第28話 以下はいない

 静まり返った空間に、転換の接続詞をポツリと置く。

 ななかは縋るような瞳を向けてくる。

 零は今貴様に何ができると批判めいた睨みを利かす。

 春樹は口を開いて純粋な驚きを示す。

 そしてアキハは……。

 背理を見つめる。少し潤んだ目を細めて、微笑んだ。

 助けに来たぞ。今度は隠れない。あの物置の、得点板の裏からわざわざ見つけてもらわなくたって、アキハが困っているなら自分から飛び出して行ってやる。

 ──それにしても、皆反応がバラバラだな。

 でも今はバラバラで良かったよ。

 一つになれなかったからこそ、それを力にしよう。


「俺たちは、『論隊とかいう制度のせいで』、喧嘩をしている」


 敵も、観衆の中にも、背理の言葉の意味を汲み取れた者はいなかった。突然何を言い出すのだと疑問に染まる。ななかも、零も、春樹も、同じように困惑している。

 だが、アキハにだけは伝わる。

 ──「論隊とかいう制度のせいで」。

 アキハなら覚えているはずだ。この言葉も。そして、自分がどう反論したかも。

「……論理的思考力と協調性を育むための制度よ。『でも』、私たちは真逆に進んだってわけね」

 そうだ! あの物置で、アキハはこの言葉で背理を諭した。「私たち」の部分は元々「アンタ」だったが、今はこれでいい。今は五人とも真逆に進んでしまっているのだ。本来進むべき道の真逆に。そうだろう?

 春樹、見たよな。あのアキハのビンタ。お前は自分のことみたいに怒ってくれたよな。

「……全員自分の都合を押しつけるばっかりだ。『さらに』、言葉による解決を放棄して感情任せに暴力を振るう始末」

 春樹に伝わった。キツイ言葉とは裏腹に口角を上げる。

 そして、次は零だ。散々暴れてくれたよな。自分の意見が通らなきゃ爆破しようっていうんだ。あっちゃいけないんだ、そんなこと。

「『つまり』、ワタクシたちは論理的思考力と協調性というこの学校の理念を汚す最悪の存在」

 そう。これ以上の悪事はこの学校にない。

 ここまで聞けばななかでもわかるよな? ポンコツなんかじゃないって証明してやろうぜ。一番美味しいところは任せるからさ。

「『だから』、この論隊がクラスの頂点に立つなんて論外だなって思いますっ! 以上!」

 ──辿り着いた。

 どうだ、翼丸?

 自分で言ったよな? 「クラスの頂点に立つにふさわしい人格者であるべき」と。お前が持ち出してきたその定義の中で、お前は俺たちを超えられるか? こっちは学則の核心に抵触するクソ野郎の集まりだ。このクラスどころかこの学校に、御堂筋論隊以下はいない!

 ピー子ちゃんがエデンから離れ、助走をつけるための距離を取る。そして勢いよく飛びかかろうとした瞬間、

「審議ぃぃぃぃ! 審議を要求する!」

 翼丸の絶叫が闘議室中にこだまし、二体の映獣は一時停止ボタンを押されたように硬直する。

 五人も、観衆もキョトンとして血相を変える彼に視線を寄せる。

「う、嘘だ! こいつらは嘘をついている! け、喧嘩なんてしていない!」

 翼丸は額に汗を滲ませて、唾を遠慮なく飛ばしながら絶叫する。もう清潔感など消え失せた。

「え~? でも皆喧嘩見たでしょぉ? 御堂筋チャンの第四中手骨が拝島クンの下顎骨に食い込むところもぉ。その後もギスギスして話し合いもまともにできてなかったじゃないのぉ」

 審議員のえっちーせんせいはいつもと変わらぬテンションで回答する。

「演技だ! この展開に備えて、仕込んでいたとしか思えない!」

「喧嘩は議題を発表する前でしょぉ? あの時点ではそんなお芝居をする動機がないわぁ」

「う、うぅぅぅぅううううぅぅ……!」

 えっちーせんせいに的確に反論されてしまうと、翼丸はピッチリと整えてあった頭を掻き毟る。

「はい、じゃあ再開っ☆」

 底抜けに明るく宣言した瞬間、映獣たちが再び動きだす。

 ピー子ちゃんの超高速タックル。エデンは数メートル吹っ飛ぶ。立ち上がる間も無く何度も、何度も爪で切り裂かれ、身体中から血を流す。目を潰される。嗚咽のようなか細い鳴き声を漏らすその頭の上から、ピー子ちゃんは軽やかに飛び立った。

「与ダメージ10。19対17」 

 翼丸はタイムを申告した。

 『さて』、 こちらの理屈を崩せるか?



