第27話 端緒

 隣人と様々な交流を経た週末から、七日後。再び週末を迎えていた川野は街中に流れる川を眺めながら、人を待っていた。

 この川は都市河川というものだろうか。コンクリートで塗りこまれた壁面に挟まれ、泡の浮いた汚い水がゴボゴボと狭苦しそうに流れていた。両側には錆びたフェンスが張り巡らされていて、人が入れないようになっている。

 故郷の自分が慣れ親しんできた川とは全く違う表情だった。水底にはヘドロが溜まっている。壁面からいくつも突き出たパイプから流れ出る廃水のせいだろう。パイプの口からどろりと気持ちの悪いものが垂れている。

 壁面の亀裂からは無数の草が強かに生い茂り、背を高く伸ばしていたが、広げた葉には空き缶やビニール袋などのゴミが被さっていた。かろうじて生き抜いている自然に対し、あんまりな仕打ちをこの街の住人はしているらしい。

 川の水面に生命の息遣いを探すが、小魚一匹見あたらない。突き出たパイプのひとつからジョボジョボと汚水が垂れ流れ、その滝つぼに潰された空き缶が囚われて舞っていた。

 空き缶に見覚えがある。アルコール度数の強いチューハイの缶だ。

 じっと見つめる。滝つぼに巻き込まれ、何度も何度も沈んでは浮きを繰り返している。汚い泡にまみれ、一向に逃れる気配がない。

 逃れろ、逃れてくれ。なぜかそう願った。だが願いも虚しく、滝つぼは空き缶を捕らえたまま、逃そうとはしなかった。

「あんた、何見てるんだ?」

 いつのまにか背後に立っていた沼崎に不意を突かれる。

「ああ、いえ。なんでもないです。行きましょうか」

 すぐに自意識の世界から戻り、向き直る。沼崎は無表情のままかぶりを振ると目をぎょろりとさせ、こっちだ、と言わんばかりに歩き出した。



「跡地が分かった」

「えっ?」

 歩きながら突然沼崎が呟いた。

「杜の大井戸の跡地だ。どこだったと思う」

 淡々と言い放つ沼崎に対し、川野は動揺を隠せないでいた。

「いったいどこだったんですか。跡地って」

「まあ、そう焦るなよ」

 相変わらず無表情のままだったが、沼崎はどこか嬉しそうだった。

「今から行くところに全て答えがそろってるはずだ」

 肩透かしを食らい、川野は黙って着いていくことを決めた。何か問うたところでまたはぐらかされるのだろう。

 沼崎の後ろを歩きながら、ひとり自嘲する。せっかくの休日だというのに、中年の男と街をほっつき歩いている。

 まあいい。確かめなければならないからだ。有象無象に隠れ、姿を現そうとしないものを。得体の知れない異質を暴き、隣人に救いの手を差し伸べたい。自分にできることは、もうそれしかない。

 救いの手・・・?何をお前如きが。相も変わらず気持ちの悪い奴だな。再度自嘲したが、心の中で僅かに今の自分を肯定していた。そうでもしないと自分を突き動かせない。そう思わないと日常に呑み込まれ、自分を確立できないからだ。

「ここだ」

 突如沼崎が立ち止まった。後ろを歩いていた為、ぶつかりそうになるのをすんでのところで踏ん張って止まる。

 二人の目の前には、立派な和風家屋の一軒家が佇んでいた。周囲を石造りの壁で囲み、それに沿うように綺麗に庭木が生い茂っている。中央には屋根付きの木造門がどっしりと構えていた。

「ここって・・・」

「説明すると長くなる。立場だけはっきりさせておこう。二人とも建設会社の人間ってことにするぞ」

「・・・は?」

 突然訳も分からないことをまくしたてられて困惑する川野を尻目に、沼崎は門に備え付けてあるインターホンを押した。

「ええっ、ちょ、ちょっと。どうすればいいんですか」

 慌てふためいていると、沼崎は飄々としたまま顔色一つ変えずに返した。

「いいから建設会社の人間っぽく振舞ってればいいんだよ。なんなら黙ってればいい。やりとりは俺がする」

 あっけにとられた。まったくこの男の考えていることは分からない。一体何なんだ、呼び出されたかと思えば知らない家を訪れ、身分を偽れという。一切の説明もない。どうしろというのだ。黙って言うことを聞けばいいのか。

「はあい」

 沼崎の背後で静かにくだを巻いていると、インターホンが電子音声で言葉を発した。やわらかい年配の女性らしき声だ。

「こんにちは、すいません。こちらは沢谷鉄二さんの御宅で宜しいでしょうか」

 普段の雰囲気とは全く違うはきはきとした声色で沼崎が呼びかける。

「はい、そうですが・・」

「わたしは川野水道の沼崎というものですが、少々お伺いしたいことがありまして、差し支えなければお話をさせていただけないでしょうか」

 しっかりとした口調で言う沼崎に、川野は困惑と安心感を覚えた。勝手に自分の苗字を使って会社をでっちあげるとは何事かと思ったが、口調はまるで好成績の営業マンのような印象を受けた。普段は何を考えているのかわからない不気味な中年が、たった一言二言のやりとりで頼りがいのある大人に姿を変えた。

