第8話 あるわよ! 『けど』それが何か!?

「あのねぇ……」

 待て。

「ふ~ん……」

 俺がやる……!

「自然状態ならストレスがないみたいに言うのね。『でも』、一長一短よ。生き残るのも難しいなんて環境がストレスじゃないはずないわ」

 少し呆れたように吐き捨てる。

 一長一短。

 ──ズルい言葉だ。

 どちらにもメリットとデメリットがあり、動物本人にインタビューでもしない限りどちらが上か比較することはできない。

 野生動物には自由がある。しかし生存は保証されず、今日の食事すらもあるかどうかわからない緊張感の中で生きている。

 飼育動物には自由がない。しかし生存を保証されて、今日の食事も寝る場所も医療も人間が揃えてくれる中で生きている。

 ……全部一人で済ませてしまった。

 背理は驚嘆した。今の発言で「飼育下で寿命が延びることはメリットじゃない。自由こそ最大のメリット」という相手の主張を否定した。一長一短でしかなく、動物本人しかわからない、下手をすれば個体ごとに答えが分かれる曖昧なもの。こちらの主張したメリットはやはりメリットであると証明した上で、今後総合的にどちらが幸せか比較して論じることができないと断じた。これで議論は次の論点に移らざるを得ない。つまり、転換の役割まで果たしたのだ。

 さらに、背理が抱えていた懸念も払拭された。

 「自然状態ならストレスがないみたいに言うのね」。相手の主張から間違っていると思われるところを引用する。それを逆接で受けて正しいと思う主張をする。この構造なら前の文でも後の文でも相手を否定できるのだ。

 背理は確信した。──御堂筋アキハは反論の天才だ。

 ピー子ちゃんがエデンに襲いかかる。目にも留まらぬ速さで突進。エデンは突き飛ばされてしまう。

「ガッ……ガァァ……!」

 ピー子ちゃんはさらに追い討ちをかけ、横倒れになったエデンの体に乗って首元に噛みつく。エデンは的も決めないままとにかく両腕を振り回しようやく解放された。

「与ダメージ6。6対9」 

 御堂筋論隊がリードを奪う。

「クッ……!」

 初めて翼丸の顔から不快な笑みが消える。スタートから見下しっぱなしの油断しっぱなしだった彼だ。まともな反撃を受けることすら予測していなかったのだろう。

 一方ずっと不機嫌そうだったアキハは首を少し持ち上げてドヤ顔で翼丸を見下していた。何かに成功してもニッコリ笑ったりしないらしい。

「先攻、翼丸論隊。三回戦」

 議具が進行する。次は翼丸たちの反論だ。

 どう来る? もう自由の優位性について論じるのは難しいはずだ。一長一短なのだから。

「……生存するという最も根底にある欲求を動物園は満たしてくれる。『だから』一長一短である」

 翼丸はこちらの主張をまとめただけで発言を終えた。しかし、「以上」とは言わない。

 その意図がわからなかったのは背理やアキハだけではなくあちらの隊員も同様だったらしく、うろたえた目で翼丸を見る。

 翼丸はその中から逆接の専権者を睨む。睨まれましてもと困窮する彼をさらに睨む。すると彼は、

「『しかし』……」

 一か八か逆接の接続詞を一つ置いて、

「本当にそうでしょうか?」

 ──苦肉の策だ。内容は全くない。しかしこれも『縛接闘議』の中では有用な作戦かもしれない。確実に翼丸へのパスにはなりそうだ。すると翼丸は睨むのをやめ彼から視線を逸らした。逆接の彼はこれでよかったのか、と安心した様子で小さく息を漏らす。

「生存に関する欲とは食欲・睡眠欲・性欲の三つ。動物園は最初の二つを保証する。『だから』、個体としては死なない」

 それを聞いて逆接の彼が翼丸の意図に気づいた。

「……『しかし』、動物園の動物は子孫を残せません。認められるのは一部だけです」

「そこまで保証されて初めて生存が保証されていると考える。『だから』、そちらが挙げた『一長』は片手落ちだ」

 さっきまで不自然に柔らかかった口調が鋭くなっている。声量も大きくなる。しかし、人を見下したあの笑顔は戻りつつある。

 個ではなく種の生存を保証して初めて生存を保証していると言える。……背理には、あまり効果的な反論には聞こえなかった。子孫を残すところまで含めて生存としても、 動物園でも子孫を残せる個体はいる。赤ちゃんを展示すればたちまち人気になり、経営面で有利に働く。そして動物園は種の保存を担う機関でもあると立論でアキハが長々と語っていた。対して自然界でも残せない奴は残せないわけで、個体として生き残るだけで御の字。やはり一長一短で片付けられるような気も……。

