第6話

 四人はイオン内にある喫茶店で話した。とりとめのない話をずっとしていた。時々地震の話をしたが御神本優子の名前は誰も出さなかった。友恵は時々唇を噛むようなしぐさをみせたが堪えた。

 麻里と実由は明るい話題を次々とふった。咲はその都度ツッコミを入れた。実由は話題が途切れそうになるとすぐに歌いだした。麻里も最初こそ止めていたが、そのうち諦めて一緒に歌いだした。咲ももう止められず「カラオケ行きなさいよ、もう」とため息をついた。「今からカラオケに行ったらいかやん先輩の約束に間に合わなくなっちゃうよお」実由と麻里はふたりして立ち上がって踊る始末。

 友恵は声をあげて笑った。麻里は調子に乗ってさらに腰を振っている。実由は歯を鳴らして笑いイスに座って麻里を眺めている。

「またこの子は置いてけぼりするんだから」麻里は実由の背中を叩く。「もう、いったあーい」

 実由が声をあげると友恵と咲が無邪気に笑っていた。実由がその様子を見かけるとまぶたに熱いものを感じた。友恵と咲が笑っている。

「なにどうしたの、そんなに強く打った。ご、ごめん実由。痛かった」

 麻里が実由の顔を覗きこむ。友恵と咲も笑いを止めた。

「違うよ。違う、違う。痛いから涙がでたんじゃないの。なんか嬉しいというか、よくわからないんだけど、友恵と咲ちゃん見ていたら、なんか、よくわからないけど」実由は鼻をぐずりだした。

