第7話 ……以上

翼丸はタカをくくっている。逆接と転換だけではまともな議論などできるはずがないと。

 ハリボテにすらなっていない粗悪な城壁のような主張。石でもぶつければ倒れてしまいそうな壁だが、豪速球を投げつけてやる腕がこちらにはないのだ。隙を見せたところで反論はしてこない。それなら隙だらけのまま戦っても勝てるだろう。そういう魂胆だ。

 翼丸誠治。いけ好かない男だ。この戦いに乗り気ではなかった背理も、彼の悪どいニヤけ顏を睨みつけた。どうにかして一泡吹かせてやりたい。そんな気持ちが芽生え始めた。隣ではアキハがワナワナと震えながら背理の何千倍もの殺気を噴出させている。

「後攻御堂筋論隊、立論展開」

 議具がそう告げる。するとアキハが苛立ちを込めた冷淡な声で主張を述べる。

「動物園とは単なる娯楽施設である、みたいな認識の人も多いでしょうね。確かに18世紀オーストリアのシェーンブルン宮殿に作られた世界初の動物園は娯楽以外の目的はなかったわ。でも、現代の動物園は違うの。もちろん娯楽施設という一面も持ち合わせているけど、それ以上に有益な面が三点あると私たちは考えてる。一つは教育的側面。教育という言葉を使うと子供向けみたいに思うかもしれないけどそうじゃない。老若男女全ての人に対して有用で普遍的な情報を提供してくれるの。私たち人間が生活している環境と動物たちが生活している環境は大きく異なる。だから普段の日常の中で彼らの環境について考える機会は滅多にないわ。でも私たちと彼らは同じ世界を共有しているという事実を忘れちゃダメ。私たちが彼らの環境を害してしまうこともあれば、彼らが私たちに損害を与えることもある。お互いに影響し合ってしまうんだから、あちら側の立場をできるだけ正確に把握して尊重しないとね。でも、座学でそれを学ぶのは難しわ。情報として頭に入れるだけのことはできるけど、見たこともないものを想像して理解するなんて作業には限界がある。加えて言うならそもそもその勉強をするという動機を作り出すのが困難ね。誰もが知るべきことではあるのに誰もが関心を持っているわけではないから。でも動物園では、座学で得られる以上の知識を楽しみながら身につけることができる。動物園は可能な限り本来動物たちが生きている環境を再現してるの。20世紀後半に動物保護への関心が高まって1978年にパリのユネスコ本部で『動物の権利の世界宣言』が採択されて以降、動物園は各動物に合わせた環境を用意することに全力を尽くしていているから。これは動物たちへの配慮が主な目的だけど、彼らの姿形だけではなく彼らが存在する自然環境も合わせて観察できるというメリットがあって、彼らを守るためには他に何を守らなきゃいけないかがリアルに理解できるの。環境保護への関心を促進し、必要な知識を提供できる。これが一点目ね。二点目は……」

 口が回る回る。

 逆に彼女以外のその場にいる人間はポカーンと口を開くしかなかった。アキハはまくしたてるように喋り続けているが、もう誰の耳にも入っていないかもしれない。内容ももちろんだが何よりその勢いに驚いている。

 あらかじめ用意してきたならまだしも、さっき決まったばかりの議題に対して即座に応答してこれである。立論の時間すらも終始ルール説明だけをしてくれていたのを背理は目撃している。つまりはほとんどアドリブで話しているのだ。饒舌さだけではなく、世界初の動物園を知っていたり、なんちゃら宣言の年号までスラスラと出てきたり、持っている知識も豊富だ。資質だけで専権序列10位に輝いただけはある。

「以上!」

 動物への待遇、研究機関としての機能、絶滅危惧種を保存するための活動、経済効果などなど三分ほど息継ぎをしたかも疑わしいほど動物園の有用性を語り尽くした後、手を腰に当てて堂々と言い切った。自然と敵方からも拍手が起こる。

