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第13話 ぎいいいいいやああああああ

 えっちーせんせいは教卓の裏に顔の七割を埋めながら生徒たちに語りかける。生徒からはツインテールがゆらゆら揺れるところしか見えない。そういう妖怪がいるかもしれないと思ってしまうのは、人ながらにして妖怪より恐ろしい彼女の怪物性のなせる技だろう。

「はぁい、みなさん。入学から二週間経ちましたが慣れてきましたかぁ?」

 もう二週間経ったのだ。翼丸との激しい闘いやアキハとななかによるもっと激しい闘いからは一週間。彼女たちの冷戦状態はまだ続いている。

「論隊を組めた人もまだの人もいるみたいですねぇ。期日は今月末だから、悩んでる人は早めにねぇ」

 探り合いも落ち着き始め、完全に隊員の揃った論隊も三つほどできているようだ。しかし御堂筋論隊は相変わらず三人のままである。

「そして月末にはクラス対抗の新人戦もありまぁす。そのちょっと前にうちのクラスの代表を決めるトーナメントもやりますから、出たい人はそれまでに組まなきゃダメよぉ」

 翼丸が背理たちへの復讐の機会と定めた大会が近づいている。あちらはクラス内で特に高序列な人材だけで固め準備万端だ。選択のクラス序列一位も加えたらしい。毎日背理たちをチラチラ見ながら密談しているのが鬱陶しく、試しに「やあ」と声をかけてみたら無視された。

「新人戦の成績に応じて教室が変わりまぁす。優勝クラスは最新のエアコンと冷蔵庫、無料のドリンクバーに専用の綺麗なトイレがついてる特別教室よぉ。せんせい絶対そこに移りたいと思ってるのぉ。もし負けちゃったら画鋲をたあ~んと食べさせちゃおっかな☆ なぁ~んてねっ」

 教室中が震え上がる。えっちーせんせいは入学以来毎日のように全く冗談に聞こえない冗談を連発する。今のところ一度もウケは取れていない。あのアキハでさえ緊張気味だ。

「ビリになったクラスは校舎裏の離れにある物置みたいなところになるのぉ。暖房すらないから大変よぉ。せんせい一度だけその教室になっちゃったことあるけど、その時の生徒は卒業してから全員消息を絶っちゃったわぁ」

 生徒たちの背筋が凍る。どうか、えっちーせんせいに消されたのではなく上手く逃げおおせたのでありますように。

 教室のドアに「仮D組」と張り紙されているのはこのためだったのだ。普通の教室に居られるのは新人戦まで。「勝者にはあらゆる優遇が、敗者にはあらゆる負担が与えられる」。この言葉の意味が少しずつわかってきた。

 高序列者は良い大学への推薦を受けたり、優先的に受験対策に特化した補習を受講できたりと進学に関する手厚いサポートを受けられる。学費は免除。面倒な委員会活動なども免除。

 論理的思考力と協調性を兼ね揃えた優秀な人材を育て輩出するという理念は的確に機能しているらしく、ここから社会に出た高序列のOBたちは各界で活躍している。その恩恵もあって高卒にしてすぐ大卒と同じ条件で大手企業に就職できたりもするらしい。ここでの成功は社会での成功に直結しているのだ。

 対して低序列者の扱いは最悪。雑用はだいたい押し付けられる。古い建物ながら校舎内が常にピカピカなのは彼らの努力によるものらしい。おそらく、優勝クラスに与えられるドリンクバーの補充係なんかもやらされるのだろう。校舎裏の離れからどんぶらこどんぶらこと参内し、一通り仕事をこなした後に水道水を飲むのだ。

 そして実際に行使されることはないが制度上は存在する序列優位の権限。生徒間にもはっきりとした上下関係が構築されている。

 強者は高待遇だが弱者は養分。序列は少しでも高めたほうがいい。個人の専権序列、統合序列もさることながら、その平均値や戦績から算出される論隊序列とやらも重要。現在論隊は170ほど存在し、御堂筋論隊は131位にランクインしている。これから一年生の論隊が増えたり、御堂筋論隊が増員したりで変動はあるだろうが、全校ビリのななかを抱えながらこの順位ならまずまずだ。