「なに、それどういうこと」咲が少しふくれた。

「なんでもない、なんでもない。さ、もうそろそろ時間じゃない。いかやん先輩のところに行こうよ。私、車出してくるから先に行っててよ」

 みんなが立ち上がり示し合わせたように深く息を吐いた。それに気がつくと笑顔になった。「やだ、なに、みんなして」友恵が実由の腕に触れた。実由は黙って頷いた。


 イオンを出ると永田武雄がいた。

「永田、あんた、なに、どうしたの」麻里が声をかける。

 武雄は薄い笑みを浮かべた。

「ああ、丁度よかった。今から、及川さんの個展に行こうとしていたんだ。そこに行けばお前らに会えると思って」

「なにか用なの」麻里が声を高ぶらせる。

 武雄は一歩後ろに引いた。

「そう、怒るなよ」武雄は一呼吸置く。「オレだって今も苦しんでいるんだよ。今ならあの時、なんでオレと御神本があのとき平豊間海岸にいたのかって話せると思う」

 麻里は鼻で笑った。

「じゃあ、今すぐここで言いなさいよ。それで、どっか行けば」

 武雄はツバを飲み込んでうつむいた。拳を強く握った。

「あれえ。まだここにいるの。なにしているのよ」

 実由がクラクションを鳴らした。

「あれ永田くんじゃない。久しぶり。どうしたの、なんか痩せた。というか真っ青じゃない、どうしたの具合悪いの」

 麻里が振り向いて実由を見る。

「実由、コイツ、あの十一日に優子と一緒に平豊間海岸にいたのよ」

 実由は長く息を吐いた。

「ここから歩いて五分だけど、みんな乗りなよ。ほら、永田くんも。きっと、私たちに言いたいことがあるんでしょう」

 全員黙ってうつむく。

「ほら、こんなところ警官に見られたら私が違反とられちゃうでしょ。はやく乗って」

 友恵は武雄の腕をひっぱって車に押し入れた。

「いってえな。なんだよ」

 友恵の目尻に涙が光った。

「私も聞きたい。ゆっくり、落ち着いて話してよ」

 武雄は友恵の大きな目で見つめられると、ひるんで視線をそらした。黙って手を引かれるまま車に乗った。

 車でたった五分を武雄は咳き込んだ。ツバを飲みすぎて嗚咽する。みんな嫌な顔をしたけどなにも言わなかった。

 あとりえ東に着くと掃除を終えた果歩がコーヒーを飲んでいた。

「あれ永田くん」

 果歩がそう言うと麻里と友恵は武雄を思わず見て実由は果歩を見た。咲は「えっ」と声をあげた。武雄は照れくさそうに頭を下げた。

「いかやん先輩知っているんですか」

「えっ、ああ、いや。その高校生のときよく御神本さんとふたりで私が絵を描いているところ覗きに来ていたから」

「優子と。あんたらつきあっていたの」

「別につきあっていないよ。つきあっちゃいない。全然。ただ、及川さんの絵を、オレも御神本も偶然一緒に好きだっただけだ」

 武雄は吐き捨てるように地面に向かって声を出した。

「うん」

 果歩はコーヒーカップのふちをなでた。

「御神本さん、永田くんのこと好きだったんだよね」

 果歩がそう小声で言うと武雄は果歩を睨んだ。

「嘘だ。オレのことなんて全然好きじゃなかったんだ」

「えっ、だって」

「それじゃなかったら、あのときだって、あそこにいなかったハズなのに」

「ちょっと、アンタそれどういう事」麻里が間に入る。

 友恵は両手で口をおさえている。頭痛がする。

「あのときっていつのこと」麻里は武雄の肩をつかむ。

「うるせえな」武雄は麻里を突き飛ばした。

「ちょっと」咲が手をあげるが宙ぶらりんのまま立ち尽くす。

 武雄は咳き込んだ。ひっかかるような咳だった。

「永田くん、御神本さんのことわかっていないよ。あのとき、御神本さん、永田くんのこと嫌いだって言っていないでしょう。男って自分の思い通りにならないと急にゼロにしちゃうところあるよね。私の弟もそう。いきなりみんなダウンしちゃうところある。あんなガキでさえ男としての変なプライドもっているんだからおかしいわ。それは大人になったって変わらない。まして思春期から抜け出せない男なんてまさにそう。そうでしょう」

 果歩はかけてあった絵をながめながら言った。

「及川さん、なに言っているんですか」

 武雄の頬は痙攣していた。

「ホラ、あれをみて」果歩が指をさした。

「あの絵、真ん中が破られていて、そこに花が飾ってあるでしょう。あれ、うちの弟が癇癪おこして蹴り破ったんだよね。結構私も納得の絵が描けたと思った絵だったんだけど。もちろん弟には怒ったけど、もうどうにもならないし。パソコンと違ってバックアップもできないし。で、もうしょうがないからってヤケクソで花を入れてみたら意外とハマっちゃってね、現代美術みたいで結構いいんだよね。他にも折れているのもあるでしょう。あれも震災から立ち直っていくような感じがにじみでていて、偶然っていうのは、結構いいものってできるものだよね」

「及川さん、なにを言っているんですか」

 武雄はもう一度語気を強めて言った。

「永田くんは焦りすぎよ。御神本さんはもっと繊細で慎重な人よ。いくら好きな人に好かれていたとしても即答は多分しないと思う。だけど永田くんは結論を急がせた。もし、違っていたら、ごめんね」

 武雄はツバを飲み込んだ。

「永田、あんた」麻里が歩み寄るのを咲がとめた。

「永田君もつらいよね、きっと」

「吉春さん、ぬるめの紅茶淹れていただけますか。永田くん、そこに座りなよ。ちょっと落ち着こう。みんなも中に入ってよ」

 東吉春が紅茶を「どうぞ」と武雄に渡して果歩に「いや、もうそろそろここも閉めないと。悪いね」と言った。

「東さん、せめて永田君が飲み終わるまでいていいでしょう。あとはみんなで私の車で行こうよ」実由が声をだす。

「実由の車じゃそんなに乗れないよ。さっきも大変だったんだから」麻里が口を挟む。

「いいよ。私も車で来ているし、実由ちゃん、どこに行くの。私もついていくよ」

 果歩は短い髪の後ろをゴムでくくりながら言った。

「じゃあ、みんなで平豊間海岸に行きましょう。友恵ももう一度行きたいって言っていたでしょう。友恵も東京で忙しいし、交通費もかかるし、ここでひとつ区切りをつけるために行こう。優子に私たちはここで元気に生きています。これからも元気で生きていきますって言いに行こう」