 背理はなんだかすっかり動物園に行きたくなってしまった。なんと素晴らしい施設だろうか。たった三分ですっかり洗脳されてしまった。

 『縛接闘議』は内容が深くなり辛く、大切なのは連携。そう聞かされていたがおそらく普通のディベートでもたった三分でいきなりここまで主張を深めるのは難しいだろう。

 あちらは突っ込みどころ満載の粗末さ、こちらはあらかじめ反論を予想して潰してある完璧さ。

 勝てるかもしれない。そんな予感が背理の脳裏をよぎる。御堂筋アキハの力があればきっと……。自分が足を引っ張らなければ……。

 翼丸とアキハが不気味な笑みと殺気をぶつけ合うと、

「闘議開始。先攻、翼丸論隊。一回戦」

 議具が開始を宣言する。いよいよ本番だ。それぞれの映獣が接近して睨み合う。

 先に発言するのは翼丸論隊。翼丸は赤い議具のついたネックレスを首にぶら下げた男に目配せする。色から察するに専権は逆接だ。

「動物園が存在するメリットを挙げていただきました。『しかし』、どれもあくまで人間本位のものであると思います」

 続いて順接の翼丸が口を開く。

「『なので』、動物園で自由を奪われている動物たちにはどんなメリットがあるのかお尋ねしたい。以上」

 二人が発言しただけであっけなく一回目の攻撃を締めた。軽く目配せしただけでスムーズな連携。こちらの立論を予測し事前に決めていたのかもしれない。

 発言が終わると映獣同士の闘いが始まる。

「ガオォォォォォォ!」

 翼丸論隊が召喚した映獣、ライオンのエデンが大きく吠え、床を強く蹴って跳び上がる。立体映像なので正確には蹴っていないのだろうがともかく跳び上がる。そして右の前足の爪を大きく振り回す。ピー子ちゃんの胸を引っ掻く。するとワシは

「キイィ!」

 と軽く悲鳴を上げ、翼を慌ただしくバタバタと動かして距離を取る。立体映像とは思えない迫力。ありもしない風圧で背理は仰け反った。

「与ダメージ2。2対0」

 議具がカウントする。2が多いのか少ないのかわからない。見た目でいうとそれほどダメージは負っていないようだ。反論されたというよりさらに意見を求められた形だったからかもしれない。

 そしておそらく、それが翼丸の作戦だ。

 あえて質問形式にしてこちらに語らせる。しかし語ろうにも実質的には逆接しか使えない御堂筋論隊は自由に語ることはできない。口をガムテープで塞がれた人間に尋問をするようななんといやらしい攻め方だ。内容で圧倒しようとはせず、ひたすら人数の少なさを突くつもりだ。

 接続詞とは文と文を繋ぐ接着剤のようなもの。なければ文章はバラバラになって意味をなさなくなる。本来であれば足りない部分を他の専権が補完していくのが『縛接闘議』なのだろうが、別の話にすり替えてしまう転換の背理には補完は不可能だ。事前にわかってはいたもののとてつもなく不利な状況である。

「後攻、御堂筋論隊。一回戦」

 議具のアナウンスで御堂筋論隊のターンがやってくる。

 四回戦まで黙っていろと言われた背理。しかし黙ろうとしなくても何も言えない。相手から質問が投げかけられている以上、「ところで」から話し始めることなどできないのだ。

 相手の質問に回答してから「ところで」と別の話に移ることはできるかもしれないが、接続詞なしで詳しく回答できるとも思えない。やはり予定通りアキハに任せるしかなく、それが少しだけ歯がゆい。

「……確かに人間にとってのメリットも多いわ」

 アキハが口を開く。

「『でも』、動物側にももちろんメリットはある。ほとんどの動物は野生寿命より飼育下寿命の方が長いわ」

 勢いよく言い切ったが、一転口をパクパクさせ始める。本当はもっと言いたいことがあるのだ。情報を添えたいし、予測される反論を事前に潰しておきたい。

 そして少し間を空けて悔しそうに、

「……以上」

 と一回目の攻撃を終わらせた。

 ──これはマズい。

 逆接しか使えない。背理はアキハの様子を見てその深刻さを痛感した。立論ではあれだけ喋ったアキハがたったこれだけで終わってしまったのである。ほとんど防御しかしていない。「つまり」とか、「だから」とかが使えなければこちらから攻撃できないのだ

 こちらからあちらの主張に対してツッコミを入れていくことはほとんどできず、相手の主張を打ち消すのみに留まってしまう。それでは良くて引き分けにしかならない。

 そして背理はもう一つ重大な弱点に気がづいた。

 ──逆接で持論を主張するには相手の意見を一度認めなければならない。

 逆接とは前の文の真逆の方向に舵を切る接続詞。それゆえ本当に言いたいことの前に真逆の内容を示す文を置かなければならない。本当に言いたいことの真逆、自分とは反対の主張、それはつまり相手の主張に当たる場合がある。

 アキハは「確かに人間にとってのメリットも多いわ」と一度相手の主張を肯定し、それから「しかし」を経て自分の主張を展開した。今回に関しては「人間にとってのメリットが多い」は元々こちらの意見だし、「メリット”も”多い」と部分的に認めるに留めたので問題ないのだが、毎回そう上手くいくとも思えない。