 ***



「背理!」

 アキハはピー子ちゃんばりのタックルを背理にお見舞いする。いや、彼女はハグのつもりだったようだが、あまりの勢いに背理は危うく後頭部から倒れそうになった。

「ありがとう背理! やっぱりアンタ最高よ! まさかあそこから逆転できるなんて!」

 人目もはばからずアキハは全力で喜びを露わにする。

「お、落ち着け。まだ終わってないぞ。一旦離れろ」

 嬉しいは嬉しいのだが公衆の面前でこれは少し恥ずかしかった。

「一旦じゃなくてずっと離れてって思いますっ! あと五メートルくらい!」

 アキハはななかをギッと睨みながら背理の背中に回した手を解く。ななかも負けじと睨み返す。この二体の獣もなかなかの迫力だ。

「いや、もうこりゃ勝ちだぜ背理。学則の根本に背いてるんだからこれ以下はねえよ。こっちは憲法違反で、あっちは条例違反みたいなもんだ」

「それに、これで落とし穴も埋まったわ。強さ以前の問題を持ち出したからね」

「しかもこれでハイリくんはクビにならないね! たった一言で三つも達成しちゃったねっ!」

 三人のテンションは湧き上がった。しかし一人だけ、懸念を表明する人間がいた。

「た、確かに素晴らしい機転でした! ただ、達成したのは四つです。……もう一つ、余計なことをしています」

 零は右手で眼鏡のレンズとレンズの間の部分を持ち上げる。

「この雰囲気、……どう見ても喧嘩が解決してしまっています。喧嘩していることを根拠にしたのにですよ?」

 本来それは余計なことではないのだが、この議論においては余計だ。「もう仲直りしてるじゃん」と言われてしまったら、さっきの攻撃がまるごとなかったことになってしまう。

 ──だが背理は、その辺の対策まですでに思いついていた。

「喧嘩の火種はまだ残ってる。だろ?」

 零に問いかける。だが、すぐには理解されなかった。最初に理解したのはアキハ。

「……なるほどね。まさかアレが武器になるなんて」

 ため息まじりに、でも少し嬉しそうに呟いた。

「アレとは何ですか? アキハ様」

「アキハ、説明してもらえるか? 俺の口からは言いづらい」

「……そんなの私もよ。まあ、いいけど」

 背理以外の三人の視線がアキハに集まる。背理は意識的に目を逸らして、輪の中から逃れた。

「背理は力を証明したわ。だから約束通り、メンバー構成は背理に任せる。つまりこの五人でやっていくことになった」

 そう、誰の意見を採用しても何らかの不具合が出てしまうこの問題は、意見をすり合わせないまま背理の意思だけで強引に決着させる。

「でも、言っとくわよ。……恋愛は禁止」

 ──だからやっぱり不具合が出るのだ。

「だ、抱きついたくせに何言ってるのっ! ズルい!」

 ななかが地団駄を踏んで抗議する。

「あと、零? これからずっと男の子二人と行動を共にするけど、文句は禁止」

「あ、アキハ様! そ、そんな……! ワタクシはこれから目の前でそんな姿を見せつけられると言うのですか!?」

 恋愛脳。これが最後の武器だ。

 今は一旦落ち着きを見せているが、この問題が解決しない限り喧嘩は解決しないだろう。当面は、少なくともクラス代表が決定する瞬間までには、残念ながら終わりそうもない。そしてこの問題は論隊という制度のせいで生じている。今後も学則が求める姿と逆行することが決定しているのだ。

「はっはっは! なるほどな!」

 春樹は豪快に笑う。

「だが背理、もしあっちが『喧嘩終わったろ』って言ってきたらこの話を公にするんだよな? 大丈夫か?」

「……そうなんだよな」

「ななかなら平気だよっ! 別に隠してないし、クラス中にハイリくん好き好き宣言しちゃう!」

「いや、玉浜サンがオッケーでもな……。背理、食事会で話した男子連中の九割は玉浜サンのファンだった。嫌がらせを受けるくらいの覚悟はしとけよ」

「…………」

 だから自分の口からは言いづらかったのだ。何だかいたたまれなくなってきたので背理は話を変える。

「あっちの反論を予想しとこう」

 時間はまだある。優位には立ったが点差は二点しかない。対策は練られるだけ練っておいた方がいい。

「張り合ってこないかな? あっちも嫌な感じの人たちだし、協調性はないんじゃないかなって思いますっ」

「まあな。だが、少なくとも論隊内ではまとまってる。オレたちは内輪もめしてるっつーのが問題だ。それに、序列優位の権限を使うことが学校の求める姿に反してるってことにもなんねぇ。なんせ学則で認められた権利だかんな」

