第22話 歴史

 土曜日の午前十時過ぎ。川野は街の図書館の前に立っていた。

 最近では貴重な二連休の始まりの朝だというのにな、と一人自嘲する。別に構わない。何も予定など無いのだから。戸惑うことなく入り口に入っていく。

 初めて入る図書館だったが、特別変わっているような様子はなかった。ちらほらと人がいるくらいで、驚くようなものは何も見当たらない。古めかしい書物の独特の香りが漂っているだけだ。

 検索機があるようだが、とりあえず本棚の通りを物色することにした。児童書の棚に、古典文学、現代文学、エッセイなど、様々なジャンルの棚がいくつも並んでいる。探しているのは郷土資料の棚だ。ひとつひとつしらみつぶしに見ていくと、ふと懐かしさを覚えるものに再会した。

 ”辞典 辞書 図鑑”の棚の端に、児童向け図鑑のシリーズがある。どれも背表紙が擦り切れ、皴が入っていて年季を感じさせる。その中の一つ、”かわのいきものずかん”を思わず取り出した。

 ぺらぺらとページめくると、長年使っていない引き出しを開けたかのように、記憶が蘇ってきた。ひらがなが多用された説明文、挿絵のキャラクター、生物の鮮明な写真。そのどれもがノスタルジーに満ちていた。

 この図鑑は幼い頃の自分にとって、聖典のようなものだった。今の自分を作り上げたのは、この本だといっても過言ではない。

 記憶を辿る。たしかこの図鑑は数少ない、父親が買ってくれたものの一つだった。父親も日本産の淡水魚の生体飼育が趣味だったため、幼い自分にもその知識を教えようとして、これをくれたのだろう。幼い自分はまんまとその思惑にはまり、川辺に行っては生き物と戯れるようになった。

 あの頃は毎日が楽しかったな。ノスタルジーに浸りすぎたのか、目頭が少し熱くなる。それでもページをめくることをやめないでいると、とあるページが目に留まった。

 ”イモリのせいたい”

 視界に入った瞬間に眼球が冷えていくのを感じた。そうだ、ここに来た目的を果たさなければ。

 図鑑を閉じると、裏表紙のイラストが自分に向かって微笑んだ。魚とり網を持った少年のイラスト。吹き出しが付いている。

 ”これでキミもかわのいきものはかせをめざそう!”

 心のどこかで青い自分に笑われた気がした。

「・・・うるせえよ」

 ぼそりと小さく呟くと、図鑑を元の棚に押し込む。いったい郷土資料の棚はどこにあるのだろう。向き直って探索に戻ろうとすると、すぐ目の前にお目当ての棚が現れた。

 なんだ、すぐ隣だったのか。”調べものコーナー”と銘打たれている棚の中に、郷土資料のカテゴリーが存在していた。

 目的の物は”○○県人物史(1979)”である。棚の本の背表紙を段ごとに目を皿のようにして探していく。・・・あった、これだ。

 本を掴み、引きずり出す。随分と日の目を浴びていないのか、綿埃が舞った。カラカラに乾いた表紙に、質素な文字で題目を謳っていた。ずっしりと重く、歴史を感じさせる。

 小脇に抱えて棚から戻ると、一番端の空席をとった。だだっ広く長い机には誰も座っていなかったが。

 表紙をめくり、目次を読む。丁寧に人物ごとにまとめているらしく、縁のない偉人たちの名前が並んでいる。

 ポケットからスマートフォンを取り出した。目的の人物は先日開いたページに載っているはずだ。閲覧履歴から記録を掘り起こすと、お目当ての一文を探す。

 ”豊水藩が行った新田開発に際して清水淡舟の手により、産声を上げた。”

 これだ。今度は本に向き直り、目次から清水淡舟のページを割り出すと、分厚い紙束をめくる。乾いた紙から飛ぶ埃を鼻息で飛ばしながら、清水淡舟のページにいきついた。

 ” 清水淡舟 (1791~1852)

 ○○国○○群○○町(現在の○○市)において、商家・鴨居峰清水三郎右衛門の三男として寛政3年に生を受ける。掛屋として理財の敏腕を持ち、豊水藩をはじめとした諸藩の経営や口利きに携わる。

 豊水藩の経営の傍ら、当時○○群の代官として赴任した大前長秀のもと、公共土木工事の指揮を執り、当時水源が乏しかった○○町の灌漑を行った。その際に周囲の反対を押し切って水路の開削を行わず、○○町の中心部に近い宮の杜にて堀井戸の工事を強行に近い形で施工する。結果としてこの手掘りの堀井戸は水脈を引き当て、温泉のように無限に湧き出した水は源流を産み出し、豊水藩の新田開発に多大な貢献をもたらした。

 土木工事の心得はあったといわれているが、清水淡舟が何故宮の森に固執し、堀井戸工事を強行したのかは不明である。だが、杜の大井戸と銘打たれたこの源流から、総延長2543mにも及ぶ井路の開削によって、用水を受給できるようになった村は12ヵ村にもなり、畑は水田へと姿を変え、天水頼みだった村々の農業生産は飛躍的に向上した。

 当時は干魃による飢饉が多発していたため、この杜の大井戸と井路によって救われた人々も多く、清水淡舟は多くの社会貢献と地域振興を果たした。”

 どうやら記事の情報は正しかったようだ。触りの部分を読み込んだだけでも、この街の立派な郷土偉人だとわかる。

 だが、肝心の伝承については記されていないようだった。この項目には載っていないのだろうか。もう一度目次に戻る。

 ”杜の大井戸”、”異喪裏伝承”。この二つの単語を探す。人物史なので、そもそも載っていない可能性もあるが・・。あった、人物名の章の後の項目欄に”杜の大井戸”の項目がある。再びページをめくり、埃に咳き込みながら項目を割り出した。

 掲載されていることは大方記事の通りのことだった。当時はまだ観光スポットとして機能していたのだろう。白黒の写真が掲載されていたが、記事の写真と違って井戸の周りは立派な境内のように威厳が溢れていた。

 伝承は、伝承の情報は無いのか。目で文章を追う。異喪裏。イモリ。この街にはなにかある。水源荘での出来事を踏まえると、なにか重大な事象が見え隠れしているような気がする。妖しい粘液を孕みながら。

 ”異喪裏伝承”

 視界に入った瞬間に食い入るように目を見張った。これだ。目的の物は。一体何だというんだ。異喪裏伝承とは。

 

 

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