 実由は明るくみんなの背中を軽く叩いてまわった。

 武雄が一息つく。

「永田君のことだって、優子はきっと許してくれる。だって、優子だもん。あの、優子だもん」

 実由は微笑んだ。

 友恵はうんうんうなずいた。涙がこぼれそうになる。

「オ、オレ。許してほしいなんて思わない。許されないと思うけど、もう一度、今、行かないと後悔するから、オレも行きたい。後悔しっぱなしだけどよ。行かないと、また後悔を増やしてしまう。もう後悔はしたくないしな」

 麻里は武雄が誰とも目をあわそうとしないのを見ていた。声が聞こえづらくなっているのを聞いていた。そんな武雄が目の前にいると以前ならイラついて胸をかきむしりたくなった。だけど、今は武雄のその姿を直視できている。笑みさえこぼれていた。武雄は人の前で話すのは得意ではない。まして、ほとんど女子に囲まれている。以前の武雄だったら逃げ出していた。麻里は武雄の今の姿を見ていた。

「よし、決まった。永田くんは私の車に乗ってね。あとは実由ちゃんの車でいいかな」

 果歩は手を叩いて埃を落とした。

「あのっ」友恵が手を上げた。

「私もいかやん先輩の車に乗って行っていいですか。私、まだ話に納得いっていないから。私もう明日には東京に帰るし。永田君に聞きたいこと、あるし」

「ちょっと。だったら私も」と言う麻里の腕をつかんでひっぱる咲がいた。咲は首を横に振る。「なに」麻里は咲をにらむが、咲は頷いて実由の車に向かって麻里をひっぱり歩いていった。

「ちょっと、咲ちゃん、なんなの」麻里は声をあげる。「いいの、私たちはこっちで」咲は人差し指を麻里の唇につけた。

「さて、行きますか」実由は腕をまくって車に乗った。

「ほら、麻里ちゃん乗って」実由は手を招いた。

 実由の車が先に出て、その後果歩の車が追った。

 車が走り出すと果歩の車にはしばらくの沈黙が流れた。

武雄は助手席に座り、果歩の顔を見ては目をそらして、窓の外をみてはドアを指ではじいていた。友恵の顔を見ようとしても首が最後までまわらない。正面を見つめなおしてひじを窓につけて足を組む。

 果歩も黙っていた。武雄の様子が気になってはいたけど声はかけなかった。果歩は待っていた。海岸が見えるまで待つことに決めていた。武雄がなにかを話しかけるまでは。海が見えたら海岸まで五分しかない。武雄が語れる時間はわずかでしかない。

「あの、永田くん、あの日どうして優子と海岸にいて、永田くんだけ帰ってきたの」

 友恵が声をだした。

 果歩は苦笑いを浮かべた。

「オレだってまさかあんな大きな地震がくるなんて思わなかった。どうせなら海を見て、その、話したかったんだ。そしたら御神本は、なんて言ったかな、返事ができないとか、考えられないとかそういうことを言ったんだ。自分の中じゃもういけると思っただけに、頭がかっとなってしまって、そのまま置き去りにして帰ってしまった。別にバスもあるし大丈夫だろうと思った。そしたら、あの地震だ。正直引き返そうかと思ったけど、もう津波らしきものが見えていて自分でもパニックになってしまった。御神本も地震の後は津波がくることは知っているだろうしどこかに逃げているだろうと思った。そこで自分だけ死ぬのは嫌だって、そのときは思った。なぜかそう考えてしまった。バカなことをしたのはわかっている。ただ、そのときはそうしてしまった。こんなこと話してもわかってくれないのは、わかっている。ただ、あのときはオレもどうかしていた」

 果歩は唇をかみ締めてハンドルを力強く握った。

「優子は、どんな気持ちだったのかな」

「しらねえよ、もう。御神本は、もう、いないんだぜ」

「優子と話したかったな」

「悪かったな。あいつと最後に話したのが、よりによってオレでよ」

「男が女にふてくされているんじゃないよ」

 果歩はハンドルを思い切りよくきった。武雄はバランスをくずして窓に頭をぶつける。

「もう御神本さんと話すことはかなわないけど、話したかったね。友恵ちゃんも納得いかないなんて言っていたけど、人のことなんて結局わからないよ。私も弟がなに考えているのか、どういう大人になっていくのか、わからないし。というか、私も自分でなに言いたいのかよくわからなくなっちゃった」

