第10話 眼差し

 「いらっしゃいませー」

 店員の事務的な挨拶に迎えられて、川野は大型ホームセンターの中へと入っていった。日はすっかり暮れていたが、店内はそこそこの賑わいをみせている。一昔前のヒット曲がBGMとして流れ、どこかチープな雰囲気が漂っている。

 今日は金曜日。本来なら明日は休日のはずだったのだが、急遽休日出勤が決まってしまい肩を落として帰路についていた途中、以前から気になっていた大型ホームセンターにふらりと寄ったところである。

 特に買うものなど無かったのだが、こういった大型のホームセンターにはペットショップが入っていることがある。それをわずかに期待して立ち寄ったのだが、広すぎる店内に少しうろたえていた。

 仕方なく適当に歩き出す。探索していくように進んでいくと調理器具コーナーや文房具コーナーが現れたが、特に必要なものは無い。というよりは財布の中身からしてあまり無駄なものを買えるほどの余裕はなかった。

 それでもペットショップ目当てにここに来たのには、週末が潰れてしまったことによるストレスからの反動だった。華々しい週末を迎えられないのなら、せめてメダカが減り、寂しくなってしまった家の水槽に新顔を追加して彩りを持たせようと思いついたからである。

 店内を冷やかすようにふらふらとしていたところ、ちょうど角の一画がペットショップになっていた。わずかに心が躍る。立ち寄って見てみると、どうやら熱帯魚や金魚が主な商品のようだ。壁に埋め込まれたようにしてキューブ型の水槽がずらりと並んでいた。一つ一つしらみつぶしに眺めていく。

 金魚コーナーには和金や出目金、コメットにランチュウ。ピンポンパールやスイホウガンなどの変わり種もそろっていた。どの種も明々としてきらびやかに泳いでいる。家の水槽だとサイズや環境に問題があるため、手は出せないだろう。

 水槽沿いに平行移動していくと、今度は様々な熱帯魚が現れた。グッピーやコリドラス、ネオンテトラ達が極彩色の体色を見せびらかすように泳いでいる。いくつか大型の水槽があり、その中には白銀のアロワナが優雅に舞っていた。熱帯魚はそもそもヒーターを入れないと飼育できない為、候補にすら入れられない。

 どうやら家の水槽に見合う日本産の淡水魚は取り扱っていないらしい。もう他に水槽は見当たらない。これでは何も買えないな。そう思って水槽をぼんやりと眺めた。疲れた自分が反射して見つめ返してくる。なんだか嫌になって目を背けると、床に発泡スチロールの箱が置かれているのが目についた。

 歩み寄って覗き込むと、中には水が張ってあり、三匹ほどドジョウが泳いでいた。泥色の体色をしているので、おそらくマドジョウだろう。どの個体も小ぶりで動きが鈍い。よく見ると、発泡スチロールの箱には手書きの値札が貼られていた。赤いマジックで”餌用ドジョウ 一匹50円”と書かれている。

 なるほど、それでこんなに雑に扱われているのかと納得した。発泡スチロールの中の水はエアレーションすらされておらず、埃が浮いている。しばらく眺めていると、なぜだかドジョウ達に親近感が湧いてきた。三匹ということは百五十円だ。自販機でジュースを買うよりも安くつく。

「あのう、すいません」

 川野は近くにいた店員に話しかけた。






 百五十円分の命が入ったホームセンターの袋をひっさげて街の通りに出ると、金曜日の夜らしく騒いでいる若者達や、酔いどれのサラリーマン達が闊歩していた。飲食店街の照明が眩しいほどにきらめいて見える。その端をとぼとぼと歩いて家を目指す。周りのにぎやかな雰囲気に押しつぶされそうになりながら、ホームセンターの袋を握りしめた。

 いつからだろう。街の喧騒の中の笑い声が、まるで自分をあざ笑っているように聴こえてしまう。疲れているからだろうか。自分がひどくみじめに思えてくる。

 自然と歩を進めるのが早足になった。いたたまれない。早くこの喧騒から逃げ出してしまいたい。

 走り出すことは出来なかったし、その気力もなかった。ただただ刺すような、にぎやかな光を浴び続けながら、こそこそと早く歩くしかない。もうすぐだ、もうすぐでこの喧騒から逃れられる。ただひたすら静寂を求めて帰路を急いだ。






