃないですしね」
裏がありそうではあるけれど、うまみがあるのもまた事実。
――まあ、大丈夫だろう、この程度の体格の男なら。
「それでは、お言葉に甘えさせてもらうッス。あ、それはそうと、多分関係ないと思うんッスけど――私、一応、柔道有段なんで」
「えっ?」
「よろしくお願いしますね。七弥センセ♪」
これは石戸七弥が。馬鹿な女を引っ掛けようと、策を弄した結果。圧倒的な不運で計画を失敗して、私と出会ってしまった話。というわけだ。
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