第28話 仮説

「水源荘が杜の大井戸の跡地って・・」

 困惑した脳の中でバラバラになった情報が錯綜しだす。上手く繋ぎ止められないが、脳のどこかで宙を舞う情報と情報がカチリと歪ながらに噛み合ったような気がした。

「あれから俺は各年代の住宅地図を調べてみたんだ。杜の大井戸が現存していた年代の地図はまだ建造物も少なかったが、地理的な位置はあらかた特定できた。流石に全年代は追えなかったが、現代の地図と照らし合わせると、確実に杜の大井戸の跡地は水源荘だった」

「それって」

「言うな」

 沼崎が言葉を制した。

「俺はそんな類のものは信じちゃいないが、あんたから聞いた伝承の鉱毒については興味深いし、そっちの方が信じる価値がある」

「鉱毒?」

「ああ、伝承にあっただろう。藩士が鉱毒を井戸に投げ込んだって話だ。伝承自体が本当の話だとは思えないが、こうは考えられないか?貴重な水源に鉱毒を投げ込んだ事は事実。伝承はそれを防止するための一種の寓話。そして今頃になってその鉱毒が水に溶けだし、水源荘でそれにやられた者が出てきた」

 自分の中で組み上げ、固めつつあった仮説をいとも簡単に沼崎が吹き飛ばしてしまった。信頼を得たと思っていたが、結局自分の言ったことは信じられていなかったようだ。

「鉱毒が水に溶けるって・・・、そんなことあるわけない。大昔に投げ込まれた鉱毒が今頃になって溶け出すなんて・・・。そうだ、あそこは水道水のはずですよ。ちゃんと施設で濾過されたカルキ消毒の水が出てくるはずだ。地面に埋まってる鉱毒が水道水に溶け出すわけがない。いくらなんでもその説は飛躍しすぎてますよ」

 肩を落としながら反論する。我ながら冷静な考え方だ。だが沼崎は淡々とした口調で追究を続けた。

「そうだ。今はな。だが建立した時は違ったかもしれない」

「建立した時って・・」

「考えてみろ。とめどなく水が湧いていた土地だぞ。開発当時はまだ街の上下水道も完備されてはいなかった。だとしたら、ポンプで井戸水を汲み上げて設備を回していた可能性もあるとは思わないか?」

 確かに説得力がある仮説だった。自分がした体験すら真偽が滲んできてしまうほど、良く出来ている。

「井戸水はポンプで地下水脈の水を汲み上げている仕組みだ。だとしたら?可能性は低いがあり得ない話じゃないだろう。それを確かめるには、水源荘の図面が必要なんだ。探し当てるぞ」

 棚に向き直った沼崎は再びファイルの捜索に没頭しだした。川野はしばらくの間口元を曲げた後、渋々反対側の棚の前に構えた。

 上の空になりながらファイルを一冊ずつ取り出しては開くを繰り返す。自分でも自信が無くなってきてしまった。あの黒い粘液は幻覚だったのか?すべては出来過ぎた情報の羅列に踊らされた自分の被害妄想に近いものだったのか?

 そんなはずはない。そんなはずは・・。

「仮に鉱毒が水脈にあってとして、それがどうして水源荘での怪死に繋がるんですか」

 背中から問いかける。

「投げ込まれた鉱毒ってのは恐らく伝承の記録通り、岩谷銅山の鉱毒だろう。残っている記録には公害に苦しんだ人々の事も記してあった。鉱毒、いわゆるカドミウム中毒だな。症状は様々だが、全身衰弱や胃腸障害を引き起こすこともある。吐血したって不思議じゃないだろう」

 声の調子からして沼崎も背中で返しているのだろう。

「でもそんな症状だったとしたら、搬送先の病院で調べられるはずじゃないですか。ましてや鉱毒なんて珍しい症状、見逃されるはずがない」

「水源荘で死んだ人間はほとんどが老人だ。独り身で遺族がいない者や他の病気を併発していた者もいる。そんな人間が搬送されてきたとして、死因を事細かに調べ上げると思うか?」

「僕もその鉱毒にやられたっていうんですか。それで変な幻覚を見たり、水に撫でられたような錯覚を覚えたとでも」

「ああ、カドミウム中毒で幻覚を見ることはないが、頭痛や目眩、発熱や悪寒の症状が出ることもある。うなされて悪い夢を見たようなもんだろう」

「だったら僕だけじゃないはずだ。水源荘に住んでる全員が鉱毒に侵されてるはずですよ。でも無事な人だっている。沼崎さんだってそうでしょう。一体どうして僕や死んだ人たちだけが鉱毒に侵されたっていうんですか」

「俺の仮説が正しいとしたら、おそらく水道管に長年の流入によって蓄積された鉱毒が染みついているんだろう。井戸水から水道水に切り替わったとしても、建物の中の水道管はそのままだ。流入度によっては染みつき方が違って、やられた人間は運悪く鉱毒水を多く摂取したのかもしれない」

「・・・出来過ぎてる。そんなことが・・」

「俺からしてみればトカゲの妖怪の呪いで人が死んでるって説の方がよっぽど説得力がないように思うがね」

 次々と反論を説き伏せられ、成す術なく押し黙ることを強いられた。喉の奥に言葉が詰まる。反論したくても、また理論的にねじ伏せられてしまいそうで舌がうずくまってしまう。

 失望と悔しさがぼんやりと胸に渦巻く。小さな志を胸に秘めて縋った藁は、いともたやすく千切れてしまったようだ。

 川野はまたいつものように無の感情を帯びると、ひたすらファイルを探す作業に没頭した。




「あったぞ、これだ」

 沼崎が感嘆の声を上げる。川野は沢谷婦人が持ってきた麦茶の三杯目を慌てて飲み干すと、机上に山積みになったファイルをどけた。それに答えるように沼崎はファイルを広げる。

 川野は身構えた。探求した結果が目の前に現れたのだ。これではっきりする。追い求めていたのは理に反する虚構なのか、それとも出来過ぎた現実なのか。

 恐る恐る身を乗り出してファイルを覗き込むが、さっぱり何が記されているのか分からなかった。線と記号と文字の羅列がびっしりと薄いインクで滲んでいる。

 唯一解読できる文字は、図面の右下に記されていた”水源荘新築工事”だけである。だが、その文字列だけでも十分だった。今、確実に答えが目の前に存在しているのだから。

「沼崎さん、どうなんですか」

 図面を解読できるのは沼崎だけだ。一刻も早く答えを聞きたい。

「まあ、そう焦るな。見たいのは水道工事の図面だ」

 一枚一枚ファイルに綴じられた書類をめくっていく。ゆっくりとページに見入っている沼崎の向かい側で、川野は息を呑んでいた。期待と、それと同量の不安が胸中に渦巻く。

 不意に沼崎の手が止まる。

「見つけたんですか」

 問いかけるが、沼崎は目をぎょろりとさせたまま動かない。全体を舐めるようにじっくりと見入っていたが、やがてある一点を凝視すると、普段は読みにくい無表情が明らかに変貌した。

「これは・・・・」

 

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