第26話 例え話をしようか

***


「『ところで』、立論で言った通りこちらが代表になった場合最下位になる可能性が高い」

 二回戦はあえて背理の発言から始まった。ペナルティーを避けるために皆で彼の出番をお膳立てしようという配慮のもとで今回の主張は組み立ててある。協力しようという意思がなかった初戦の時とはもう違う。とはいえ未だ背理反対派である零には「これで活躍したなんて思わないでください」と釘は刺されたが。

「『つまり』、どちらが代表になってもこのクラスの生徒は何らかの負担を覚悟しなければなりません」

 その零が続いて口を開く。D組の生徒にはもう劣悪な環境に耐えるか翼丸の支配に耐えるかという二択しか残されていない。そんな悲しい事実を感情のない淡々とした口調で告げた。

「どちらが辛いかは比較することができないわ。『ただし』、お互いが抱えている問題は二つの点で性質が違う」

 アキハは左手の指を二本立てる。

「一つは解決できる可能性。翼丸の支配は彼の序列を超えることで解決できる。『でも』教室の方は一度決まったら変更不可能よ」

 翼丸の序列を超えるというのは大変な作業だ。ただでさえ高いのに新人戦に出ればさらに上がる。しかし決して不可能ではないのがミソだ。

「二つ目は解決できる人物の違い。教室の件は代表の努力に委ねるしかない。『でも』翼丸の件はクラス全員に脱する方法がある」

 アキハは腕を下ろす。結局重要な部分は全てアキハ一人に任された。

「『だから』、そっちを代表にしておいた方がクラスの皆の未来は明るいって思いますっ」

 ななかもいっぱい喋りたい、そんな抗議はむなしく彼女に割り当てられたのはこの一言だけだった。だが結局手を腰に当てて目一杯得意げに言ってみせた。

「『さらに』、あっちは新人戦で勝ち上がって良い教室を取ってくる可能性が高いってことも忘れちゃいけねえ。取ってきてもらった後各自が序列を追い越す。これがベストだ」

 春樹がクラスの面々に大げさにサムアップを見せつける。この学校の生徒はもとより序列を上げる努力を強いられている。ちょっと目標が高くなるだけだ。

 文量に差はあったものの五人が綺麗に一回ずつ発言して二回戦の攻撃を終了する。ちぐはぐで慌てふためいていた一回戦の姿はもうない。

「キィィィィィィ!」

 五人の力を接続して召喚したピー子ちゃんがエデンを威嚇する。

 エデンはたじろぐ。そのほんの一瞬の隙にピー子ちゃんはエデンの背後に回り込む。爪を食い込ませながら背中に乗り、鋭いくちばしで首に噛みつく。エデンは抵抗し、たてがみがなびく。

 頑張れ。まだ離すな。背理は手に汗を握り、心の中で声援を送る。本当なら大声で叫んでやりたかったが、残念ながら発言は禁止だ。隣でななかが口パクでやっちゃえやっちゃえと唱えながら腕を振り回している。気持ちは一緒だが真似するのはちょっとはばかられる。

「ゴアアァァァッ!」

 エデンが雄叫びと共にどうにかピー子ちゃんを振り払うと、二体は距離を取ってまた睨み合いの姿勢に戻った。

「与ダメージ6。9対6」

 大ダメージだ。先ほどこちらが受けたのと同じくらいの。

 そして、今度こそ相手は反撃方法を失ったはずだ。「クラス全員がボクの序列を超える可能性など皆無だよ」と薄ら笑われたって、「こっちが最悪の教室を回避する可能性も皆無だよ」と返してやればいい。どちらの可能性が高いかなんて神のみぞ知るだ。何のデータもないこの場ではこれ以上論じても想像にしかならない。相手が持ち出した『どちらが害か』という定義について話せることはもう何もないだろう。

 そうなると相手は『御堂筋論隊は新人戦で最下位になる可能性が高い』という点を切り崩していかねばならなくなるが、この主張は零が調べたデータに裏付けされている。ここだけは絶対に打ち崩せない。

 春樹がガッツポーズを取る。背理も釣られる。すると春樹はその拳をこちらに突き出してきた。無言でこちらからも拳をぶつけてやり、笑顔を見せ合う。

 右下からななかの小さな拳も現れた。そしてアキハも。やれやれ付き合ってやるかと零もためらいがちに細い手を伸ばしてきた。アキハにだけ触れるように。

「後攻、翼丸論隊。二回戦」

 五人の中央、背理とアキハの指輪、春樹のブレスレットからアナウンスが流れると五人は所定の位置に戻っていく。そして正対する対戦相手にドヤ顔を送ってやる。

 ──さあ、反論できるか?

 少し間を空けて、最初に口を開いたのはやはり翼丸だった。あの腹立たしいニヤつきは消え、無表情だ。

「確かにキミたちの言う通りだ。手痛いプレゼントをもらってしまったね」

 翼丸は一切シワのないYシャツの第三ボタンのあたりで小さく拍手をする。だが、

「『だから』、こちらからもプレゼントを贈ろう」

 次の瞬間、顔が大きく歪んだ。口元はこれでもかというほどニヤけ、深いほうれい線が刻まれる。眉が上がり、両目を大きく見開く。

 ここにきて今日一番の、いや、前回の戦いも含めて今までで一番の、不愉快で挑発的な形相だった。

「キミたちは新人戦で最下位になる可能性が高い。そういう前提で理論を組み立てているね。『だから』、ボクたちはそこを切り崩そうと思う」

 零の調査で得た確かなデータだ。それを切り崩す……?

