第14話 病院
「うう・・・」
瞼の隙間から眩しい光が突き刺さり、川野は目を覚ました。なぜ起きたらこんなに眩しいんだ。いつもはもっと薄暗いはずだ。アラームは消したんだろうか。また気が付かずに消してしまったのか。
渋々目を開けて視界を慣らすと、見慣れない真っ白い天井と蛍光灯が目についた。ここはどこだ。自分の部屋ではない。身体を起こそうとして腕に力をいれると、鋭い痛みが走った。起き上がるのを諦めて腕を見ると、チューブのようなものが腕にへばりついている。チューブを目で追うと、ぶら下がっている透明な袋に辿り着いた。ああ、これは点滴だ。点滴?ああ、ここは病院なのか。
・・・なぜ自分は病院で点滴をしているんだ ?一体何が・・・。
記憶を掘り起こそうとした瞬間、点滴のぽたぽたと垂れる水滴を見て、一気に脳が覚醒した。腕に力が入り、無意識のうちにベッドに爪が食い込む。
全て思い出した。上司にこっぴどく叱られて、ずぶ濡れになって帰ってきて、風呂に入ったんだ。そしてその後・・・。
・・・あれは夢だったんだろうか。いや、夢にしてはこの身に感じた感触が今も鮮明に蘇るのは腑に落ちない。あの粘液は疲れから脳が産み出した幻覚なのか?
蘇ってきた記憶の断片がぐるぐると渦を巻いて混乱してきた。脳が呆けているのに恐怖と焦燥感が居座っていて頭痛がする。
これ以上考えるのはやめよう。頭痛に耐えられなくなった末にそう決意してから、ようやく気が付いた。今、一体何時なんだ。会社は、携帯は。ここはどこの病院なんだ。一体誰が自分をここまで運んできたんだ。
見渡す限りでは何も手掛かりはなかった。カーテンで仕切られているベッドの光景だけでは何も糸口はない。もう後はこれだけだろう。先ほどから視界に入っていたナースコールのボタンを、意を決して押し込んだ。
「まあ、おそらく過労で弱っているところに風呂上がりのヒートショックでやられたんでしょうな。あなたは運がよかった。失神しただけで軽い打撲ですんだんだから。脳梗塞や心筋梗塞を引き起こして死に至るケースもありえた話ですよ」
飄々とした口調で老医師はカルテらしき書類を見ながら告げた。
「はあ・・・。過労ですか?あんまり実感がないけど・・・」
仕事は忙しかったものの、倒れるほど働いていた覚えはない。
「最近はね、あなたみたいに一人暮らしの若者がぱたりと倒れて運ばれてくることが珍しくはないんですよ。ブラック企業ってやつで過労寸前になりながら睡眠不足できちんと朝昼晩食べていないでしょう?いくら若いからって、そんな生活続けてたらあっという間に点滴生活になるんだから」
なんだか全体的に腑に落ちないが、まあそういうことなんだろう。夢か現実かわからない得体の知れない出来事よりも、目の前の老医師の判断の方がすがりつく甲斐がある。今はそう考えることにしよう。
「まあ、今は体調も落ち着いているようだし、夕方には家に帰れるでしょう。ビタミン点滴をしてますから、それまでは今日一日病院で安静にしていなさい」
カルテから目を離さないまま、老医師は淡々と結論づけた。
「あの」
腰を上げていそいそと去ろうとする老医師の背中に川野は疑問符を投げかけた。
「自分はどうやってここまで運ばれてきたんですか」
あの時、最後に見た映像はぼやけたユニットバスの冷たい床だった。一体あれからどういう経緯で今この場にいるのかがさっぱり記憶にない。
「そりゃ君、救急車で運ばれてきたんですよ」
なんてことのない口調で老医師は続ける。
「隣の部屋の住人から人が倒れた音がしたって電話があったらしいですよ。そうそう、きちんと礼を言っておきなさい。その通報がなければあなたはどうなっていたかわからないんだから。いってみれば命の恩人ですよ」
それだけいうと、忙しいのか老医師はカーテンをめくって出て行ってしまった。
隣の部屋の住人・・・。イズミさんだろうか、それとも・・・。
また思考が嫌な方向に向かうのを感じて、それをうやむやにするためにベッドに背中を預けた。何も考えないようにしよう。手元には携帯もない。会社にも今この現状を報告することは出来ないのだ。ここで考えを張り巡らせようが、点滴につながれている今、あがくことは出来ない。
無表情のまま天井をみつめる。皮肉なものだな、と思わざるを得なかった。ベッドから動くことはできず点滴につながれてしまっているが、ありとあらゆる日常のしがらみから解放されているのだから。
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