第6話 何かに賛成するの好きじゃないのよね
『縛接闘議』の大まかなルールは聞いていたが、実際どんな手続きで進めていくか背理はまだ知らない。どう勝敗をつけるのかも知らない。議具を何に使うのかも知らない。要は何も知らないのと一緒だ。明日以降にガイダンスや模擬戦の授業が予定されているのだが、何もかも諦めていた彼は予習などしなかった。
「議題はランダム生成。昼休みは残り少ない。タイムなしの五回戦、一回二分でいいね?」
「いいわ」
翼丸もアキハもルールを完全に把握しているらしい。入学前に調べておくのが常識だったようだ。
「待て。俺はルールを全く知らん。解説してくれ」
自己主張が苦手な背理だがそうも言ってられない。しかも相手は自己主張の塊である御堂筋アキハだ。言いたいことは言って聞きたいことは聞くくらいじゃないと流されてしまう。
「そんな人いるのね。アンタ何でこの学校来たの?」
「それは俺も思ってる」
あからさまに呆れ顔をされても無視して開き直る。
「アレ出して」
「アレとは?」
「議具」
背理は指輪をつけている右手を差し出した。
「アンタも指輪にしたの? うわ、しかも同じデザインじゃない。なんか嫌な気分」
「うるせえ」
「しかも指まで一緒じゃない。アンタ右手の薬指につける意味って知ってるの? 精神を安定させるって言われてるの」
「安定してない奴が何を言う」
「……意外と短気なのよ私。なるべく顔に出さないようにしてるけど」
もはや意外でもなんでもなかった。普段やけに無表情だったのは努力の結果だったらしい。それがかえって周囲をビビらせているような気もするが……。
アキハも右手を差し出す。指輪にはめ込まれているのは逆接を示す赤い議具。手は背理の方が大きいのに指の長さだけみたらそれほど差がない。「ピアニストなの」と言われたら「やっぱり」と返してしまうだろう。
「せーので『接続』って言って。せーの」
「接続」
声を揃えると、二人の議具がバチバチと音を立てて光り出す。指が熱い。
「な、なんだこれ!?」
「黙って見てなさい」
音も光もどんどん激しくなる。ただごとではない。あらかじめ何が起こるか聞いておけばよかった。随分軽いノリで始めてしまった。
「認証。御堂筋論隊結成」
二人の議具から専権選別の時にも聞いた機械音声が流れる。発光が収まる。アキハは満足げに議具を見つめる。
「これで私たちは論隊になったわ」
「お前……、あ、御堂筋の名前なんだな」
「序列が高い人の名前がつくらしいわ」
そういうことなら拝島論隊という名前には一生ならないだろう。
「準備はいいかい? ククク、今組んだばかりですぐとはね。勝てるわけないじゃないか」
粘っこい気取った喋り口で翼丸は嘲る。……つくづく不愉快な男だ。アキハが激昂するのも理解できる。尿意が去って平静を取り戻した今、背理も彼の態度に少しずつ苛立ちを覚え始めた。
「……今度はせーので『縛接闘議』。いいわね?」
アキハは翼丸を無視して説明を続ける。背理がこくりと頷くのを確認すると、
「せーの」
「『縛接闘議』」
再び二人で声を合わせる。バチバチ。先ほどよりも強烈な光が二つの議具から放たれる。その光が混ざり合い、さらに大きな光になる。やがてその中から……。
──巨大な白いワシが現れた。
「な、なんだこれー!?」
背理はさっきも言った言葉をもっと大きな声で叫ぶ。
二メートルはあろうかというワシがこの狭い物置の中で羽ばたいている。片方の羽の先
が壁の中に突き刺さっているが、かまわず動き続けている。
「ワシね。まあまあいいじゃない」
「ワシなのはわかる! なんだこれ!?」
三度目のこの言葉でアキハはようやく回答してくれた。
「映獣よ。立体映像だから噛まないしつつかないわ」
「立体映像!?」
「そう。それぞれの議具を共鳴させることで生まれる獣。アンタとやったにしてはそれなりのが生まれたわね」