 ──などというように、二週間も経てば背理もこの学校独特の制度をかなり覚えてきた。だからこそ、大きな不安を抱えている。

「じゃあ、隊員探し頑張ってねっ☆」

 えっちーせんせいがHRを終えて教室を去っていく。

 アキハとななかの対立は拗れ、隊員探しどころではない。これが今の背理の悩みだった。

「喧嘩してんだってな」

 前の席に座る能登が話しかけてくる。

「よく知ってるな」

 背理はため息混じりの声で答える。

「そりゃあな! 話題性だらけの論隊だ。クラスの奴らは皆気にしてんだぜ」

 破格の序列・御堂筋アキハ。逆の意味で破格の序列・玉浜ななか。落ちこぼれからの脱却劇・拝島背理。個性豊かなメンバーが顔を揃え、個性豊か過ぎて誰も寄り付かない。

「面白がってくれるな。遊園地に見えるかもしれないが、入ってみると地獄だぞ」

「ハッハッハ! そんなとこによく入ったな!」

 赤鬼のアキハの軍門に下ったのは自分の意思とは言い難いし、後から青鬼のななかを迎え入れてしまったのも自分の意思じゃない。自分の意思があろうが仲間がいなかった時期もあったが、心の負担はもはやその時以上。

 だがアキハのおかげで成長した部分もある。背理は当初面倒臭がっていた春樹との会話を自然にこなすようになった。

「他の隊員探してるんだけど難航しててな。実力とかはこの際どうでもいんだが、あの二人に挟まれてちゃんと立ち回れるかどうかっていうのが今は一番大事だ」

「ほう」

「人当たりが良くて誰とでも仲良くできるような……。そんな奴を……」

 あれ?

 そういえば目の前にいるこの男は……?

 彼の主宰する食事会は日に日に規模を大きくし、背理の読み通り彼は今やクラスの中心人物となっていた。食事会をきっかけに結成した論隊なども出てきている。人当たりの良い彼ならアキハやななかとも上手くやっていけるだろう。

 ──だが背理は彼を避けてきたのが問題だ。転換の落ちこぼれなんかを気にかけてくれている優しい彼から面倒はゴメンだと逃げてきた。今更どのツラ下げて勧誘などできる。それに自分が勝手に決めたらまた揉める原因になるかもしれない。誘うとしてもアキハに一度伺い立てしてからだ。そんなことを考えていると……。

 ふいに、右手の薬指が熱くなるのを感じた。

 議具が発光している。

「お、おい。光ってるぞ」

「ああ。こ、これは……」

 今まで二回、この光を見たことがある。初めてアキハと接続した時と、ななかに謀られて接続と言わされた時だ。つまりこれは──。

「誰か入ったのか!?」

 誰だ? そして、加入させたのはどっちだ? アキハならともかく、ななかが勝手に行動したとしたらもう大事件だ。

 慌ててキョロキョロと教室を見回す。右斜め前方にはななかがいる。左目の上で光りだした議具のついたヘアピンを取り外し、手のひらに乗せて眺めている。その周囲には誰もいない。やがてななかもこちらを振り向き、口をあわあわとさせる。ふわふわした髪が乱れて鼻に垂れかかる

 ということは、──アキハだ。

 今度は左前方を見る。ちょうどアキハもこちらに向かって歩いてくる。その後ろには一人の女子生徒を引き連れている。

 背はアキハより少し低く150センチ台半ば。そしてアキハ以上に手足が細く、手荒に扱ったら簡単に折れてしまいそうだ。縁の黒い眼鏡をかけたその顔はいかにも機知に満ちており、片手には分厚い文庫本を抱えている。黒くて長い髪は後頭部でひとくくりにされており、真ん中で分けた前髪は顔の横を通って慎ましい胸のあたりまで伸びている。首元には専権が補足であることを示すオレンジの議具がついたネックレスが見えた。

「こいつよ」

 背理の真横までやってきたアキハは目潰しかと思うほど顔面の近くに人差し指を立てる。

「アンタにも紹介するわ。補足の三ヶ神零。新隊員よ」

 ……人には勝手に決めるなよ言っておいて自分は。などと苦言を呈しても無駄なので黙っておいた。アキハの中では自分はありでも他の人がやるのはなしというジャイアニズムが常に沸騰している。

「そ、そうか。よろしく」

 初めて話す人に対する常識として、背理はそう告げた。

「こ、この人ですか……!? 転換の……!?」

 しかし相手は常識がない。背理のことは見向きもせず、目を白黒させてアキハに尋ねる。

「あれ? 知らなかった? 結構面白いのよ、転換って」

 零は押し黙ってうつむいた。隣に立っているアキハからは見えないだろうが、手前で座っている背理には顔がはっきり見えた。信じがたいほど歪んでいる。怒りなのか、困惑なのか、悲しみなのか、あるいはその全てなのか、とにかくマイナスの感情を全部含めたような形相。そして……。


