第21話 すっごくややこしい話になるけど
御堂筋論隊は初戦に勝利した。
議題は「電子書籍の是非」。議具によって彼らは肯定派に回ることになった。対戦相手は必死に紙の本の優位性を説くが、入学から一ヶ月も経たないこの時期にすでに学校全体で30位にランクインしている反論の天才・御堂筋アキハの的確な指摘によってあっという間に戦意を喪失した。
普段は紙の本を持ち歩いている零も、具体的な制作コストの差を10の位まで示すなど様々なデータを武器にアキハをアシストした。抜群の協調性を持つ春樹は他の隊員の発言の意図を即座に汲み取って発言の流れを作る骨格となった。実力が懸念されていたななかも、「『だから』そちらの意見に反対です」というどんな状況でも使えるちょっとずるい文言だけを武器にして邪魔にならずに済んだ。
相手は仮にも一回戦を勝ち上がってきた論隊だったが内容では圧倒。本来ならば、これから間を置かずに始まる翼丸論隊との決勝戦に向けて勢いがつく景気の良い勝利だったはずだ。しかし、残念ながら大きな失態を犯してしまった人間がいる。
背理はただの一言も発言することができなかった。
内容があまりに圧倒的過ぎたのだ。転換は流れを変えることができる。逆に言えば流れを変えることしかできない。始めから終わりまで優位に立っていた御堂筋論隊がわざわざ流れを変える意味はまるでなく、結果的に背理の出番はなかった。
だが、無理にでも出番を作らなければならなかったのだ。「『ところで』○○についてどう思いますか?」という形で他の隊員が突き忘れた部分を補うことができたはず。しかし背理は自分の進退がかかっているというプレッシャーからか議論に追いつけなかった。先に思いついた零に「『ちなみに』○○についてどう思いますか?」と出番を奪われてしまうシーンもあった。そういった意味では背理個人だけの問題ではなく連携不足という要素も大きい。
一人一回は発言しなければならないというルールに抵触した背理がペナルティーを受けたせいで、議論内容は勝っていたのにスコアは僅差になってしまったのだ。背理は彼らの努力を無駄にしてしまうところだった。
「はぁい☆ じゃあ早速決勝戦を始めますよぉ。翼丸くんたち前に出てきてぇ」
えっちーせんせいが進行する。今戦いを終えたばかりの御堂筋論隊は闘議室の中央にある座席に居残り、対戦相手だけが入れ替わる。
「……待ってください」
初めてえっちーせんせいに反抗する者が現れた。御堂筋アキハだ。
「少しだけ、話し合いの時間が欲しいです」
臆することなくせんせいに意見する。普段なら誰もしない行為。だが、今は遠慮していられないのだ。あってはならないことが起きてしまったから。
「……わかったわぁ。じゃあ三分だけねぇ」
せんせいは意外にもあっさり了承する。にっこりと笑顔まで添えて。しかしアキハはそれを見ることもなくさっさと背中を向けて、隊員たちに輪になるよう促した。
「背理。どういうことなの?」
アキハは怒りと失望が混じった瞳で背理を見つめる。
「…………」
「答えてよ……。アンタ、何したかわかってるの!?」
縋るような、哀願するような声を張り上げる。クラスの全員の注目が集まっていることを気にする余裕もないほどに、アキハは背理が何もできなかったことに絶望していた。
「い、いいじゃねぇか御堂筋サン。とりあえず勝ちはしたんだ」
春樹が背理を庇う。しかし、
「良くない! 勝敗も大事だけど、今日はもっと大きなものを賭けてここにいるの! 背理、アンタに委ねるって言ったわよね⁉︎ 覚えてるでしょう⁉︎」
「…………」
覚えてる。
「私は背理を信じてたの! いつだって背理はちゃんと示してくれた! なのにどうして⁉︎ 一番大事な時にどうして応えてくれないの⁉」
「…………」
俺だって悔しい。
──何も言葉にできなかった。ただただ自分が不甲斐なかった。言い訳の余地などまるで残されていない。
「何とか言いなさいよ! ここでも一言も喋らないつもり⁉」
アキハは激昂する。これまで見てきた中で一番の怒りかもしれない。気圧されてしまいそうなほどの鋭利な瞳で背理を睨みつける。
「……俺は」
背理は口を開きかけるが、
「…………」
やはり言えることなんて何も見つからず、口をつぐんでアキハから目を逸らしてしまう。
──バチンと鋭い音が闘議室に鳴り響く。
背理は左頬に衝撃を感じ、その勢いで床に倒れこむ。
見上げるとアキハは振り切った右手を上げたまま息遣いを荒くしている。ざわめきが聞こえる。背理はようやく何が起こったのか理解した。
アキハにビンタを食らわされたのだ。
「逃げるな! 何でもいいから、思ってること言ってよ! 私に向き合え!」
その声には強烈な怒気と、それと同じくらい切実な悲哀が込められていた。
「御堂筋サン! そりゃあ良くねぇよ! 背理だって苦しんでんだ!」
いつも陽気な春樹が顔を歪ませてアキハを怒鳴りつける。
「ハイリくんに何てことするのっ! ななか絶対許さないから!」
ななかも怒りをあらわにし、アキハに顔を近づける。しかしアキハは二人を無視して背理を睨み続けていた。
……あんまりだ。
そもそも俺の活躍次第なんて話を持ち出したのはアキハだろ? 勝手に人に期待してダメなら暴力なんてあまりにも横暴じゃないか。……いや、アキハの提案を受け入れたのは俺自身だ。