 水源荘の入り口についた時、川野はバクバクと動く心臓を立ち止まって必死になだめていた。逃げるように早歩きで帰ってきた為、息こそ上がっていないものの、呼吸が乱れて息がしづらい。軽い立ち眩みがして手を壁についた。コンクリートのざらりと乾いた冷たい感触が伝わってきたが、手のひらはそれと同じくらい乾いていて冷え切っていた。

 しばらく壁と同化したように立ち尽くしていたが、やがて呼吸のペースを取り戻して落ち着いてきた。頭が回るようになり、手に持っていた三つの命のことを思い出した。

 慌ててビニール袋を見るが、新聞紙にくるまれていて中身が無事かどうかわからない。とにかく家に入ろう。この安くたたき売られていた小さな命達を、無事に安息の地へと送り届けなければならない。ここでぐずぐずとしている暇はないのだ。

 気を取り直して前を向き、階段を上がっていった。一段、二段、ペースを乱さずに上がっていく。ちょうど二階に辿り着いた時、ガチャリと聞きなれた音がした。どこかの部屋のドアが開いた音だ。二階の廊下に目をやると、異様に大きく不自然なシルエットが佇んでいた。

 一瞬ひるんだが、それが隣の部屋から出てきたことと、よく目を凝らせばその不自然なシルエットがギターケースであることが分かった。廊下の薄暗い明りに照らされて、毒々しい格好をしたイズミが、ドアにガチャガチャと鍵をかけているのが見える。

 あっけにとられていると、イズミは鍵をかけ終え、カツカツとブーツの尖った音を鳴らしながら近づいてきた。こちらに気付いたようで、ギラリとしたメイクの目でこちらを見つめてくる。

「こんばんは、仕事帰り?」

「あっ、そうです。どうも」

 情けない気迫の声で返した。気恥ずかしくなった瞬間、喉からそれを上書きしてかき消してしまいたい衝動が湧きあがり、勝手に声が出る。

「イズミさんってバンドか何かされているんですか?」

「ん?ああ、まあね。・・・じゃ」

 イズミは短く返した後、またブーツを鳴らして階段を降りて行った。川野はさっきまでとは違う心臓の動きを感じて自分をなだめた後、その足音を背中で聴きながら自分の部屋のドアを開いた。






 これくらいでいいだろう。水合わせをしていた小さなバケツから、水槽の中へと三匹のドジョウを解き放った。新しい飼育個体を迎える際は、飼育する水槽の水に徐々に慣らしていかなければならない。帰宅した後、食事や入浴の合間をぬって少しづつ飼育水をバケツへ足し水していったのでもう大丈夫だろう。

 放たれたドジョウ達はしばらく水底を這いまわっていたが、徐々に落ち着いてきたのか、底に敷いてある砂を食み始めた。

 泥色で華のない魚種だが、遺伝子改良によって無理矢理飾られた者たちよりも、飾らずに自然のままでいる彼らの方がずっと美しい。

「なあ、そうだろ?」

 ビリーに話しかける。ビリーはじっと虚空をみつめてとぼけていた。自然と自分の表情が緩むのがわかった。

 ひとつだけ気にかかることがあった。イズミと交わした短いやりとりのことである。初対面の時にもわずかに感じたが、イズミからは無力感や諦観のようなものが漂っている気がした。毒々しくぎらついた見た目に反して、心根は繊細で儚いような、そんな気がしていた。

 ぼんやりとそんなことを考えている自分に気が付いて、自身に対して毒づいた。何を考えているんだ。ほとんど話したことのない異性に向かって。

 頭を振って自分自身を戒めた後、ビリーを見つめなおすと、いつの間にかこちらを向いていた。じっと見つめ返すが、負けじとビリーも見つめ返してくる。

「・・・そんな眼でみるなよ」

 ぼそりと呟いた一言が、小さな部屋にむなしく吐き落ちた。

 

 

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