Day 3 でも、だめだよ、ここじゃ


「前にも立ち入ったことがあるけど、ほんとに殺風景な部屋だわ」

 フィルが滞在していた宿泊用の一人部屋に、二人で足を踏みいれた。リアナの第一声がそれだった。

 城勤めの文官や技官、役職付きの中級貴族などが寝泊まりするように作られていて、贅沢さはないが快適には過ごせるらしい。


「でも、城下で風呂付きの下宿を借りるのは大変だからね。ここはありがたかったな」と、しみじみとフィルが言った。

 すでに荷物は新居に移したらしく、寝台の上に風呂敷包みがひとつ置いてあるくらいだった。

 浴室は隣室と共同になっていて、露台で入口がつながっているらしい。フィルは腕と足をまくると、そちらに下りて行った。

 水音のするほうへ、リアナも近づいていく。石造りの深い浴槽に、すでに湯があふれている。

「何をしてるの?」

「温泉を流しっぱなしだから、水を入れないと熱いんだよ。……だれか、掃除してくれたらしいな」後半は独り言のようだった。


 ♢♦♢


「俺は先に入って準備するので、少し時間を置いて入ってきてもらえますか?」

 フィルがそう言うので、リアナは室内で時間をつぶすことにした。ローズウッドのチェストのなかをのぞいて、忘れ物がないか確認し、風呂敷包みを開いてまた結びなおし、窓から向かいの翼棟の窓を数え、数え終わったところで浴室に入った。


「もう入っていい?」

「どうぞ」

 フィルは浴槽の端にずれて、彼女が入るためのスペースを作った。身体を沈めると、一人分の体積で湯が大量にこぼれた。窓も棚もなく実用重視とはいえ、お風呂はやはり贅沢品で、ありがたい。

 フィルの家には温泉設備はない。彼の財力からして不可能ではないはずだが、そこは優先しなかったのだろう。それに――リアナが城に帰ってくる理由を作ってくれているのかもしれない。

 ここから数階あがったところに、はるかに広く快適な大浴場がある。でも、フィルは嫌がるだろうなと思ったのだった。掬星きくせい城のなかを探索しているようで、思いがけず面白くもあった。


「ようやく、一緒に入浴してくれる気になったわね?」

 そう言ってやると、フィルは「もったいぶってたわけじゃないんだけど」と呟いた。

「傷とか刺青とか、いろいろ聞かれるのが面倒で、つい避ける癖があって」

 湯をかけたらしく、髪からは水が滴っていた。フィルはうっとうしそうに頭を振ると、髪をかきあげて後ろに流した。筋肉質の腕が動いて、脇腹の傷があらわになった。


「たしかに、すごい傷だわ」リアナはまじまじと見た。胸と言わず背中と言わず、おそろしいほどの傷跡がそこにはあった。

「ここの、ななめの傷は?」

「これはイティージエン戦役のとき。ここの、上腕の刺青は、戦死者の所属を確認するための番号だよ。頭を吹き飛ばされたり、発見に時間がかかると誰の死体かわからなくなるからね。……このケロイドは、黒竜のライダーが敵中に捕まって、助けに行ったときのものかな」

 フィルは自分の身体を指ししめしながら、傷のいくつかを説明した。「あなたがこういうのを気にしないのは知ってるけど、グロテスクなものもあるから、ためらってしまって」


(なるほど、それが一緒に風呂に入りたがらなかった理由ね)

 リアナは納得した。以前にミヤミたちと入浴したときにも、ケブから似たような言葉を聞いたのでだいたいの理由は想像していた。その傷の分だけ、国を守ってきたのだ。そして、自分もまた彼に守られている。


「わたしも、けっこう満身創痍になったわよ。お腹のは、ほら、フィルのやつそっくりじゃない? お花の形になってて」

 腹部の傷は、デーグルモールの兵士イオに腹を貫かれたときのもの。白く盛りあがってつるつるになった皮膚の部分を、デイミオンは「俺がキスするための目印」と呼んでいる。そして肩甲骨の下に、新しく矢傷が増えた。

「太ももにあるのは、ウサギに噛まれたときのやつ。その前に三匹仕留しとめてたから、よける体力が残ってなかったのよね」

 子どもの頃から活発だったので、リアナ自身、小さなものなら傷跡はたくさんある。説明していると、まじめに聴いていたフィルがついに吹きだした。

「はっはは……」

 身体を折り曲げるようにして笑うので、はねた湯がリアナにかかった。

「どうして笑うのよ?」

「くくっ……あなたが俺の傷に張りあってくるから。もうダメだ」

 ひとしきり笑ってから、愛おしげに彼女を見つめ、両腕を背中にまわして抱きしめた。

「……愛してる。本当に、自分でもどうしようもないくらいに」

 濡れて温まった肌が、ぴったりと密着した。固い筋肉の感触で全身が包まれて、リアナはほうっとため息をもらした。二日間もおあずけだったから、いまはこの固さが心地いい。ピッチャーの中のミルクみたいに、フィルに包まれていないと形がたもてなくなりそう。

 耳の下にキスをされ、リアナは男の首に腕をまわした。首にはまだ、彼女が血を吸ったときの傷が残っている。これは、消えないかもしれない。甘く噛むと、うめき声とともに腕の力が強くなった。フィルだって、これを待っていたに決まっている。……


 フィルの唇は首筋をなぞったが、そこで髪を優しくすくいあげた。

「髪を洗わなくちゃ」

「どうでもいいわ」リアナはささやいた。「後でいい」

「でも、だめだよ、ここじゃ」

 フィルの声には興奮ととまどいが入り混じっていた。制止するようなことを言いながら、背中を下りた手がでん部をつかむと、その感触に夢中になっている。熟した果実に指をうずめるように揉まれ、押しつけられた彼自身の固さが腹を打った。脚を腰にまきつけると、水中で支えるのはフィルの腕だけになる。フィルは息を荒くして、無意識のようにこすりつけながら彼女を揺すった。


「ああ、リア……」上ずりそうになる声を抑えながら、フィルが言った。「ここでは抱かないと決めてたのに」

「どうして?」

 男性らしく骨ばった顎を噛んだ。「王城がイヤなの?」

「そうじゃなくて、初回が……」もうすでに欲望を止められなくなっているのか、フィルのつぶやきは弱々しかった。「花が敷きつめられた寝室の、最高のシーツがある寝台に、あなたを抱いて運んでいくっていう計画が……あんなに準備したのに……」


「じゃあ、二回目はそこでいいわ」リアナはそう言って、上気した肩に口づけた。






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