 ──絶対に不可能だ。翼丸にどれだけ力があろうとも、あちらの論隊序列がどれだけ高くても、それだけは絶対にできない。あれはこちらが持つ唯一で最大の武器だ。

「実はボクたちも戦績を調査済みだった。転換がいる論隊はほぼ最下位になっていたね。『だから』キミたちも最下位になる可能性が高い。この推論はまあ、正しいとは思う」

 ……何だと?

 あちらもあのデータにたどり着いていた。それはつまり、彼らはそのデータを打ち崩す準備もすでにしてあったということになる。

 翼丸は逆接の男にパスを渡す。

「『しかし』、こういうデータもありました。こ」

 そして今度は言いかけた言葉を遮って、続きを自分の口で述べる。どうしても自分で言いたいことのようだ。

「この学校の歴史上、逆接と転換だけで勝利した論隊は一つも存在しない。『だから』、キミたちは特別な存在と言えるだろう」

 翼丸はこちらを称えるように両腕を差し向ける。

 この学校の歴史上?

 調べたのか? 全てを?

 ──いや、しかし、それが何だと言うんだ?

「……順接だったら翼丸君のように一人でもたくさん話せます。しかし逆接は難しい」

 逆接の男は若干呆れ気味に言葉を繋ぐ。そして、

「『なぜなら』、文章を逆方向に進展させるという性質上、一つの発言の中で二回以上使える場合は限られるからです」

 補足のサポートを受け、

「このように、どうしたって他の専権のサポートが必要。『だが』相方は転換だった」

 実演する形で逆接と転換だけで戦う難しさを見せつける。

 わざわざ言われなくても知っている。あの戦いの最中、どれだけもどかしい思いをしたことか。それでも勝利をもぎ取った時どれだけ嬉しかったことか。

「『だから』、サポートなんてできるはずないんだ。一度ボールを渡したら変な方向に蹴られてしまう。逆接と転換なんて最悪の組み合わせ。両腕を縛られたまま戦うようなものだ。『だから』、見事打ち負かされた時は本当に驚いたよ」

 賞賛を口にする。しかし表情は真逆だ。身体中から憎しみを絞って凝縮したような、禍々しく歪んだ顔。その禍々しさに背理は思わず仰け反ってしまう。

 あの敗北によって身をよじりたくなるほどの屈辱を受けた翼丸は、せめて同じような目に遭った仲間を見つけて心を落ち着かせようとしたのだろう。そして、仲間などいないという残酷な現実にたどり着いたのだ。

「君たちは過去に例のない存在なんだ。『だから』、過去の例通りに話が進むかどうか疑問がある。キミたちが提示したのは『転換のいる論隊』のデータであって、『転換と逆接だけで勝利経験のある論隊』のデータではないだろう?」

 憎悪の化身、翼丸誠治は首を限界まで持ち上げてこちらを見下す。そんなデータあるはずがないのだ。過去に例などないのだから。

「例え話をしようか。一般的な小学生1000人が受けた結果平均点が60点だったテストがあるとする。『そして』、1001人目の小学生にそのテストを受けてもらうとする。『すると』、その子の得点は60点付近に落ち着くという予測が立つ」

 翼丸は立てた人差し指をくるくる回しながら唐突に、かつ饒舌に語り始めた。予定にない発言だったのか、翼丸論隊の中に動揺が走る。しかし、どうにか逆接の男がこの話をする意図を察した。

「……『だが』、もしその1001人目が全国模試でトップを取った小学生だとしたら?」

 翼丸は満足げに頷いた。それを確認した逆接が、さらに発言を続ける。

「そちらが出したデータ自体は妥当だ。『しかし』、そのデータに君たちをあてはめることは妥当ではない」

 ──詭弁だ。

「『また』、こちらは平均60点のテストで0点を取った小学生ということになる」

 ──こちらが示したデータはこんなことでは死なない。

「『つまり』、こちらも過去の例のように勝ち上がれるか疑問だ。もはやお互い新人戦での勝率をデータから予測するのは困難」

 ──死なない──はずだ。だが、

「『それなら』、序列優位の権限を使う気のないそちらが出るべきだと思う。ボクは単純に見てみたいよ。キミたちが新人戦でどんな結果を残すのか。前例のない記録を作るんじゃないかと、ワクワクしながら応援できるよ。以上だ」

 曖昧にされてしまった。それだけだ。

 しかし……、それで十分だった。

 翼丸たちはこちらのデータ自体を否定しなかった。だが、そのデータに御堂筋論隊及び翼丸論隊を当てはめるべきではないという理屈で対抗してきたのだ。しかも、明確なデータを根拠にして。

 こちらは零のデータを要に主張を組み立ててきた。絶対に間違いではないデータだ。しかしあちらが持ち出したデータも絶対に間違いではないのだ。するとこちらの主張は、根本から信頼性を失う。

 間違いなくこれは致命傷だった。こちらが持つ唯一で最大の論拠は、輪郭がぼやけてしまったのだ。

 エデンはピー子ちゃんの首に噛みついた。さっきのお返しと言わんばかりに。ピー子ちゃんと違ったのは、たった一度きり深く牙を入れ、すぐさま離れたこと。

 ピー子ちゃんは悲鳴を上げることすらできずにグシャッと崩れ落ちた。

「与ダメージ7。9対13」

 ──もう、終わった。

 御堂筋論隊の面々は全員、絶望に打ちひしがれていた。指先すら動かせないほど、完全に硬直してしまっていた。

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