「ぎいいいいいやああああああああぁぁぁあぁああああああああぁぁあ!」


 ──教室どころか惑星全土に届きそうな絶叫を上げた。

「ど、どうした!?」

 戸惑う背理がその絶叫の理由を問うのは自然な流れで、

「げええぇえぇええええええええええ!」

 しかしその問いに答える第一候補である本人は説明を始める気配をまるでみせず、

「何!? どうしたのよ!?」

 第二候補のアキハも状況を把握できずにいるらしかった。

 クラス中から視線が集まる。ただごとではない。隣やその隣のクラスの生徒もきっと異変を感じているだろう。

「お、落ち着いて!」

「ああああああああああああああああぁあぁぁああ!」

「何だっていうのよ!?」

「きいいいいいいいいええええええぇぇぇぇぇ!」

「せめて説明してよ!」

「まああああああああああああああああああああんんんん!」

 アキハが何を問いかけても反応なし。

 会話は無理だ。しかしこのまま放置もできない。一旦物理的に押さえ込むしかない。そう判断した背理がとっさに手で零の口をふさごうとする。しかしその手は乱暴に振り払われる。しかも零はその勢いのまま暴れ始め、掴んでいた文庫本は吹っ飛び、近くにあった机や椅子をあらかた蹴り飛ばした。

「がああああああああああああ!」

 零は諸手を挙げて天に訴えかけるように叫ぶ。天も今「何て?」と聞き返していることだろう。

「い、一旦外に連れ出そう!」

 黙らせることができないなら隔離するしかない。背理は零を後ろから羽交い締めにする。その手足の細さからは考えられないパワーで抵抗されるが、背理は火事場のバカ力を発揮してどうにか押さえ込んだ。脳が緊急事態に反応してリミッターを外してくれたようだ。

「そ、そうね!」

 アキハも同意し、捕縛に協力してくれた。そのまま二人で零を引きずって教室の外に出そうとする。その道中で、

「ななかも手伝う!?」

 自らの論隊に危機が起こっていることを察したななかが名乗り出る。しかし、

「……いや、大丈夫だ! 俺たちでどうにかしておく!」

 余計に厄介なことになりそうな気がした。それに小動物の加勢があろうがこの怪物の前ではまるで無意味だ。

「お、俺は必要か!?」

 今度は春樹が志願兵となる。男手は欲しいところだったが、

「お前はクラスのみんなに伝えてくれ! なんでもないと!」

 今やすっかりクラスのリーダー的な存在になっている春樹にはそちらのケアを任せた。

「なんでもないようには見えんのだが!」

「俺もそう思う! だが頼む!」

 心配そうな春樹やななかを置き去りに、二人はどうにか廊下までやってきた。

「おどわあああああああああぁぁぁぁ!」

 しかし鳴り止まない。今度は他の教室の生徒がドアから顔だけ出して様子を伺ってくる。ダメだ、かえって事態が大きくなってしまった。もうすぐ授業が始まる。ここにもこの怪物を置いてはおけない。

「このままどこか人気のない場所に連れてくぞ!」

「ど、どこよそれ!?」

 個人的にはもう二度と行くまいと決めている場所しか思いつかなかった。

「あの屋上の……物置だ!」

 依然叫び続ける零の口を押さえては指を噛まれる。

「ど、どういうことなんだと思う?」

 背理は縋るような声で尋ねてみる。持ち前の賢さで推理してくれアキハ。

「あ、アンタを紹介した途端に豹変したのよ! だから、多分……」

 アキハは暴れる零の手を押さえつけながら怯えた目で背理を見る。

「俺と組むのが嫌だってことか? こんなになるほど?」

「多分ね……」

 新鮮なタコのようにうねうねと、それでいて力強く手足を振り回す零を抱えながらどうにか階段を這い上がって物置までたどり着いた。零は相変わらず断続的に狂気的な雄叫びを上げているが、ここからなら教室までは届かない。はずだ。

「も、もう、落ち着いてよ……」

 疲弊しきったアキハが懇願するも効果はない。

 その後も戦いは続いた。

 その場にあった古い体操マットで零を簀巻きにすると今度はエビのように暴れ出す。そこにアキハが馬乗りになって押さえつける。アキハの目に涙が浮かんでいたのは舞い上がった埃でむせたせいか恐怖のせいか。そのまま数分格闘したのち、さすがのモンスターも衰弱して動かなくなったと思いきや、次は喉が枯れるまで泣くのだった。ようやく会話が可能になった頃にはもう一限が半分以上終わってしまっていた。

 泣きたいのはこっちだ。そんなに嫌か。

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