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第29話 ななかだから特にでしょっ!
学校とは少し小高い丘の上にあることが多いらしい。
理由は色々だ。グラウンドなど広大な土地を必要とするために経済的な理由で多少不便な立地になるだとか、災害時に避難所として活用するためだとか。エリート意識の表れだなんて話まである。
だから、寮が丘の上にあって校舎が下にあるこの学校は一風変わっていると言える。おかしいのは制度だけにしてほしいものだ。おかげで生徒たちは帰り道の疲れた体で坂を登らなければならない。
とはいえ、朝の貴重な時間に重力を利用したダッシュが可能なのはありがたいかもしれない。ギリギリまで寝ていたって、文字通り転がり込むように登校することができる。
──背理は今日、やけに早く目が覚めてしまった。おかげで「この体が球だったら……」などと呪うことなくこの坂をのんびり下ることができる。目覚ましに頼らずに起床するなんていつぶりだろうか。興奮冷めやらぬ頭が寝ていることを許してくれなかったのだ。
すっかり緑に染まった桜の木々が近頃生ぬるさを帯びてきた風に揺らされるのを眺めながら、背理は昨日の勝利の余韻に浸る。
自分で言うのも何だが、背理のおかげで勝てた試合だった。転換に選別されクラスの誰からも相手にされなかった背理が、今やクラスの代表に選別されているのだ。なかなかの大逆転である。
まだ予鈴まで余裕のあるこの時間、生徒たちの姿はまばらで話し声も聞こえない。
「ハイリくん! ハイリくんハイリくん!!」
だから突然のななかが名前を呼ぶ声と、
「な、何だぁ!?」
タックルに近いほどの威力で背後から抱きつかれて口から漏れた上ずった声は遠くまで響いた。
「ハイリくん! おはようハイリくん!」
小さな腕を背理の腹に絡ませ、顔を背中に擦りつける。
「ななかか!? な、なんだよいきなり!」
「ハイリくんこの時間に登校してたんだねっ! やっと会えたよ!」
「きょ、今日はたまたまだ。つーか、離してくれ」
「やーだよっ。昨日御堂筋さんは12秒抱きついてたから、ななかは倍の24秒離れないっ!」
「数えてたのか!?」
本当にきっちり24秒経った後、ななかはようやく背理を解放して左隣に並ぶ。驚いたし恥ずかしかったが咎めることはできずに背理は無言で歩き出す。トコトコとななかも続く。
「一緒に登校だねっ! これぞ高校生カップルだなって思いますっ」
「……だから、カップルになった覚えは……」
「これからなるの」
肯定はできない。否定しても無駄だ。だからこの件にはコメントしないことにした。
昨日の最終ターン。結局ななかが背理好き好き宣言をすることはなかった。だがこの様子だと何も言わなくても勝手に噂は広まりそうだ。
「……ハイリくんは気づいてる?」
会話が途切れて数秒の沈黙が流れた後、ななかは唐突に尋ねた。
「何の話だ?」
ななかの声のトーンが変わったことと珍しく真顔を見せたことに少し驚きながら、背理は尋ね返す。
「河川敷で話し合った時に御堂筋さんが出した条件、変だったじゃない」
代表戦の前々日。初めて五人で集まった時の話だ。代表戦で活躍できなければ背理は脱退。そんな条件が出された。そして活躍できた場合は隊員構成を決める権利という見返りも約束された。
「……そういえば何か違和感あったんだよな」
言われてみればあの時確かに何かが引っかかっていた。その正体がわからないまま話がポンポン進んでしまったが。
「ふふ、ハイリくんが一番気づかなきゃいけないのにって思いますっ」
ななかの口元が緩み、真剣な面差しはあっけなく壊れる。
「どういうことだよ? 俺に関係ある話か?」
「関係大ありだなって思いますっ。罪な男だね~、まったくぅ!」
ななかの細くて小さな人差し指が背理の左頬を二度つっつく。話が掴めないので背理はななかの次の言葉を大人しく待った。
「何が変なのか教えてあげる。本当はね、ななかもハイリくんみたいに試されるべきだったの」
「そういや、俺だけだったな」
「御堂筋さんと三ヶ神さんはななかを信じてくれてなかった。だからななかも活躍次第ってことにした方がいいでしょ? ダメだったら堂々と追い出せるし、ダメじゃなかったらこの子使えるってなるし」