「ええ、よろしいですよ。少々お待ちください」

 インターホンの年配女性は快く返事をするとプツリと電子音声が途切れ、やがて門の向こうの玄関の扉がカラカラと開いた。

「どうぞ、お入りください」

 現れたのは電子音声の印象通りの、柔和な雰囲気でどこか品のある年配の女性だった。




「建設会社の方達なら、主人の資料に用がおありでしょうか?」

 にこやかに女性が語り掛ける。川野は沼崎の隣でどうすればいいか分からず、黙りこくることにした。仕方がないので辺りを見渡す。

 通された客間はこれまた立派な和室だった。板張りの天井に木彫りの欄間があしらわれ、障子張りの引き戸が並び、昔ながらの上品な造りといった印象を受ける。鴨居沿いにはびっしりと賞状が飾られていた。どれも沼崎が発した沢谷鉄二という名義である。

「ええ、すいません。近々施工する改装工事の案件の見積もり中なんですが、どこをあたっても建築図面が残っていないんですよ。それで、もしかすると新築時の施工業者である沢谷さんが資料を保管しているかもしれないと思いまして」

 飄々と嘘をつく沼崎の隣で、川野はできるだけ社会人らしい面構えをしようと姿勢を保っていた。社会人らしく、という姿勢など、社会人となった今も理解はできていなかったが。 

「やっぱりそうでしたか。主人は馬鹿真面目というか、本来なら捨てておくような図面までとっておくような人でしたから。たまにそういう業者さんが尋ねてくるんですよ」

 沢谷婦人は懐かしむように言う。人でした、ということは、もう御主人は亡くなっているのだろうか。

「どうぞ、主人の残した資料は部屋にそのままとってありますから」

 婦人はゆっくりと立ち上がると、障子戸を開けて招いた。

「やあ、どうもすいません、ありがとうございます」

 立ち上がって着いていく沼崎に倣い、川野もその後ろをしずしずと歩いて行った。



「すいませんねえ。多分ここの棚に保管してあるとは思うんですが。わたしはさっぱりどれがどこの物か分からなくて」

 沢谷婦人は申し訳なさそうに続ける。

「よかったらそこに掛けてゆっくり探されてください。お茶をお持ちしますから、どうぞ、ごゆっくり」

「すいません、ありがとうございます」

 一礼して部屋を出ていく沢谷婦人を見送ると、二人は周囲を見渡し、途方に暮れた。机が一つ、テーブルが一つ、部屋の中央に鎮座している。その周囲を壁に沿って取り囲むようにズラリと棚が並び、どの段にもみっしりとファイルが並んでいる。部屋の隅にはプラケースが積まれ、中にはフロッピーディスクやCDディスクが詰め込まれていた。さながら歴史の長い会社の資料室のようである。

 沼崎の部屋に入った時も本棚に圧倒されたが、それの比ではないほどの膨大な資料を前に、川野は言葉を失っていた。

「やるしかない、取り掛かろう。水源荘の建築図面を探してくれ。ここのファイルの中のどこかにあるはずだ」

「えっ?」

 沼崎は一息つくと、棚を睨みながらファイルをひとつ取りだした。

「どういうことですか。水源荘って」

 沼崎はファイルを捲りながら返す。

「ここの主人は沢谷鉄二って人だ。建設会社に勤めていた人間で、建築物の現場監督をやっていた。立派な人でな、堅物だったが信頼が厚くて律儀な人だったよ」

「知ってたんですか」

「俺は職を転々としてたからな。清掃屋や荷揚げ屋をやっているときに現場で見かけたことがある。直接話した事はないが、業者の間じゃ評判が良くて有名だった」

 沼崎はファイルを棚に戻すと、隣のファイルを取り出し、捲りながら続けた。

「俺はあんたから聞いたことを踏まえてもう一度考えてみたが、どうにもオカルトじみたことを信じる気にはなれなかった。そこで別の方向で考えた末、ここに来たのさ。水源荘を建てた人間のところへ」

「水源荘を建てた?」

「水源荘は築四十年ほどの建物だ。新築当時、沢谷さんが建築の総監督を務めていたらしい。さっき奥さんも言っていた通り、沢谷さんは図面を必ず保存する人だった。だったら水源荘の建築図面があってもおかしくない」

「どうしてそんなものを」

「ここに来る途中、言ったな。杜の大井戸の跡地がわかったって」

 再び棚にファイルを戻した沼崎は手を止めると、川野の方に向き直った。

「それって、まさか」

 妙な緊張感が川野を襲う。

「ああ、水源荘だ」

 沼崎はようやく真実を語った。

「杜の大井戸の跡地は俺たちの住んでる水源荘だ」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る