ご当地キャラのなかのヒト
岡野めぐみ
序)生田真樹とイヌマキについて
生田真樹、彼はイヌマキの実に目がない。
父に母、祖父母に弟妹ほか、思い当たる親族は誰ひとりとして食べないにもかかわらず。
ただ、母は、真樹を妊娠中にこんな夢を見たらしい。
だだっ広い場所で、緑と赤の小さなだんごが連なったような、あのイヌマキの実を拾い集め、緑の部分をポイポイ捨てつつ、赤い部分をホイホイと口に運ぶ赤ん坊の夢。
ほどなくして生まれたのは、その赤ん坊そっくりの男の子。
ああ、この子は夢のなかのあの子だと、そう思ったという母は息子に、イヌマキのマキに真と樹の字を当てて真樹と名づけた――イヌマキの実なんて、そんなにありつけるものでもない気がしたからね、少しでもめぐまれるといいなと思って。
母の夢は予知夢だったのだろう。
物心つく前から真樹の好物はイヌマキの実だった。小学校にあがるまでは隣家からイヌマキの実をわけてもらい、小学生になったら、よりうまいイヌマキの実を求め、自転車にまたがってよその校区にまで遠征した。
校則違反かつ目的はイヌマキの実。仲のいい友人もさすがにつき合ってくれなかったが淡々と新規開拓に励んだ。
親は早い段階でなにも言わなくなった。木の持ち主に実をわけてもらえるようきちんと交渉しているとどこかで知ったらしく、そこまでして食べたいというのならば仕方がない、と。
学校の先生もそのうち叱らなくなった。問題行動は秋の間の、しかも一ヶ月半ほどだけ。その時期以外はきわめてまじめでおとなしい優等生だったからか、あるいはひょっとすると親が口添えしたのかもしれない。
そんな周囲をよそに真樹は変わらず遠征を続け、そして、小学四年生の秋、とうとう隣の町で運命の木と出逢う。
中野山郡包原町泉田神社のイヌマキ。通称、泉田の大イヌマキ。
樹齢約四百年だといわれる大樹。その実は小さくも汁気が多く、とろけるように甘い、赤い宝石のよう。
真樹は通った。シーズン中は雨が降っていようが風が吹いていようが毎日通った。自転車で約一時間。だが、天気も距離も関係なかった。
そして、それは中学に進学してからも変わらず、高校は迷うことなく包原町にある普通科高校を受験、合格。
中学の卒業式の日に担任はぼそりと言った――来年の秋からは泉田の大イヌマキまで徒歩五分だな、生田。
そう、高校から大イヌマキまで徒歩五分。
入学後はシーズン中は当然のことながら、実のない季節も毎日立ち寄った。早く実れと願をかけるために。
卒業後は包原町への就職を希望していた。役場も高校ほどではないが大イヌマキに近いからだ。しかし、ここで真樹は大学進学率を上げたい教師の罠にかかった。なぜ真樹が役場を希望しているのか理解していた教師陣は、当人ではなく親を説得し、成功する。
進学するならば包原町に住んでもいいが、就職するなら家から通え――父の言葉に、普通は逆じゃあないか? と思いつつも真樹は、とりあえず最寄りの四年制大学に進み、そうして念願の包原町民となった。
一人暮らしのアパートから大学までバスと電車で一時間。大イヌマキまで徒歩十五分。
大学卒業後は、住まいはそのままで今度こそ包原町に就職した。
職場とアパートの間に大イヌマキ。
ひとり気ままな大イヌマキのある生活。
まったく飽きることなく、大学生の頃から通算十二年目の今年。
「なあ、兄さん」
「ん?」
「もし、泉田神社のイヌマキになにかあったらどうすんの?」
アパートから車で十五分ほどの実家に、この夏、約一年半ぶりに顔を出したら、二歳下の弟にそう訊かれた。
そうめんをすする手をとめ、向かいに座る苦笑いの弟を見ていたら、
「くれぐれも死なないでね? 真樹兄?」
と四歳下の妹が、やたら真剣な眼差しでこちらをのぞき込みつつ、冷茶入りのコップをそっと置いた。
コップを見、妹を見、
「いや、死なん、さすがに。イヌマキは他にないわけじゃあない」
そう答えたら、それでも結局イヌマキかい、と妹は溜息をつき、弟は笑った。
――泉田の大イヌマキになにかあったら?
なってみないとわからない。そもそも、そうそうなにも起こらないだろう。
出逢った頃から樹勢は変わらない。たぶん、今年も例年通りに実をつける。
だが、真樹は知る。
泉田の大イヌマキのためならば、びっくりするような女装をして、得体の知れない生きもの未満に殴りかかることができる。
自分はそんな人間なのだと。
ご当地キャラのなかのヒト 岡野めぐみ @megumi_okano
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