第9話 『ところで』……

勝ちたい。背理は心底そう思った。あの翼丸という姑息でいけ好かない男の鼻をあかしたい。辱められたアキハのためにも絶対に勝ちたい。でもどうすれば……。

 一長一短の話をまた持ち出せば反論はできる。しかし翼丸はそんな答えが来ることはわかっているはずだ。挑発を優先して作ってしまった隙。対策は練った上での行動だろう。

 そして、翼丸に余裕があるのは次の最終ターンで一気に攻撃すれば逆転できると思っているからだ。だから、その機会を潰してやらねば勝機はない。

 ……温い攻撃はいらない。それと叶うなら、こっちも議論にかこつけて翼丸を個人攻撃するくらいの強烈なヤツを……。

 ──個人攻撃! それだ!

 ふいに最高のシナリオが天から舞い降りた。何もかも解決する作戦が。

 あいつは多分、乗ってくる。あれほどムカつく奴だ。答えはわかりきっている。

 アキハの方を見て軽く右手を上げ、自分が行くと示す。

 予定ではアキハが一通り喋ったあと、ついでのように「ところで」と他の論点を添えるという作戦だった。だがそれじゃダメだ。反論は一旦待ってもらう。早速「待ちなさい、私がやるから黙ってて」と書いてある顔を向けられているが今回ばかりは譲らない。アキハに勝手に決められたりしない。自分の意思で進む。逃げずに。堂々と。

「『ところで』……」

 言ってやった。どんなに冷たい目で睨まれたってもう止められない。


「翼丸君は彼女いる?」


 ──翼丸論隊が揃って困惑する。

 翼丸に至っては困惑だけではなく侮蔑も含んだ顔を見せつける。「何を言っているんだいキミは」と言いたげに。

 しかし、アキハだけは違った。ずっと悪かった目つきが嘘のように、ぱっちり見開いてキラキラさせはじめた。

 よし、伝わった……! オチは任せたぞ、御堂筋!

「以上」

 背理が締めるとこちらの映獣・ピー子ちゃんはさらに2のダメージを受ける。議論と関係ない発言に対するペナルティーだ。13対9と差が開く。蓄積の結果かピー子ちゃんは苦しそうにふらついている。だがこれも計算の内。翼丸がどう答えてくるかもわかっている。

「先攻、翼丸論隊。五回戦」

 アナウンスがあると翼丸は即座に回答する。

「今はいないよ。『だから』どうしたんだい? 以上」

 面倒くさそうに言葉を結んで、ターン終了を宣言する。先ほどと同様にエデンがワシにネコパンチして1ダメージ当たる。14対9の5点差。

 いないと思った。──この答えだと思った。これだけいけ好かない男、いくら容姿が整っていようがモテるはずがない。一応「今は」という言葉を付け加える見栄っ張りなところも気持ち悪い。いたことないくせに。

 それに、これ以上攻撃してこなかった。最後のターンなのにだ。当然だ。こちらがリードを奪われているのに盤外戦術を取ったことで、もう勝負は終わったと思ったのだろう。だがこの展開もスコアも背理が導いたもの。

 議具がこちらの最終ターンの開始を告げる。

 もうこっちが諦めたと思ってんだろ? せめてもの憂さ晴らしに関係ない個人攻撃に逃げたと思っていんだろ? 一長一短の話で反論するチャンスがあったのに、転換で別の話にしたらそりゃ油断もするだろうさ。

 だが、話は変わってない。いや、戻ってくる!

 アキハがもったいぶって深呼吸する。そして意気揚々と、


「自然界で繁殖の権利があるのは魅力のある個体だけだもんね。『でも』動物園に入ればサポートしてもらえることもあるわよ」


 ……これだ。この結末。

 話を変えたように見せかけ、相手を勝負から降ろす。だが実際には話題は変わっていなかった。翼丸を魅力のない個体の一例に仕立て上げる。そして魅力のない個体にとっては動物園の方が良いかもしれないという一長一短の理屈に持っていく。この作戦のおかげで最終ターンという反論の機会がないタイミングで一番のカードを切ることができた。

 背理は転換にしかできない離れ業をやってのけたのだ。

 ピー子ちゃんが後ずさり、勢いをつけて突進する。以前一度見た攻撃。それもそのはずだ。その時も「自然環境も飼育環境も一長一短」とあっちの意見を煙に巻いてやった。同じ論理。ならば同じダメージのはず。あの時与えたダメージは……。