その二人にとっては確かに都合が良いだろう。しかし、
「ななかはそんなことしたくなかったろ?」
当のななかが納得するかは話が別だ。とにかく自分の意思を曲げない奴だ。脱退させられる可能性があることにわざわざ挑むとは思えない。
「ううん! だってあの話になった時はもう追い出されることになってたんだもん。むしろチャンスをくれてありがとってなったと思いますっ」
「……そういえばそうか」
アキハが背理にあの条件を持ちかけたのは、ななかと零が脱退することに決まった直後。無条件で追い出されるくらいならななかは挑戦する方を選ばざるを得ない。
「ハイリくんだって、あの時ななかも実力次第では残っていいってことになったら喜んでくれたはずでしょ?」
「そうだな。誰も脱退させたくなかったからな」
「ななかだから特にでしょっ!」
「…………」
その件はコメントしないとさっき決めた。
「……照れちゃったみたいだから話を戻すね。ついてこれるかな? ハイリくん」
ななかは得意げに人差し指を立てる。解説役なんてポジションに立つことは滅多にないから張り切っているように見える。なぜななかが理解していて自分はできていないのか背理は疑問に思った。
「一番おかしいのは全部ハイリくん任せにしちゃったことなの。ハイリくんなら絶対できるって信じてた人がだよ? ななかがダメだった時でも、ハイリくんが頑張ればななかは残れちゃうじゃない」
「……そうだな」
ななかの処遇が不自然。
──あの時感じた違和感の正体はこれだったのだ。
アキハが黙っていればななかは脱退した。ごねられても「じゃあ活躍次第では残ってもいい」という誰も損をしない妥協案で説得できた。そしておそらくは活躍できないななかを合意の上で追い出せたはずだ。
しかし、彼女は自分の信頼する背理の手腕にななかの命運も預けるという不自然なアイディアをわざわざ自分から出してきたのだ。これではまるで……、
「実は御堂筋さんはななかが入ることを認めてくれてたんだよ」
「……そういうことになるよな」
むしろななかを脱退させないように仕組んである。そうとしか思えない。
「ななかも最初は全然気づいてなかったの。皆も気づいてなかったでしょ? それくらい自然に、さりげなく、いつの間にか御堂筋さんはななかを受け入れるって言ってたの。素直じゃないなって思いますっ」
「……当事者じゃないからか、そこまで考えなかったな」
あの時は自分のことで精一杯で、違和感の正体を深く考える余裕がなかった。
「でも、ハイリくんには知っておいてほしいことだったからこうして説明している次第です」
「俺がか?」
「うん!心配してくれてたでしょ? ななかと御堂筋さんはもう仲直りしたみたいっ! 大丈夫だよっ!」
大きな瞳の横に子供のような小さな手でピースを添える。
「どうしてだ? なんであいつはななかを?」
ななかのことは初顔合わせの時から徹底的に否定してきた。河川敷での話し合いの時だってアキハはずっとななかを拒んでいたはずだ。いつの間に、なぜ、心変わりしたのだろう? そして、心変わりしたのならどうして言ってくれなかったのだろう?
「ななかもそれ考えたけど、一つしか思いつかなかったの」
「なんだ?」
「う~ん、これは話していいのかな? 御堂筋さんの内面に深~く関わるお話だから」
ななかは腕を組んで小首を傾げる。
「隠してるんだもんな。知っちゃまずいのか」
「……でもいっか。ただの推理だしね。それに、おバカなななかでも推理できたんだもん。他の人にもバレることくらい、あの子なら折り込み済みかなって思いますっ」
「さっきからそれがちょっと悔しいんだよな。どうしてななかにわかることが俺にわからないんだ」
「あー! ななかのことバカにしたでしょ! 自分で言うのはいいけど人に言われるのは腹立つって思いますっ」
ななかは柔らかそうなほっぺたを膨らませて背理を睨む。細めても依然として目は大きい。
「……ななかは当事者だからね。というか、きっかけはななかだったんだなって思いますっ」
「きっかけ?」
「御堂筋さんはななかの挑発に乗ったの」
「…………?」
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