俺が発言できる状況じゃなかったから仕方ない。五人で協力して戦うのが『縛接闘議』だろ? ……いや、出番がないならないなりにできることを見つけなきゃならなかったんだ。
やっぱり言えることなんて何もないのだ。言い訳すればするほどみっともなくなる。逃げたんじゃない。自分の情けなさを真正面から受け止めた結果だ。言えるとすれば──
「……俺に期待したのが間違いだったんだ。お前も、俺自身も」
残酷な現実だけだ。
背理の言葉を聞いてアキハは一瞬口を開きかけたが、すぐに下唇を噛んで背理に背中を向けた。
背理ももう何も語らずに立ち上がる。左頬と倒れた時に咄嗟についた右手はまだジンジンと痛む。
五人も、五人を見守っていたクラスメイトたちも潰されてしまいそうなほど重たい空気に包まれていた。
「……話し合いは終わったかしらぁ?」
えっちーせんせいだけがいつもと変わらぬテンションでアキハに柔和な眼差しを送る。アキハは無表情で小さくこくりと頷いた。
「じゃあ決勝戦始めますよぉ。翼丸クンたちも準備はいいかしらぁ?」
今度は御堂筋論隊に向かい合う座席に揃った翼丸論隊に語りかけると、翼丸は呆れ返ったような声で、
「ええ。早く始めたいものですね。全く、何を見せられているんだか」
聞こえよがしにため息をついてみる。勝負は始まっていないのにすでに勝ち誇ったような態度だ。目の前で揉め事を起こしたのだから仕方がない。こんな連中に負けるはずがないと思わせるには十分だったようだ。
「……では、始めましょぉ。これまでは議題はランダムだったけど、決勝戦の議題は決まってますっ。伝統的に使われているものよぉ」
えっちーせんせいは闘議室の中央に移動し、出場する両論隊と周囲を囲む他のクラスメイトに向けて説明するためにくるくると回る。
「議題は『新人戦に出場するクラス代表にはどちらがふさわしいか』! どっちを出すかっていう直接的な話し合いの優劣で決めちゃいますっ! ただし……」
足をピタリと止めて、一度視線を落とす。数秒ためて注目を集める。そして人差し指を立てた右腕と一緒に首を天井に向け、
「立場は入れ替えるわぁ! 自分たちじゃなくて相手がふさわしいっていう立場で議論してもらいますっ。いじわるでしょぉ~」
小学三年生並みの小さな体から発せられたとは思えないほど声を張り上げる。早くこれを言いたかったのと言わんばかりの満面の笑み付きだが、その内容は確かにとてもいじわるなものだった。
「ククク、なるほど。相手がいかにクラスの代表にふさわしいか示せた方がクラスの代表になる。そういうことですね?」
翼丸が元々にやけていた顔をさらに緩ませて口を挟むと、えっちーせんせいは彼をビシッと指差す。
「その通りっ☆ すっごくややこしい話になるけどがんばってねぇ!」
どちらも代表になりたいのは間違いない。だがその自分の意思を曲げ、相手の方が代表になるべき論隊であると主張する。自分たちを代表に推してくる相手を議論で上回り、相手の優位性を立証できた方が勝者となる。結果的には代表にふさわしくないという結論になった論隊が代表になる。
──えっちーせんせいの言う通りこれは途方もなくややこしい。戦いを見守る他のクラスメイトたちが顔をしかませている。たが、翼丸たちには動揺している様子は見られない。翼丸がニヤニヤと他のメンバーに語りかけると、彼らは何かに納得したように頷く。
そして御堂筋論隊は……。議題に驚く以前の問題だった。会話はなく、それぞれが自分の感情を処理するのに必死なだけだ。
「変な議題だからあらかじめ注意とヒントをプレゼントしちゃいますっ」
えっちーせんせいのスピーチは続く。
「まず注意ねぇ。この議題やるとたまにねぇ、『自分たちが代表に選ばれたあかつきにはひどいことする』って言い出す子がいるのよぉ。相手を持ち上げるんじゃなくて自分たちを下げるって方法よぉ」
目標は相手を相対的に下回ること。ならば自分たちの方を卑下するという策略も成り立つだろう。しかし、
「八年前にせんせいが持ったクラスの子はねぇ、『代表になったら教室で皆の前でお漏らしする』っておバカな宣言した子がいたのぉ。結局その子たちの論隊が勝ったんだけど、どうなったと思う~? ……せんせいが責任を持って本当にやらせちゃいましたっ☆」
ペロリと舌を出した顔の横にピースを添える。ジュニアアイドルのような愛らしさとは裏腹に発言内容はおぞましい。これにはさすがの翼丸も若干の動揺を隠せなかった。
「できもしないことを言ったり嘘ついたりは反則としますっ。そのジャッジはせんせいがするからぁ、怪しいと思ったら審議を要求してねぇ」
せんせいが挙げた例の他にも、「代表選の日は祖父の法事のために休む」などと嘘をつくのも禁止になるらしい。正々堂々、真実だけで自分たちを代表の座から引きずり降ろさなければならない。
「そしてヒントねぇ。この議題には大きな落とし穴があるのぉ。それが何かは教えてあげないけど、ハマらないように気をつけてねぇ。では、映獣を召喚してくださいっ☆」
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