 ──6だ。

 ワシが突き飛ばしたエデンの首元に噛みつく。前回は振りほどこうとしていたエデンだがもはや抵抗しない。

 なぜなら決着がついたからだ。

「議論終了。14対15。勝者、御堂筋論隊」

 議具が感情のない声で告げると映獣たちがバツンとテレビの電源を切ったように姿を消す。

 こちらの勝利。逆接と転換だけで翼丸を無様に打ち負かしてやったのだ。

「何だとぉぉぉぉぉぉー!?」

 翼丸の絶叫が狭い物置の中を乱反射する。

「私たちの勝ちよ。お疲れ様」

 アキハは目が合った者全てを凍りつかせてしまいそうな冷たい眼光をぶつけてやる。

「……こ……こんなのはディベートじゃない。……『縛接闘議』じゃない」

 翼丸が奇妙なほど整っていた髪を掻きむしりながら声を絞り出すと、

「私もそう思う」

 アキハが珍しく他人の意見に賛同した。

「……覚えてろよ。……必ず……必ず……復讐してやる。……クラス代表戦だ。お前らの負け様を衆目に晒し……」

 呪いの言葉を口から漏らす。しかし、

「あーはいはい。今度ね。今は消えて」

 アキハは最後まで聞かずにシッシッと虫を追い払うような手つきをする。表には出ていないが多分ご機嫌だ。

「……行くぞ」

 翼丸は論隊を引き連れて階段を下り始める。しかし中盤で足を止めて、

「……言っておくが」

 首だけで振り向く。眉間とおでこにミミズのようなしわを寄せられるだけ寄せ、

「ボクにふさわしい女が滅多にいないだけだ!」

 捨て台詞を吐いてそそくさと立ち去った。背中を小さくして、みっともなく。

 姿が見えなくなって、背理はボソっと呟いた。

「出会えるといいな、ふさわしいメスと」

 するとアキハがため息をついて、

「アンタなかなか性格悪いじゃない。人のことモテない動物呼ばわりするなんて」

「お前に言われたくねーよ。つーか言ったのはお前だぞ」

 ──突然、アキハが白くて細い右手の人差し指を背理の唇に押し当てる。下から顔を覗き込む。

「私、同じこと二回言うのも嫌いなの。覚えてる?」

「……お前と呼んですいませんでしたね、御堂筋さん」

 少しのけぞって指を避けてからわざとらしく謝罪してみる。すると、

「アキハでいいわ。今日から運命共同体なんだから、フフ」

 御堂筋アキハが笑った。

 教室では誰の問いかけにも無表情で、人のことをずっと睨んでばかりで、感情といえば怒りしかなかったアキハが背理の前で初めて笑った。

 自分とは関係ないと遠ざけたり、ドタバタに巻き込まれてそれどころじゃなかったり、要因はいくつかあるが今まで気づかなかったのが不思議だ。

 彼女の言葉を借りるなら、彼女はとんでもなく魅力のある個体だ。

 くっきりした目も、何も塗っていないのに赤い唇も、きめ細かい白い肌も、良い香りのするさらさらの髪も、モデルのような細長い手足も、全てが魅力的でありながらその全てを傲慢な態度で台無しにしているのだ。固い表情ともっと固い心のバリアをすり抜けて初めて真実の姿形を見つけられる。多分、今のところ肉眼で確認したのは背理だけだ。

「転換って役に立たないと思ってたけど、そんなことなかったわね」

「今回はたまたまだろ」

「いいえ。確かに使い所は難しいけど、上手くハマれば議論を根底からひっくり返す力になる。私も転換になってもよかったかなって思うくらいよ」

「やめといた方がいいぞ……。誰も相手にしてくれない。論隊とかいう制度のせいで俺の未来は真っ暗だ」

「誰も相手にしてくれなくても自分から進むべきでしょ。こんなところで隠れてるなんて合理的じゃないわ」

「むぅ……」

「論理的思考力と協調性を育むための制度よ。『でも』、アンタは真逆に進んだってわけね」

 残念ながら彼女の言う通りだった。この逃げ出したくなる現実にこそ背理は逃げずに立ち向かうべきだったのだ、本来は。

「でもこれで転換の使い方はわかったじゃない。悔しいけど私でもアンタほど使いこなせない気がする。ねえ、序列は?」

「専権22位。統合1170位」

「そんなに低いの? 多分専権ビリでしょ。……アンタ、やればできる子って言われたことない?」

「……ある」

「それ、するべきことをしてないって意味の悪口よ」

 ぐぬぬと唸ったが反論できない。きっとその通りなのだ。今まで散々逃げてきた。

 ──だがアキハからは逃げ切れなかった。

「今まで逃げ回ってばかりだったアンタにしか思いつかないことがあるのね。私は攻めてばっかりだったから、意外と相性良いのかもね」

「そういうもんか?」

「でも、逃げるのは今日でおしまいよ! 戦ってみて良かったでしょ?」

 アキハの無茶のせいで必死にならなきゃいけなくなった。結果的に背理は今確かな達成感を握りしめている。彼女の言う通り、……悪くはなかった。

 コイツといれば変われるかもしれない。この勝利は背理の生き方を変えるきっかけになるかもしれない。──なんとなくそんな予感がした。

「……俺からも一言言わせろ」

 今日はその第一歩だ。逃げてないで、思ったことを言ってみよう。

「俺、お前……アキハを助けたんだよな? アキハが安い挑発に乗っかって無茶するのに付き合って、アキハは『縛接闘議』始まってからも挑発されて状況悪くして、それでも俺の力で勝ったんだよな」

「……そうだけど?」

「お礼は?」

 今度はアキハがぐぬぬと唸る。しかめっ面でしばらく迷ったのち、

「……ありがと」

 目を逸らしてポツリと呟いた。目は冷たいが頬は少しだけ紅潮している。照れを隠すようにアキハはバッと素早く背を向けた。

「そろそろ昼休み終わるわ。翼丸がどんな顔してるか見に行きましょ」

 ……そういえば同じクラスだ。

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