 しかし次の一言が流れを変える。翼丸のニヤついた口元がさらに緩んでいく。

「満たされないのは辛いからね。性欲は誰にでもある。女子高生の君にだってあるだろう? ……以上」

 アキハを見て鼻で笑った。

 ──最悪だ。

 最悪な野郎だ、翼丸誠治。

 最後の一言は明らかに必要がない。セクハラであり挑発だ。しかし、おそらく最後の一言をアキハにぶつけてやるのがこの三回戦の真の目的だったのだ。

 主張の内容は弱く、エデンはピー子ちゃんを軽く小突いただけで与ダメージ2。8対9でまだ御堂筋論隊が勝っている。よりダメージを受けているくせに、中盤も過ぎたこのタイミングで、さらに自分を不利にしてまで、アキハを挑発しにかかる。その事実がさらにアキハを挑発する。

 こんな状況、アキハが怒り狂わないはずがない。

 手はきつく握りしめて、下唇を噛んで震える。少しうつむいたその顔は紅潮している。怒りのせいか自分の性的な部分に言及された恥ずかしさのせいかわからないが、血で塗りたくったような赤さ。

 落ち着け。

 冷静になれ。

 後でブン殴ろう。

 いや、埋めよう。

 スコップ買ってあげるから。

 かけたい言葉がいくつも背理の頭の中を駆け巡るが発することができない。会話は禁止だし、何より言葉を投げかけてもアキハにはてんで届きやしないことはさっき思い知った。ちょっと挑発されただけで簡単に周りが見えなくなって……。

 ──あ、ということは今もヤバいのか? 背理は思わず一歩後ずさる。

 何をやらかすかわからない。

 何もやらかさないでほしい。しかし……。

 議具がこちらのターンに入ったことを示すアナウンスを流す。するとアキハは間髪入れず、


「あるわよ! 『けど』それが何か!? 以上!」


 ……やってしまった。

 ものの見事に挑発に乗り、貴重な一ターンを無駄にし、言わなくてもいい情報まで叫んでしまった。まだ顔は耳まで真っ赤だ。今度は恥ずかしさが勝っているのではないか。

 議論と全く関係ない発言しかしなかったせいか、ピー子ちゃんは小突く程度の攻撃すらすることなく、逆に首を絞められたように苦しみ始めた。

「被ダメージ2。10対9」

 議具が「与」ではなく「被」と言った。どうやら逸れた発言にはペナルティが与えられるようだ。さっきの翼丸のセクハラも関係ない一言のような気がするが、一応動物の性についての話の流れで出てきた言葉ではある。アキハは完全に議題に関係ない話しかしていないのだ。

 これで逆転されてしまった。厳しくなってきた。残りは二回ずつ。そのうち一回は転換を使わなければならない。ちゃんと得点できるか微妙だ。

 翼丸は作戦成功とばかりに笑うのを必死でこらえている。その姿を見てアキハはさらに憤る。唇がわななく。

「先攻、翼丸論隊。四回戦」

 議具の機械音声が鳴ってもなかなか喋り出さなかった。翼丸がまだ笑いをこらえているからだ。他のメンバーがどうしたものかとオロオロしていると、翼丸が一つ咳払いをしてようやく口を開く。

「ハハ、あまり関係ないね。『だから』お答えをいただいて驚きました」

 言い切るか言い切らないかくらいのタイミングでついにププッと吹き出した。瞬間、アキハの全身からブワッと殺気が放たれ、その矛先ではない背理さえ鳥肌が立つ。

「『それに』、先ほどのこちらの主張に関する反論をもらってないねえ。『なので』改めて考えてほしいかな。以上」

 他の論点で追い討ちをかけることはしないつもりらしい。二つも三つもふっかければこちらはその内一つにしか反論できないにも関わらずだ。勝っているとはいえ差はわずか、攻撃機会はあと一度しかない、それなのにもう勝ちを確信しているのだ。

 エデンが左前足で軽くネコパンチするとダメージは1とコールされた。議論の内容ではなくこちらの不手際を指摘した分といったところだろう。これで11対9。

 御堂筋論隊四回目の攻撃。──背理の出番である。

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