第27話 考えろ、拝島背理
「先攻、御堂筋論隊。三回戦」
議具のアナウンスに誰も反応できない。もうタイムを取る権利も残っていない。頼みの綱であるアキハも、血の気の引いた顔をただただ目の前の机に向けているのみだ。
反論? 不可能だ。あちらが零のデータを完全に破壊することはできなかったように、こちらも翼丸のデータを消すことはできない。階段の上の物置で、アキハと背理のたった二人でもぎ取ったあの勝利を、消すことなどできない。
消さないことを死に物狂いで選んできた。背理が失うのを恐れたあの一勝が、背理の生き方を大きく変えたあの経験が、今ここで、絶対に負けたくない戦いにおいて、敗因になろうとしている。
ネックになっているのはあの直接対決の結果だ。では、あの頃より弱くなったとでも主張するか?隊員が増えたことで弱体化した明確な証拠があれば、あるいは……。
……いや、ありえない。二人より弱くなるなんてことありえない。二人でやった経験がある背理とアキハがそれを一番よく理解している。三人増えたことがどれだけ頼もしいか、もう痛感してしまっている。
──翼丸誠治。敵ながら天晴れだ。
この学校の歴史上唯一であるあの敗北を、あの屈辱の体験を隠すことなく全力で振り回してまで、今この場での勝利をもぎ取るつもりなのだ。傲慢な態度とは裏腹に、プライドを捨てなりふり構わずに果敢に攻撃してくる。序列では勝っているという不利な立場から、たった二回戦でこちらの心を折る所までたどり着いた。
無言のまま一分が経過する。
どうにか一人、動けた人間がいた。
アキハではない。そして彼女に次ぐ実力を持つ零でも、春樹でも背理でもなかった。
統合序列1197位。最下位。玉浜ななか。
「……もう降参。強いんだね。『だから』代表になった方がいいって思いますっ」
──それは弱者の発想。圧倒的弱者の言葉。
そしてこの議題では、自分が弱者と証明した方が優位。
ななかが会心のカウンターパンチを繰り出した。背理は思わずななかの方にバッと首を向けた。これはもしや、逆転の糸口になるのでは?
そんな背理の期待を打ち砕いたのは、同じくななかに視線を送っていたアキハの表情だった。「違う」、「ダメ」と批判するような、どう見てもポジティブなリアクションではない顔だ。「すっごいこと思いついたよ」っと言わんばかりのドヤ顔を見せていたななかはキョトンとしてしまう。
アキハの反応で背理も悟った。……そうだ、これじゃダメなのだ。
ななかが言ったこの一言こそ、えっちーせんせいが言っていた「落とし穴」だったのだろう。弱い方が勝つというこの議論の構造を逆手に取る。どんなに有利な立場にいたとしてもこの落とし穴にハメられてしまったら形勢は一気に逆転してしまう。
だが、それは論点が強さだけに絞られている場合に限る。翼丸は序列優位の権限という強さ以前の欠陥を振り回している。あちらは強さを度外視する戦略をとることで落とし穴なんて初手から塞いでいたのだ。
では、こちらは?
御堂筋論隊に一度勝利経験があるゆえに、お互いの強さを直接比較して決めるような展開は避けなくてはならなかった。そこで零が用意した過去の戦績から推測する方が妥当であると主張。あちらがななかのように降参してきても、「でも新人戦ではそっちの方が強いから」とかわす準備は整っていたと言えるだろう。
しかしそのデータはもう効力を失っている。あちらはいざとなれば落とし穴を使えてしまうのだ。
もし仮に、今後こちらが大逆転の手を思いついたとする。例えば、序列優位の権限の件をなかったことにできたとする。だがそうなっても攻めきれない。こちらの勝利が濃厚になれば、翼丸によって落とし穴に誘い込まれ逆転を許してしまう。
──つまり、御堂筋論隊にはもう勝ち筋がなく、翼丸論隊には負け筋がないのだ。
アキハはななかの失言をフォローしなかった。どうあっても誤魔化せないかもしれないが、勝つためなら誤魔化そうという気概くらい見せてもいいはずだ。彼女はもう、諦めているのだ。
……ダメだ。逃げるなアキハ。俺がなんとかする。
ピー子ちゃんはエデンを軽く小突くことすらせず与ダメージ0。そして翼丸が面倒臭そうにななかのミスを指摘して与ダメージ4。これで9対17。もうピー子ちゃんは息も絶え絶えだ。プルプル震える翼を、エデンは翼丸のように見下してみせる。
「先攻、御堂筋論隊。四回戦」
考えろ、拝島背理。
こんな時に逆転の手を思いつくのが自分の仕事だろう?
