一人ぼっちの天体観測

 私はいつもの広場の定位置に腰掛け、ギターの準備を始める。

 この時間帯に制服のままじゃ流石にまずいので空いたギターケースにブレザーの上着やブラウスを押し込んでサイズ感の合わないちょっとぶかっとしたTシャツ一枚と制服のスカートという傍から見れば少し変かもしれない格好になる。

 いつも通りの時間、この一年変わらず続けている習慣。しかし……。


 今日は、遅いなアメさん……。

 

 この一ヶ月、いつも変わらずギターの準備を始めたくらいのタイミングでアメさんは現れていた。

 けど、今日は何曲か歌い終わっても、彼女はやって来ない。

 それ以外はいつも通り、立ち止まる人はまばらで、誰も最後まで引き止めることは出来ない。

 そう彼女がいないこと以外、いつもと何も変わらない。

 そういつもと変わらないはずなんだ――それなのになんとも言い表せない不安が私の中を埋め尽くす。


 どうしてだろう、彼女が現れる前は、誰にも見向きもされないのが当たり前だったのに。これが当たり前だったのに。

 なんで、あの人が来ないだけで、こんなにも私はショックを受けているのだろうか。


 刻一刻と終電は迫ってきている。もう後十五分。

 それでも、あの人はやってこない。

 わかってたんだ。たった一ヶ月でも聞きにきてくれていたこと自体が奇跡みたいなものだったんだ。

 私の歌や音楽に魅力はない。

 一度でも手元にあってしまったから希望を持ってしまった。

 勘違いをしてしまうくらいなら。最初から私の前に現れないでくれたらよかったのに……。

 次からは場所や時間帯を見直そう……。

 いや、もしかしたらもう潮時なのかもしれない。一年続けて私に期待してくれた人は誰もいない。応援はしてくれても、賭けてはくれない。そんな人ばっかり増えても、私は息苦しくなってしまうだけだ。

 所詮は馬鹿な子供の、夢物語。

 離れた駅からうっすらと終電に乗り遅れないようにとのアナウンスが聞こえる。

 子供が出回っていい時間は、とっくに過ぎていた。

 

 目の前には誰もいない。

 夢や期待を詰めていたはずの箱には、「子供らしくあれ」と突きつけるようにぐちゃぐちゃに押し込まれた高校の制服が隙間もなく占拠していた。


「どうして……?」


 紺の制服に滴がにじむ。

 たった一度、希望を失くした。それが、こんなにも突き刺さっているのか。

 心には冷たい風が吹き付けるのに、宙に浮いてるように不安定なのに、身体は春の暖かさを感じていて、足は地面にぴったり着いている。それは夢と現実の乖離かいりを如実に表していた。

 それなのに、どうして。落ちる涙だけは、心と現実どっちとも結びついているの?

 それでも私は帰らないといけない。ギターケースに押し込まれた制服に袖を通して。

 もう、この時間のここに来ることはないかもしれない。

 たった一ヶ月だけたしかに『好き』だと誇れた。深夜の駅前に、私は背を向ける。


 そろそろ、夢を見るために閉じていた目を見開かなければならないのかもしれない。 

 涙を肌で拭い、顔を上げる。

 せめて、さよならは告げないとと、向けた視線に移りこむものがあった。


「嘘……」


 初めは小さな点みたいなもので何かよく分からなかったものが、段々と輪郭を帯びていく。

 そして、それがなんなのかはっきりと見える距離になったときには、私は駅から離れるようにそっちの方へ駆け寄っていた。


「――はぁ、はぁ……もう……終わってもうたん?」


 息を切らして膝に手を置く茶色の頭。

 そして、今まで聞いたことがなかった声。

 呼吸を整えて顔を上げたその不安げな顔は、この一ヶ月毎日顔を合わしている、名前も知らない『アメさん』。


「飲み会に誘われてもうて、なんとかいつもの時間に間に合うように抜け出そう思ってたんやけど。こんな時間なってもうて……」


 約束なんてしていない。

 それでもこの人は、今日も変わらず私の歌を聞き来てくれようとしてくれていたのか。


「もう帰るとこやったんね、ごめんね、引き止めてもうて。気にせんでええよ。今日、聞けへんのは惜しかったけど明日は余裕もって聞きにこれるし」


 私のため、と彼女は言わない、情けで聞きに来てくれているんじゃなくて、私の歌を楽しみにしていてくれた……!?


「いえ、アンコール受取ったッス。丁度、明日ののど飴が欲しかったところなんで」


 終電が出発するベルが駅からうっすらと聞こえる。

 そんなことはもうどうでもいい。

 たった一人、だけど、私の歌を待っていてくれる人。

 間に合うようにと息を切らして走ってまで、私の元に来てくれた人。


「リクエスト、お願いできますか? 今夜はアナタに私の歌を届けたいから」

「ええの? ――なら、いつも最初に歌ってるヤツお願いしてもええかな?」

「了解ッス」


 それは、私が初めて曲を作り、詩を書いた曲。

 音楽をやりたいと望んで、向こう見ずに走り出した。どうしようもなく未熟で、誰にも振り向いてもらえなかった頃に書いた曲。


「じゃあ、聞いてください――『私の声』」


 東京の空に星はない、けど、はっきりと分かる。

 月が輝いている。

 ああ、今夜も空は晴れ渡っている。


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