 逆接はこの構造でしか喋れないのだとしたら、相手を攻撃する前に一度自分の顔面にパンチを入れないといけないようなものだ。

 一体どうするつもりなんだ? 相談禁止というルールが重くのしかかる。あるんだよな? 抜け道が。

「ガァァァァッ!」

 ピー子ちゃんは爪を立ててエデンの背中に掴みかかる。エデンは身をよじる。必死で振り払おうとする。しかしピー子ちゃんはしばらく離れず、エデンの背中に爪痕を残した。

「与ダメージ3。2対3」

 1ポイント勝っている。駆け出しは順調だが、しかし……。

 続いて先攻の二回戦。翼丸たちの反論だ。

「生きているのではなく生かされていると考えることもできる。本来持っていたはずの自由を奪われた状態で長く生きることが彼らの幸福度に良い影響を与えるとは思えないな。『なので』、寿命が長いことが彼らにとってのメリットだと言える根拠を示していただきたい」

 手をひらひらさせるジェスチャー付きで雄弁に語る自分に酔いながら翼丸が述べる。すると他の隊員たちが言葉を繋ぐ。

「餌を求めて毎日長距離を移動する習性のあるホッキョクグマは、檻の中で同じ場所を延々歩き回ることがあります。『ちなみに』これは常同行動と呼ばれる異常行動で、ストレスが原因と言われています」

 補足。

「『また』、同様の異常行動はライオンやツキノワグマなど多種の動物に見られます」

 並列。

「『さらに』、キリンやラクダは柵をかじり続けるという異常行動を見せます。ストレスが与える悪影響は枚挙にいとまがありません」

 累加。

「『しかし』、そんな状態でも野生より寿命が長いのです。人間でいうところのQOLが著しく阻害されていては寿命の長さはかえって酷です」

 逆接。

「以上のことから動物園は動物にストレスを与え権利を侵害する施設と言える。『だから』、ボクたちは動物園を廃止すべきと考える。以上」

 翼丸が顔の横で右手の人差し指を天に向ける決めポーズ。

 見事な連携だった。これで一人一回必ず発言するという条件は満たしたことになる。

 そしてあちらもあちらで動物園に関するデータを持っているらしい。五人もいれば知識もそれだけ多くなるし、立論の時間に共有しておけばいい。アキハがやたらに知識を持っていなければ人数の不利がここでも響いてきたかもしれない。

 ──この話題は分が悪い。

 背理は直感した。どんな理屈をこねくり回そうと動物を捕らえて檻に押し込めている事実は否定できないのだ。人間だったら刑罰にあたるような仕打ちを動物たちにしてさらには見世物にまでしている。

 エデンと名付けられたライオンがまた吠える。ピー子ちゃんに駆け寄って翼に噛みつく。やはりかなり効いている。両者の姿は自由を約束された動物そのもので、狭い檻の中を歩き回ることしかできない動物園の動物たちとは一線を画す。

 与ダメージ4。6対3でリードされて後攻二回戦。

 俺なら状況を変えられるかもしれない。

 予定にはないが、背理はここで何か言わなければならないと考えた。何も動物たちの権利に関する話題に無理に付き合う必要はない。別の動物園のメリットを提示したり、動物園を廃止するデメリットをあげたりする方向に逃げた方が可能性はある気がする。それが転換にできる仕事だ。

 さて問題はどんな話題に移行させるかだ。立論でアキハは動物園のメリットを語り尽した。そして相手はかわいそうの一点張り。動物園を廃止するデメリットには全く触れていない。

 動物園を廃止……。今飼育してる動物はどうなる? 野生に戻せるのか? 希少な動物の保護なんかもやってるって御堂筋が言ってた。そいつらはどうなる? あとアレだ、教育施設としてのなんとかってやつ。動物園は環境保護への関心を高めている。それがなくなったら環境は悪化して、結果的に動物たちを苦しめることにならないか? いや……。

 背理は必死で頭を回転させた。自分の意見をまとめるのは苦手だ。でもやらなくちゃならない。やってやりたい。翼丸になめられたまま負けるのはさすがに悔しい。

 そして何より、自分にも役割があることが嬉しかった。

 逆接の弱点の件もある。アキハがここで反論しようと思ったら『確かに動物の権利は侵害されています』から始めることになるかもしれない。その後どれだけ的確な反論を添えても効果は薄そうだ。

 流れを変えたい。ここで力を示すことができれば、役立たずの烙印を押され、人を避け、隅っこでウジウジしているなんていう残念な現状が少しマシになる気がした。

 ──しかしそんな背理の決意も虚しく、アキハが口を開いてしまう。

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