「なんでそんなもんが!?」
「議論の内容に応じて相手の映獣と戦うの。これでどっちが優勢か可視化されるってわけ。よりダメージを与えた方の勝ち」
指輪にくっついたちっぽけな端末にそんな機能があるとは思っていなかった。本来ディベートには勝敗を判定する審判が必要だ。だが『縛接闘議』では映獣がその代わりになるというわけだ。
「茶番は終わったかい? 映獣くらい知っておいてくれないかなぁ」
二人のやりとりをニタニタとニヤけながら眺めていた翼丸が挑発してくる。
「早くそっちも出しなさいよ」
「言われずとも」
翼丸率いる五人組が一斉に「縛接闘議」と唱えると先程と同様に議具が強く発光し、その中から牙の長いライオンが飛び出す。たてがみを振り回しながら頭を上げ、威圧的な唸り声を上げた。
「……すばらしい! エデンと名付けよう。撫でられないのが少し残念だ」
翼丸は誇らしげに、そして少し興奮気味にそう言った。
「名前が要るみたいだぞ、御堂筋」
「……じゃあピー子ちゃん」
壊滅的なセンス。あんまりだ。だが反論すると厄介なことになりそうなので受け流すことにした。
「……そんで、次はどうするんだ? さっき言ってたランダム生成だの五回戦だのはどういうことなんだ?」
ディベートのルールを聞いていたのに巨大な獣の説明をされたのである。肝心なところがまだわからない。
「やりながら説明する」
「いや、今聞きたい」
「やりながら説明する」
「……」
寸分違わぬトーンで二回言われてしまったが別に聞こえなかったわけじゃない。自分の思うようにやらせろという意思表示らしかった。つくづく勝手な女だ。背理は聞こえよがしに舌打ちしてみた。リアクションはない。
「議題生成」
翼丸が自らの議具に向かって唱えると、その場にいた全員の議具から機械音声が流れた。
「議題『動物園は廃止すべきか』。先攻、翼丸論隊。すべき。後攻、御堂筋論隊。すべきではない」
議題と立場と攻撃順が提示された。動物園の是非。アキハと背理は肯定し、翼丸側は否定するということらしい。どちら側に立つか選ぶことはできなかった。普通のディベートでも本来の自分の意見と逆の立場になることはよくある。
「ふふん、定番だねぇ。面白くなりそうだ」
定番、らしい。ディベート界隈のことはよくわからない。
「五回戦」
続いてアキハが唱えると、
「認証」
議具が答えた。
「五回ずつ攻撃するってことか?」
「そうよ。二分で交代」
背理の推測は当った。先攻から交互に五回発言できるということだ。想像していたより少なかったが、二分間話せるなら十分なのかもしれない。
「私たちは後攻ね。反論して終われる反面、最初の論点選びはあっち任せになる」
「なるほどな。一長一短だ」
「ズルい言葉よね、それ。簡単にわかったような口聞けるもん。正解だけど」
正解なのに咎められる意味はわからなかったが感情を逆なでしたくはなかったので口答えはしないことにした。
「まあ、後攻で良かったわ。逆接は反論向きだから。あっちのペースに乗っかってやるわ」
パンパンと翼丸が手を叩いた。「いい加減始めよう」の合図だ。背理が何も知らないばっかりにお待たせしてしまっている。
「立論」
翼丸がまた議具に語りかけると、
「認証。制限時間三分。カウント開始」
もうお馴染みの機械音声が答え、各自の議具が一秒ごとに電子音を放つ。
翼丸論隊とやらは輪になって会議を始めた。こちらも会議をするタイミングなのだろうが、二人では輪を作れない。
「何をすればいいんだ?」
「まずは立論よ。お互いの主張をまとめて発表するの。議論はその後」
「逆接と転換だけでできるのか?」
「立論での発言は自由よ。議論が始まったら私たちは自由に喋れない。ここで言えるだけ言わなきゃね。相手の反論をあらかじめ潰しておかなくちゃ。私が全部やるから大人しくしてて」
「言われずとも。動物園のことなんて何も知らねえし」