 果歩は舌を出した。つられて友恵が吹き出す。武雄は鼻で笑った。

「永田くん、ひとこと言いたいんで言っておくけど、みんな御神本さんを失って傷ついているけど、誰もあんたを恨んでもいないし嫌いにもなっていないよ。突然の出来事のあれだけの地震だったし、亡くなったのは御神本さんだけじゃない。みんな、あのとき海岸近くにいなければって亡くなった人のことを思っている。受け入れられることじゃない、なにせ亡くなっているんだから。だけど諦めてしまわないとしょうがない部分もある」

 友恵には背中越しにだけど果歩が微笑んでいるように見えた。

「いかやん先輩、なんかあの失礼ですけど変わりましたね。大人っぽいというか、前のいかやん先輩でそんなにしゃべるのを見たことなかったですし」

 友恵は言いながら、あわてて手で口をおさえた。

「あっ、私何を言っているんだろう。ご、ごめんなさい。あの私偉そうで」

「それ東さんにも同じこと言われたわ。私、地震が影響したんじゃなくて、その後弟が家出騒ぎをして、いろいろ弟と話すようにしてさ。そうしたら、あの子、子供なりにいろいろ考えていてさ、びっくりしたんだよね。なんていうか考えはやっぱり幼いんだけど、ちょっとずつ男の子になっていたんだよね。私がいつまでも、アイツをハイハイしている赤ちゃんで見ていてさ。そうしたら、私もなんか変わっていっている実感みたいなものがあって、人の気持ちを考えられるようになって、今日たまたま永田くんの話を聞いていて、いろんな人の気持ちを考えていたら、なにが正解とかじゃなくて、人それぞれいろいろあるって、わかってきたんだよね。今回展示会をする上で自分とも向き合えて、まだなにも形になっていないけど、少しだけ見えてきたものがあるっていうか」

 果歩は話を止めて車を止めた。平豊間海岸に着いたからだ。実由たちは車から降りて背伸びをしていた。

「うん。今日のいかやん先輩の絵、すごく素敵でした。心になにかが染み込んでくるような感じがしました」

「ふふ、ありがと」

「オレも及川さんの絵、いいと思いました」

 武雄はまっすぐな視線で果歩の顔を見て言った。

「ありがと。御神本さんにも観てもらえるようにがんばって描いたかいがあったかな」

 果歩はドアを開けた。

「私たちも、がんばろう。ね、永田くん」

 友恵は武雄の肩を叩いて車から降りた。武雄は頭をかきながら車から降りた。

 麻里が駆け寄ってきた。

「ねえねえ、いかやん先輩となに話したの」

 友恵は舌を少しだけ出した。

「なにも話していないよ。ただ、がんばろうって思っただけ」

「なにずっと笑っているんだよ。いいなあ、私も聞きたかったな」

「永田くん、おいでよ。どの辺を優子と歩いていたの」実由が手を振った。

「ああ、丁度その辺だ。オレはもうそこまで行けないよ。ちょっとしばらくここにいるよ。待っているから行けよ」

 実由は腰に手をあてて武雄に近づいた。そして武雄の手をとった。

「行くのよ。もう、今行かないと二度とこられないよ」

「なに言っているんだよ。いつでも来られるだろ」

 実由は首を振った。

「もう、私たちと。優子のために来られなくなるよ」

 友恵は心臓が音を立てたのを感じた。耳が熱くなった。

 咲は頷いた。「うん、私もそう思う。私ももうここには来られない」

 実由は咲を見て微笑んだ。

 果歩はポケットに手をつっこんで離れて様子をみていたが歩き出した。武雄の肩にそっと手を置いて「行こう」と言った。

 みんなで歩いた。潮風が海から吹いてくる。

 友恵は意識なく「優子」とつぶやいた。すると海とは反対側の背中のほうから温かい風が一瞬だけ流れてきた。

「なあに、友恵」

 友恵は振り向いた。

 みんな振り向いていた。

 実由が唇を震わせていた。「今、優子が私を呼んだ気がした」

 咲も震えながら「私も名前呼ばれた」と言った。

 麻里はもうなにも言えなかった。武雄も涙が止まらない。

 果歩は「ありがとう」と微笑んで海の彼方に手を振って言った。

 海は優しい凪のままゆっくりと音をたてて小さな波を繰り返していた。

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優しい凪 @tatsu55555

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