メンヘラは抱え込む
黄色く淀んだ空は雷鳴と共にフラストレーションを溜めて、今にも臨界点を超えそうな怒りをぶつける矛先を探していた。君には僕しか居ないんだよと、まるで心当たりのある誰かを加害者に仕立てようとしていた。
「今日はもう無理だな」
体育祭を明日に控え、リレーのバトンパスを練習していたボクらは強制的に帰り支度をする必要に迫られた。
「やれることはやった。今日はしっかり休んで。明日は絶対に勝つぞ」
加藤が円陣の真ん中でそう叫ぶとみんな一斉におう、と声を張り上げた。
やれる事は、一通りやった。後は皆死にものぐるいで走るしかない。
円陣を解散すると皆は荷物をまとめて早々に帰っていく。
体育委員だったボクはバトンを回収して職員室に返しに行くところだった。
「悠希ごめん、ちょっと私やることあるから先に帰ってて」
「え、今日は遊びに行く約束だったじゃん」
「本当にごめん。どのみちこの雨だし、先帰っててね」
今日は彼女と映画を見に行く予定だった。明日が体育祭だから部活も休みだし、県内でもトップクラスの吹奏楽部でトランペットを吹く彼女と久々に予定を合わせられたのに。今日はなんだか、ツイてない。
空を見上げると、額に雨がキスをしてきた。
ポツ、ポツポツポツポツ
雨はやがてボクに想いの丈をぶつけてきた。最悪だ。ドタキャンされた挙げ句、これから職員室に行かなくてはいけない。周りを見ると、ボクのクラスメイトは誰一人いなかった。これはきっと、どこかの誰かに日頃のストレスもぶつけられているに違いない。そう思う他なかった。
なんて日だ、傘をさそうと思ったが見当たらない。どうやら教室に忘れたようだ。仕方なく、ボクは教室に戻ることにした。
佐竹高校は1階に職員室、その上に1年2年3年と学年によって階が分けられていた。3年のボクは4階。もうしばらく雨はやまないだろうし、のんびり帰ろう。鬱陶しいくらいに湿度が高かった。階段をのこのこ登るたびに不快な感情ばかりが募っていった。学校の裏口を出て住宅街へ続く階段を降りれば家までは近い。帰ったらシャワーでも浴びながら風呂を沸かしてのんびり疲れをとろう。現実から意識を背けながらなんとか教室に着いた。
中から男と女の喋る声がする。まだ誰か残っていたようだった。邪魔しちゃ悪いから傘を取ってさっさと出ようと扉に手をかけたその時、女の艶っぽい声が聞こえてきた。
マジかよ。
どうやら、始まってしまったらしい。ボクは傘を回収して職員室に寄って早くお風呂に入りたいのに。どうしたものか。聞き耳立てる程に趣味が悪いわけでもなかったが、聞き間違えも言うこともある。他人の色濃い沙汰には全く興味ないが、一刻も早く帰りたい。
そっと扉の隙間から教室を覗いた。しかし、ボクは状況がのみこめなかった。そこから動けなくなってしまった。
中に居たのは、ボクを先に帰らせた彼女と担任の磯部だった。
熱気のこもる教室で音を立てまいとしながらも、確かにそこにはふたりがいた。
そういえば、付き合い始めた当初に彼女から言われたことがあった。一年の頃に何回か磯部にアプローチをかけたがダメだったから諦めたことがあったと。もちろん、今は大丈夫よと。
付き合い始めたのはその後少ししてから。ボクの告白があったからだった。
犯されてるのかと思い止めに入ろうとしたが、そういうわけでもなさそうだった。
いつからだったのだろう、騙されていたのは。疑惑と悔しさと悲しさと、混沌とした想いはやがて飽和した。
『悠希、ごめん』
健気な笑顔でボクに謝る彼女と目の前の彼女はどうしても一致しなかった。
プツン
何かの切れる音、或いは壊れた音がした。
壊れた、欠けた、崩れ落ちた。ボクはボクの破片を拾うことなく、それが正しいかのようにスマートフォンをポケットから取り出して音の出ないように写真に収めた。そして、何事もなかったかのように扉を締めて教室を出た。
傘もない、バトンもどこかへ置いてきた。彼女も、ボクの知る彼女ももう居ない。ボクは静かに階段を降りていった。永遠に切り取った一瞬と一緒に。
あるはずの傘をさして外に出てから、空を見上げた。
どうやら雨はボクを選んだようで、見下しているようにも見えた。
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