「論理的思考力の方はありそうですしね。ここまでこれほど苦戦させられたくらいですから」

「ああ、あっちはビンタもしてない。アキハのあれは今思えばナイスプレーだった」

「……ちゃんと反省はしてるわよ」

 アキハはしゅんとうなだれる。背理はその姿を見て思わず頬を緩ませた。

「俺も気にしてない。忘れよう」

 少なくとも、この二人の揉め事はもう終わりだ。

「……じゃあ何? 結局こっちの勝因は恋愛脳とビンタってことになるの?」

「そうなる。使えるものは不服だろうが使ってくぞ。俺は転換がお荷物だって話も甘んじて受け止めて使われてきたんだ」

「……しょうがないわね。でもこんな話で終わるのなんかみっともないわ」

 アキハは腕を組んで堂々と宣言する。

「最後にもう一発かましてやる」



 ***

 


「キ、キミたちは揉め事を起こしている。確かにこの目で見た。……『だから』、その点は認めよう!」

「『しかし』、改善の可能性はあります」

「『あるいは』、もう改善しているのでは?」

「タイム中仲良さげにしていたじゃないか! クラスの皆が目撃したぞ! タイミングから考えて関係改善の理由は共通の成功体験に違いない……。ククク……、『だから』、もしこのまま勝利すればさらなる改善は間違いない!」

「『つまり』、勝利した時点でそちらが抱えている問題は解消される可能性が高い」

「『ならば』! やはり代表にふさわしいのはキミたちだ! キミたちの勝利はボクの支配からクラスを守ることと同時に、問題を抱えるキミたちを救う結果にもなる! このクラスの全生徒は学友としてキミたちの勝利を歓迎する! ボクも早く君たちに仲直りしてもらうことを望んでいる!」

 誰が喋っているのか目で追えないほど、矢継ぎ早に言葉を繋げていく。

 翼丸はケタケタと不気味な笑い声を上げる。プラスチックで作ったみたいに整って固まっていた髪はすっかり乱れ、ノリが効きすぎていたYシャツは汗に濡れて乳首が見えるほど透けている。見えないところまではお手入れしていないのか乳首はやたら長い毛で包まれている。ああもう、清潔感のない男だ。

 彼の心はもう崩壊寸前だ。だからなのか、理屈もガバガバ。「勝てば解決する」、そんなもの憶測でしかない。こちらがあらかじめ用意していた方法で十分対抗できそうだ。

 エデンは闇雲に爪を振り回すが、よろけているピー子ちゃんにすら当てることができない。たまたま蹴った小石が飛んで行って羽のあたりにコツンとぶつかる。

「与ダメージ1。19対18」

 御堂筋論隊がついにリードを奪う。──そして次が最後の攻撃だ。

「先攻、御堂筋論隊。五回戦」

 議具が開始を宣言するや否や、待ってましたと言わんばかりにななかが一つ深呼吸する。クラスの男子の九割が絶望する時間がやってきた。そして、彼女が狙う背理も背理で幸せになるわけでもない。

 しかし、突如アキハがななかの目の前に腕を伸ばして制止する。何よとななかは非難の眼差しを送るが、アキハは御構いなしに喋り始めた。

「勝っても喧嘩がどうなるか保証がないわ。……『でも』、敵である私たちの人間関係まで親身に考えてくれるなんてありがたいことね。翼丸誠治、なんて素晴らしい人格者なのかしら。以上」

 不敵に微笑む。

 ──確かに、翼丸は言った。こちらの喧嘩を終わらせたいがために、「ボクも早く君たちに仲直りしてもらうことを望んでいる!」などと、高らかに。

 そして立論の時にはこうも言っていた。「ボクたちは嫌な奴だからね」と。序列優位の権限を堂々と使うなんて嫌な奴だし、嫌な奴だからこそ序列優位の権限の使い方も心配だった。

 だが翼丸は今、良い奴になってしまった。

 良い奴しかやらない言動を実際に取ってしまった。クラスメイトの仲直りのために勝ちを譲ろうとするなんて行動、彼がずっと拠り所にしてきた「自分はクラスに仇なす理不尽な暴君である」という主張に暗く影を落とすに決まっている。さらには、かわいそうなことにえっちーせんせいに「キミたちの勝利を歓迎する」を強制的にさせられることになるだろう。

 宣言通り、アキハは最後にもう一発かましてくれた。一番厄介だった序列優位の権限の件に最後の最後でミソをつけたのだ。

 立っているのが精一杯。グラグラとよろめくエデンの顔面を、ピー子ちゃんは翼で打ちつける。……まるでビンタだ。

「与ダメージ4。23対18」

 最終ターン。

 翼丸たちは一言も発することがないまま持ち時間を使い切った。スコアは動かない。


 これにて決勝戦は終了。議論の結果「代表にふさわしいのは翼丸論隊」という結論に至った。

 つまり、代表は御堂筋論隊になる。

 ……なんとややこしい議題だったことか。

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