行き詰まった時に議論を根本からひっくり返す。それが転換の役割だろう?
一回戦ではアキハが罠にかかり、二回戦では零のデータを揉みくちゃにされ、三回戦ではななかが使えない武器を振り回した。三人はもう動けない。彼女たちはもう勝負から逃げてしまった。だが、負けてはいけないんだ。逃げてはいけないんだ。
自分がやるしかない。考えろ。根本を。深く。深く潜れ。底をひっくり返すのなら、まずは底とは何か知ることだ。
誰も口を開かないまま一分経過する。急げ。考えるんだ。
──状況を整理しろ。あちらが優位に立っているのは強さ以前の欠陥を抱えているからだ。序列優位の権限を乱用するという脅威を見せつけたせいで、強さについて論じる意味合いが薄くなってしまった。だいたいどちらが強いかもデータを失った今はもうわからない。
両者の差は序列優位の権限を行使するか否か。もうこれしか残されていないのだ。これこそが相手の理屈の根本。これを打ち消した上で、さらにはその先にある落とし穴を乗り越えなければならない。
……しかし、そんなことはできなかったからここまで追い詰められているのだ。どうすればいい? どうやって反論すればいい?
反論の天才は、アキハは、翼丸の「強さ以前の欠陥」が生むメリットを示した。「強さ以前の欠陥」という根本そのものを破壊することができないが、別の要素で相殺することならできるかもしれないと。
これだ。相殺。今度は別の方法で。
……こちらも、「強さ以前の欠陥」を持てばいい。
こちらの方が代表にはふさわしくないと確実に言い切れる何らかの欠陥を見せてやる。逆転の方法はそれしかない。しかもこれができれば、落とし穴に誘い込まれることもない。「そっちの方が強いから代表ね」は通用しない。
二分経過。急ぐんだ。だが焦るな。考えろ。根本を。深く。
あちらより強烈な、致命的な欠陥を持つ論隊になること。偉そうにふんぞり返ってクラス中を奴隷にしようなんていう奴らより、もっと醜く、最悪な論隊になること。それが今すべきことだ。
最悪な論隊とは何だ?
誰かに迷惑をかける翼丸のような存在? いや、違う。所詮奴は学則で認められていることしかしない。制度上やっていいことしかやらない。だから、奴らを下回れるとすれば、学則にも反するような、論隊としてあるまじき姿の論隊。
では論隊とは何だ?
共に『縛接闘議』に挑むチーム。
では『縛接闘議』とは何だ?
接続詞の使用を限定したディベート。
なぜそんなことをする?
論理的思考力と協調性を養うため。
──あった。これだ。これしかない。
水面から顔を出した直後かのように、背理は大きく息を吸う。底は覗いてきた。答えは見つけてきた。
気づいてしまえばこんな簡単な話はなかった。思えばこちらは最初から、誰の目にも明らかなほどの致命的な欠陥を抱えていたのだ。そしてその欠陥はすでにクラスの誰もが知っている。それを言葉にしてしまうだけでいい。今までの議論なんて丸ごと必要なかったくらいだ。それくらい強力な抜け穴。絶対に追いつかれない逃げ道。
逆転の手はある。あとは、他のメンバーにそれを伝えればいい。せめてアキハ一人にでも伝われば、きっと無理矢理にでも残りの三人の手を引っ張って走ってくる。
頼むぞ、アキハ。
背理はもう一度大きく息を吸い込んで口を開く。
「『ところで』」
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