自由に喋れる。そう聞いて動物園を肯定する意見をまとめようとしてみたが二秒で断念した。転換なんていう縛りがなくても立派な役立たずだと自覚する。
「まあ普通のディベートと違って制限が多いから、内容はあまり深くならないわよ。大事なのは連携」
「そうか。そうだよな。そんでこっちは連携もクソもないんだ。議論もなるべく一人でやってくれ」
「逆接が一人で延々喋るのは無理よ。文を逆方向に展開するものでしょ? 『Aである。しかしBである』って言った後にまた『しかし』って言ったらどうなると思う?」
「Aに戻ってくるな……。場合によるだろうけど」
「そう。だからこっちは一ターンで三から五文くらいしか言えないわ」
「そんなんで議論になるのか?」
「なんとかする」
具体案を聞きたかったのだが彼女にも持ち合わせがないらしい。
「議論中は言語によるコミュニケーションは禁止ね。だから今のうち言っとくけど、絶対に自分の専権以外の接続詞を使っちゃダメよ。かなりのペナルティーを食らうから。必要な接続詞を省略したり、接続詞に言い換え可能な接続助詞を使うのもダメ」
「ダメなこといっぱいあるな……」
「でもどこかのターンで一回は発言しなきゃダメよ。しかも必ず自分の専権の接続詞を一度は使って」
「まだあった……」
──改めて考えてみるとかなり制限の多いディベートだ。
接続詞の省略は禁止。例えば「雲一つない良い天気。散歩に行った」は順接の「だから」が省略されている。「雲一つない良い天気。だから散歩に行った」が正しい。
接続助詞とは「ので」、「が」など接続詞と同じような働きをする助詞のことだ。その中の一部は「雲一つない良い天気なので散歩に行った」、「雲一つない良い天気だが家にいた」というように接続詞の代用になりうる。注意していないと思わず使ってしまいそうだ。
「アンタはできれば四回戦で発言して。アンタが喋ると否応なく流れが変わっちゃうから、最初の三回は邪魔しないこと」
「じゃあ五回戦でいいんじゃないか?」
「アンタが四回戦で乱した流れを私が五回目で戻すのよ」
「そうですか……」
フォローの体勢をとってくれているのはありがたいが、完全に邪魔な存在であるという前提のもとで作戦を練られているのは少し傷つく。
「『ところで、○○についてはどう思いますか?』とかそんな感じで気になったところを突いてみて。いろいろ考えてみたけどそれくらいしか使い道ないわ」
「……なるほどな」
むしろ使い道が一つでも存在することを背理は少し喜んだ。「ちなみに」とか「また」とか別の言葉で代用できそうなのでメンバーが揃ったらお役御免になるかもしれないが、今回に限っては自分にしかできないことがある。
ふいに議具から流れるカウントダウンの電子音が大きくなった。察するに残り時間が少なくなったのだろう。
「す、すまん。質問ばっかりでまだ全然立論考えてないな。大丈夫か?」
ただでさえポンコツなのにすでに迷惑をかけてしまったと思い背理は慌てた。しかし、
「任せて。私が全部やるって言ったでしょ。でも肯定側か……。私、何かに賛成するの好きじゃないのよね」
「……」
人としてどうかと思われる発言の直後、議具がビーと長い音を放った。制限時間終了だ。そして、
「先攻翼丸論隊、立論展開」
と機械音声が流れる。
お互いの立論に対して意見を交換する。つまり今はしっかり相手の主張を理解しつつ、突っ込みどころを見つけなければならない。緊張しつつも相手方の言葉を待つ。一言一句聞き漏らすまいと意気込んだ。しかし、
「動物がかわいそうです。以上」
翼丸はひどくあっけない一言だけで終わらせた。そしてニヤリと悪意をたっぷり含んだ腹立たしい面構えでアキハを舐めるように見つめた。
間違いない。なめているのだ。
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