第25話 ……今、何て?
***
「……ごめん」
三分間のタイムは、アキハの謝罪から始まった。
「完全に罠にかかったわ。何でここまで頭が回らなかったんだろう……」
悔しそうに下唇を噛む。爪が手のひらに食い込むほど強く拳を握る。普段の傲慢とも言えるほどの強気な姿勢はもう見る影も無い。
見ていられない。ついさっきビンタを食らわされたことも忘れて、背理はフォローを入れる。
「いや、しょうがねえよ。あっちの立論は完全に予想外だった。全員固まってたのに唯一動けたのがアキハだ。誰にも攻められない」
「よくよく考えたらあっちは『周囲に好影響を与える』なんて文言必要なかったのよ。序列優位の権限を軸に組み立てるなら『周囲に悪影響を与えない』の方が正確だし隙がなかった。でも私は『好影響』って言葉に惑わされて……。わざと隙を作って誘い込んだのね……」
「……そういえばそうか。なかなかやるな、あいつら」
あちらの主張の大元は自分たちがクラスの頂点に立つにふさわしい人格者ではないということだ。「自分たちは嫌な奴だけどそっちは違うよね?」というマイナスを競う議論をするために「どちらが好影響を与える人間か」という尺度を持ち出すのは確かに不自然なのだ。素直に「どちらが悪影響を与える人間か」という争いにしておけばこちらは手詰まりだったはず。少なくとも人格を理由にクラスに迷惑をかけるつもりはこちらにはないのだから。
「あの時タイムを取れば良かった。背理が取ろうとしてたのわかってたの。でも、無視して……。また暴走しちゃった……」
「いやそれは結果論だろ。あの時点では誰も暴走だなんて思わなかった。お前の一言目を聞いていけると思ったよ。俺も皆もだ。それに、あっちの反撃を予測できてなかったのは全員一緒だ」
「でも! 背理をぶったくせにこんなの許されないわ!」
「……それは今関係ないだろ」
「ある! ……私のせいでギスギスして、話し合いも上手くいかなくて……。だからせめて私が引っ張らなきゃって思ったの」
肩が震える。
そうだったのか。
──気にしているのだ。さっきの喧嘩を。そして今まさに、強く後悔しているのだ。
背理を信じたからこそ背理に進退をかけさせた。だが背理は彼女の期待に応えられなかった。さらに、あろうことか彼女の憤りに対して何か返すことからすら逃げたのだ。口から生まれたような彼女が暴力に訴えるしかなくなるほど、背理の失態は彼女を失望させた。彼女は今普通の精神状態ではないのだ。翼丸の狡猾な罠にかけられたとしても仕方がない。
「アキハ。あれは気にするな。俺は……」
あの時は横暴だと思った。理不尽だと思った。勝手に脱退のリスクを背負わせ、ダメなら責められるなんて。不満はあった。でもそれ以上に──、
「自分が情けなかったんだ。アキハの期待に応えられなかった自分が。言い訳するのもみっともない気がして、何も言えなかったんだ。……でも、それが余計にアキハを怒らせた。悪いのは俺なんだ。俺が無力だったから」
「違うわ! 背理は……、背理は絶対に……」
「今は置いとけ。時間がねえ」
二人のやりとりを春樹が遮る。
「喧嘩してんのは御堂筋サンだけの問題じゃねえ。背理だけの問題でもねえ。全員の問題だ。いつか解決しなきゃいけないことではあるが、今はもっと優先順位の高い全員の問題があんだろ」
アキハも背理も一瞬硬直した後頷いた。そうだ、今はそれどころじゃない。翼丸に勝つ方法を見つけなければならない。
「一旦状況を整理すっぞ。オレたちは強い論隊が代表になるべきだって話をした。代表が弱いとクラスに害を与えるってのは教室の件があるから間違いねぇからな。そんで過去のデータからこっちは最下位濃厚、あっちは優勝候補っつー客観的な根拠があった」
春樹はかなりの早口でここまでの議論の流れを復習する。彼は加入してからずっと、こうして皆をまとめようとしてくれる。いつだって一番冷静に全体を見渡してくれる。
「だがあっちは代表になったらクラスの王様になってやると言い出しやがった。強かろうがクラスに害を与えるってんなら、弱いと害っていうこっちの主張が頼りなくなっちまう。だから、あっちは毒にもなるが同時に薬にもなるって理屈で対抗した」
突然の君臨宣言に戸惑った。完全に予想外の攻撃を受けた。そして、アキハを起点にどうにか反撃をしたが、
「だかオレたちも同じ薬になるって話にされちまった。それなら毒がない方がいいに決まってる」
相手は反論の反論を用意していたのだった。ここからどう展開するべきか。
「痛手は負ったが、相手の言い分にはまだ隙がある」
「隙? もう何か思いついたのか、春樹」
「オレたちには別の種類の毒がある。教室の件だ。あっちはまだこっちの立論に対して何も言ってねぇ」
「……そうか。劣悪な教室になることが、翼丸に威張り散らされるよりも辛いって言えれば……」
議論の中心は予定していた『強さ』ではなく『どちらが害か』になってしまったが、こちらには『強さ』が足りないから『こちらが害だ』と主張する余地が残っている。
「ただ、それもデータがないという話にされそうですね。どちらの毒がマシかはクラスにアンケートでも取らない限り想像の域を出ません」
