第9話 絵空事
「いくぞっ、せーのっ、ひゃっほーう!」
川野は親友たちと掛け声とともに深みに飛び込んだ。数人まとめて飛び込んだために、水面が大きく揺れてしぶきを上げる。じりじりと照り付ける八月の太陽がそのしぶきを反射してキラリと光らせた。
「はははは、次はそっちから飛び込もうぜ」
一人が大きな川の中流に鎮座している大きな岩を指さすと、ずぶ濡れの少年たちは我先にと水中を駆けて目指した。
「いくぜっ、今度は俺が一番!」
「なんだよ、俺が行く!」
「ははっ、もうみんな一緒でいいよ」
少年たちは水しぶきに負けないくらいの輝かしい笑顔でアイコンタクトをとると、一斉にまた深みへと飛び込んでいった。
「なあ、もう高校どこにいくか決めた?」
夕暮れの川べりでアイスを食べながら一人の少年が切り出した。全員がアイスをほおばる手をとめてそれに聴き入る。
「俺は推薦で北高にいこうかと思ってる。今ならいけると思うんだ。あそこのサッカー部なら全国に行けるかもしれないし」
先鋒を切った少年に全員が感嘆の声をあげる。
「やっぱすげえよな、シュンスケは。俺は三高かな、あそこは宿題でねえし、家から近いし」
別の少年がにやけながら言うと、シュンスケは笑いながら足元の小石を川に向かって投げた。
「そんな理由かよ。ははは、シンゴらしいや。リョウタは?」
「俺は高専に行こうかなって。行けるか怪しいけど」
リョウタはアイスの棒をかじりながら答えた。
「高専って県外じゃん。出ていくのかよ?」
「うん、ふつうの勉強するよりは将来役に立つかなって」
再び全員から感嘆の声が漏れだす。だが、どの少年もどこかもの寂しげな表情を隠しきれないでいた。しばしの沈黙を破ってシンゴがアイスの棒をパキッと嚙み折って吐き捨てた後、声をあげた。
「ナオトは?どっか決めてるとこあんの?」
「俺?俺は・・・」
川野が答えを探しているとシュンスケが突然声をあげた。
「おい、何だ、あれ」
全員がシュンスケの方を見る。シュンスケは川べりの流れが緩やかな水面を指さしていた。
「なんだよ、どうしたの」
「なんかいる。あの水草、なんか動いてねえか?」
全員が川べりから身を乗り出して覗き込んだ。水中の水草は澱みに沈んでいるからか、ぴくりとも動かなかったがよく見てみると確かに何かが潜んでいる。水草の一部がときおりゆらりと蠢いていた。
「何あれ、魚?」
リョウタが素っ頓狂な声をあげる。全員が沈黙する中、川野がそれを破った。
「あれはイモリだよ」
全員が川野の方を見る。
「イモリってあのトカゲのイモリ?」
シンゴが疑問を投げかけると川野は足元に転がっていた枝切れを掴み、それを水草の蠢きに突っ込んだ。少しかき回すと、枝切れをくるりと回して水草をからみとり、水中から取り出す。もさりとした水草の塊の中から、真っ黒い体躯のイモリがぬらりと這い出てきた。
「うわあっ、キモ。まじでイモリじゃん」
「すげえ、ナオト。よくわかったな」
少年たちは蠢きの正体を恐れつつ、川野の明瞭さに唸った。
「この辺にはいるんだよ。昔、小学生の頃さ。そっちの上流の方で水草が動いてたから、掴んだらコイツがいてさ。めちゃくちゃビビッて投げ捨てて帰ったんだ」
「はっはっは。そりゃビビるよな。こんな毒々しいやつ」
「さすが生き物博士。よくわかったな」
全員が笑いでにぎわう。遠くの方でヒグラシのカナカナという鳴き声が聴こえてくる。川の水面に夕暮れのオレンジが溶け出して、少年たちの影を長くしていった。
「おい、そろそろ帰ろうぜ。今度はみんな宿題持って来いよ。いい加減終わらせねえとな」
「お前んちでやると絶対ゲーム大会になっちまうじゃん。どっか涼しいファミレスとかでしようぜ」
少年たちは自転車にまたがって帰り支度を始めた。その中でただ一人、川野は自転車に乗らずに立っていた。
「ああ、そっか。ナオトは家近いから歩いて来てたんだっけ。またな、今度は勉強会で」
「ははは、宿題丸写し大会だろ」
川野が笑いながら返すと、他の少年たちもつられて笑みを浮かべた。
「はははは、じゃあなー!」
みんなが自転車で駆けていく。川野は手を振って見送った後、水浴びの後の火照った体でサンダルをジャリジャリと鳴らしながら道を歩いた。心のどこかで安心している。自分にだって心に決めた目標がある。だが、それを表に出すのを恐れている自分がいた。
あいつらは笑うかな。空を見上げた。オレンジ色の空が広がっている。またどこか遠くの方でカナカナとヒグラシが鳴いた。
やってやるさ。そうオレンジ色の空に誓うと、川野は長く伸びた自分の影を引き連れて、川沿いのあぜ道を駆け出した。
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