―――きっかけ part 1―――

 わたくしは、ある平民の夫婦のもとに二番目の娘として生まれた。

 小さな商業を営んでいる父も、メイドとして貴族の家で働いていた母も、私が生まれたことをとても喜び、姉は私をこれでもかというくらい可愛がってくれた。甘やかされたことも、沢山あったように思う。

 父はいつも言っていた、『優しい娘であれ』と。『嘘や意地悪は絶対にするな』と。

 その言葉どおり、私は嘘をつかなかったし意地悪もしなかった。大好きな姉と喧嘩はしたけれど、そのぶん仲直りもした。

 幸せな、とても幸せな毎日だった。


 ―――けれど。いいえ、だからこそ。

 私は母の本心も姉の正体も、何一つわからなかったのだろう。







 ―――父が亡くなると、母は本性を現した。それはお葬式が終わった、夜中のことだった。

 その日の私は、なかなか眠ることができないでいた。理由は簡単、亡くなった父を忘れられなかったからだ。

 大好きだった、優しい父。ベッドに横になると、そんな父親との大切な思い出が鮮明になった。そして、それを考えては涙が溢れてきた。会えなくなってしまった寂しさと悲しさが、私の心に影を落とした。


 それを振り払うために、私は部屋を出た。そして家の一階にある、キッチンへと向かった。

 キッチンに行くには、食事をするダイニングを通らなければいけない。その前に暗い、暗い廊下を一人で通らなければいけない。

 暗くて恐いものが苦手だった私は、足がすくんだ。怖くて怖くて、どうしようもなかった。

 それでも、父と会えなくなってしまったことの方が、何よりも心のなかでまさっていた。

 ギュッと手を握りしめ、ゆっくりと廊下を進み始める。

 キシッ・・・キシッ・・・キシッ・・・。

 木の擦れる音が、静かな廊下に響く。それがまた、私に恐怖を思い出させた。

 それでも、私は進んだ。


 ダイニングまであと少しの距離・・・というところで、私はピタリと立ち止まった。というのも、今から向かう場所に小さな明かりが見えたからだ。

 今はもう夜深く、辺りが闇に包まれている時間。普通ならもう、ベッドに入って眠っている頃合いだ。

 なのに、明かりが見える。誰かいるのだろうか。もしくは誰かが火を消し忘れているか。どちらにせよこのままでは危ないので、ダイニングに行くことにする。

 ただし、もしも誰かがいては驚かせてしまうので、ゆっくりと、ダイニングの入り口に近づいた。

 そして―――入り口に近い物陰から、そっとダイニングのなかを覗いた。


 大きなテーブルが黒々と大きな影をつけながら鎮座し、月明かりが薄く窓から降っている。それ以外の場所は闇に包まれ、それが余計に広く感じて、私は怖くなった。

 それからその大きなテーブルの上に、誰かが消し忘れたのか、小さな火が短い蝋燭の上で瞬いていた。そして、その近くにある椅子に、人影が座っていた。

(っだれ!?)

 知らない者だと怖くなったが、その人影の声を聞いて息をつめた。

 ・・・そう、そこにいたのは。




「……あの人が死んでくれて助かったわ。ようやく肩の荷が下ろせたもの……。」

 歪んだ笑顔で恐ろしい言葉を紡ぐ―――母親だった。




 その笑みは、おとぎ話に書かれている悪い魔女そのもので。悲鳴をあげそうになったのを、あわてて口を手で押さえた。

 バクバクと、心臓の音が聞こえる。それはとても大きな音で、周りにも聞こえそうなくらいだった。

 ―――何よりも驚いたのは、次の母の言葉だった。

「結婚なんて重荷でしかないと思っていたけれど……死んじゃったからいいわよね?」

 一気に身体中の力が抜けていった。というか、身体に力が全く入らなくなった・・・というべきか。

 てっきり母は、父の死を悲しんでいるのだろうと―――きっとこの先が不安なのだろうと、そう思っていたのだ。ずっと仲の良かった夫婦だから、余計に泣いていると。

 そう、思っていたのだ。


(これが、お母さまの……本心、なの?)

 水を飲むことも忘れて、私はなんとか身体に力をいれた。そして、震える身体に叱咤して部屋に戻った。




 それ以来、私は母が怖くて逆らえなくなった。そして、母がしていることに意見や制止すらも、言うことができなくなった。そしてそれは―――新しくできた義妹いもうとに対する悪質な行為でさえも。止めることが私には・・・できなかった。

 何かしたくて、でも何もできないのがわかっていて、見てみぬふりをした。〝ごめんなさい〟と自己満足のような言い訳を義妹にして、忘れようと目を背けた。










 もしも、私にそれが出来ていたのなら―――母を止めたり、身を挺して二人からを庇っていたのなら――違う未来も、あり得たのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る