「そうか? こっちには教室に加えてえっちーせんせいを怒らせるっていう特典もつく。翼丸よりえっちーせんせいの方が怖いってのはクラスの共通見解だと思うぞ?」
かつてえっちーせんせいが受け持ったクラスが最下位の教室に割り当てられた時、その生徒たちは全員消息不明になったという。
「確かにあの教師は恐ろしいです。それは否定できません。ただ本当はどれほどの実害を被るのか……。仮にも教師ですから、暴力を振るうならとっくに失業しているはず。卒業した後教師とわざわざ連絡を取り続ける方が珍しい。数々のスプラッタな話は単なる脅しです」
「……まあ、そうだろうな。怖えのは違いねぇが、聞き流しゃあ済む話だ」
「対して翼丸は確実にクラスに実害を与えます。現実問題どちらが辛いかと考えると意見は分かれるでしょう。少なくともこの場でどちらかが優勢と断定することはできません」
「う~む……。どっちが弱いかって話なら序列っつーわかりやすい物差しがあったが。どっちが嫌かなんて話になっちまうといくらでも言い様があるじゃねーか」
春樹は悩ましげに右手を額に当てる。実態のない物の長さを比べるなんて不可能だ。
──いや、それなら。
「比較できないのはあっちも一緒なんじゃないか? なら五分のはずだ」
背理がそう言うと春樹は目を大きく見開いて「それだ!」と言わんばかりに背理を指差した。だが、
「いえ、こっちはあくまで最悪な教室になる『可能性』、あっちは『確実』な未来。仮にクラスに与える悪影響が同等だとしても、この差がある限り軍配はあっちに上がる」
春樹は続いてアキハを指差す。「それだ……」と落胆の面持ちで。
「『可能性』かぁ。確かに実際出たら絶対負ける気ないもん。一年間ずっと変な教室なんて絶対やだなって思いますっ」
「オレだってそうだ。だが、どうしたもんか。わざと負けるとは言えねえし」
「……今、何て?」
「いや、わざと負けるとは……」
「能登君じゃなくて、玉浜ななか! そうよ、一年間ずっと……」
アキハは手を口元に当て考え込む。
「何かあるのか? アキハ」
背理は期待を含んだトーンで問う。反論の天才・御堂筋アキハならきっとやってくれるはずだと信じている。
「……程度はわからないけど、嫌なのは確実なのよね。ボロ教室も翼丸の支配も」
「ああ。……翼丸が序列優位の権限でクラスを良い方向に導く人格者じゃない限りな」
背理はありもしないことを言ってみる。
「望み薄だな」
春樹が笑う。だがアキハは真剣な面持ちを崩さず、
「……教室は一度決まったらどうあがいても一年間変更不可能よ。でも翼丸の方は」
「あいつの序列を越えれば脱することができる! なるほど、その点では明確に違う!」
こちらはクラスに最悪な環境をもたらす『可能性』がある。そして、この害からは『確実』に逃れられない。
あちらは『確実』にクラスを不快にさせる。だが、逃れられる『可能性』があるのだ。後者の方が幾分マシと言えるのではないだろうか。
「でも、今度はどっちの可能性が高いみたいな話にならねぇか?」
「……いえ、大丈夫。もう一つ大きな違いがある」
アキハは自分の頭の中を整理しながら話し続ける。
「教室の問題を回避できるかは私たち御堂筋論隊の努力次第。他のクラスメイトは見ていることしかできない。過去のデータから負けが濃厚だとわかっている私たちの勝利を、ただただ観客席から祈ることしかできない」
「辛いねそれ。自分が頑張っても意味ないんだもん」
「でも翼丸の方は自分の努力で解決できる。この差は大きいはずよ」
クラスの各生徒が翼丸たちを超えられる確率は低いかもしれない。序列の差から限りなく0に近い人もいるだろう。だが0ではないのは間違いない。対して教室の問題を解決できる可能性は全員が間違いなく0だ。
「そうだな……。優勝候補の翼丸たちを代表にして、一番の教室を勝ち取ってもらった後、翼丸の序列を超えて支配を脱する。これがクラスの奴らにとっては最善策だ」
「アキハ様……! さすがです!」
解決の可能性。解決できる人物。両者が抱える問題はこの二点において性質が異なる。どうせ何らかの負担を被ることがわかっていて、しかしその程度は比較ができないのなら、解決できる可能性がある方を選んだ方が良い。
──これだ。この理屈ならきっと大丈夫だ。そう確信したのか、自然と空気が軽くなっていく。
「ななかの一言がきっかけだったよね? やっぱりポンコツじゃないなって思いますっ」
「偶然ですけどね。そんなに勝ち誇らないでください」
「いえ、助かったわ。それに、やっぱり零が持ってきたデータの力も強い。これがあるからどうにか対抗できてる」
「そうだねっ。さすがメガネキャラなだけあるって思いますっ」
「……メガネは関係ありませんよ」
あの女子三人が、自然に会話を交わしている。
絶対に勝たなければならない。自分のためにも、クラスのためにも。そんな危機感を否応なしに意識させられたことで、困難な状況に立ち向かうことで、少しずつ団結し始めた。
「……いい傾向だな、背理」
「そうだな。お前がどうにかまとめようとしてくれたのは大きいよ」
次は自分が皆の力になる番だ。
背理は拳を強く握った。
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