Day 2 平気なふりはしないで
シュークリーム作戦が
リアナはフィルを手伝い、夕飯の支度をはじめた。間食のおかげで、まだそれほど空腹は感じなかったが、城とはちがう料理がめずらしくて楽しみでもあった。
「ヒヨコ豆のペーストに、こっちは鶏のレバー……アーティチョークは
フィルがあれこれと説明をしながら、調理の過程を見せてくれる。穂先がほんのりと紫に染まった細い野菜を折ると、みずみずしい香気がはじけた。
城で暮らしていると、調理そのものをする機会がない。隠れ里にいたころには、メナの手伝いくらいはしていたが、これは伝統的な煮込み料理とはずいぶんちがうように見える。火を入れる時間が少なくて、彩りがきれいでおいしそうだ。
執務で気疲れしていたのがほどけていくようだった。
そして、ひさしぶりに見るフィルバートの料理は、やはり手慣れていた。腕まくりした前腕がソースパンにのび、骨ばった指が繊細に肉餡をつつむ。ナイフを持った手がほんの少し動くと、芋の皮がするすると落ちていく。無駄がなく丁寧な動きに、つい見とれてしまう。
「なにか手伝う?」
「それじゃあ、奥さまは味見を」
くすぐったくなるような言葉とともに差しだされたアスパラガスは、歯ざわりがよくてほろ苦い。
「おいしい。このあとどうなるの?」
「このまま食べるんだ、半熟の卵を添えて。おいしいよ」
「へえ……」
できあがったのは、肉はひな鳥のローストが半身分あるだけで、軽い料理が多かった。リアナが手伝ったのは、味見をのぞけばスープの灰汁すくいくらい。それを、暖かなガーデンテーブルで食べる。リアナは、放浪中にフィルが学んだという異国の食材や調理法についてあれこれと尋ねた。フィルはこの屋敷を買った決め手になった庭についても楽しげに語った。まだ完全に陽が落ちきっていない中での、穏やかで心やすまる夕食だった。
♢♦♢
今年のタマリスは暖かく、暖炉の必要はなさそうだった。カウチに掛けて書類を見なおしていると、片付けを終えたフィルが隣に腰を下ろした。
手に持っていた書類は、昼にロギオンと確認したものだ。手元をのぞきこんだフィルが、不満そうな顔をした。
「結婚したばかりなのに、もう外遊? しかも、五日後だなんて。早すぎる」
「面倒なことは早く済ませてしまったほうがいいでしょ。西部はオンブリアの重要地域なの」
リアナの目は書類に落ちたままだ。「キーザイン鉱山は、エンガス卿の生命線よ。でも、あそこにはなにか秘密がありそうだわ……」
フィルの腕がのびてきて、腰を抱き寄せられた。肩ごしに、彼女の書類を見るような動きが感じられた。
「外遊の予定に、俺の領地が入ってる」驚いたように言う。
リアナは眉をあげた。
「わたしは今、スターバウ家の領主の妻でもあるのよ。あいさつもしなくちゃいけないし、領地に行くのは当然だわ。……イヤ?」
フィルは考えるような間をおいたが、結局「いいえ」と返した。
「せっかく家も買ったし、近場のほうがよかったんだけどな。……ちょっとは新婚旅行になる?」
「さぼらずに王配の仕事をこなしてくれるなら、ほかの場所もまわってもいいわよ」
新婚旅行という響きがくすぐったく、リアナは頬をゆるめた。
「じゃあ、領地の思い出の場所に案内しますよ。レフタスに連絡しないと」
「たぶんもう連絡がいってるんじゃないかしら」
書類といえば、フィルバートは気になっていることがあると言った。
「昼に……あの、女性の名前が載ったリストを見たんですが」
そう切りだす。「五公の姫君たちが載っていた……あれはいずれ、俺に別の配偶者をあてがうため?」
「あなたはまだいいわ」
リアナは事務的に言った。「あれはデイミオンの第二配偶者用よ。次か、その次のシーズン用のね」
「デイミオンの配偶者を、あなたが!?」思わずというように、そう問い返す。「どうしてそんなことを」
「それが、第一配偶者のつとめだもの」
書類の端をきれいにそろえながら、彼女は淡々と説明する。
「ナイムのあとの王太子が決まっていないのは、あなたも知ってるでしょ? エサル卿の姪、フランシェスカ卿には、仮の王太子役を任せたい。エンガス派にも名目が立つし、そろそろ次代の五公候補たちを見定めておかなきゃいけないわ。彼女なら人脈も広いし、適任だと思うの」
「フランシェスカ卿……。あの子はたしか、デイの熱心な
「そう。だから、王配の座という餌をぶら下げておけば、うまく働いてもらえるでしょう」
リアナは書類をサイドテーブルに置き、フィルに向きなおった。たくましい前腕に手を置き、見あげる姿勢になる。おたがいの目がさぐるように見つめあった。
「無意味だ。家と血と……くだらない政争のために結婚をするなんて」
フィルの腕にぐっと力が入り、リアナの手のひらの下で固い筋肉が動いた。「あなたが俺に抱かれるのも、そんなことのためなのか」
冷えびえとした男の目には、料理をしていたときの柔和さはかけらもなかった。
「それがすべてじゃないわ」
リアナは固い声で言った。「でも、
二人はおたがいに
♢♦♢
フィルが戸締りを確認して戻ってくるのを、リアナは寝室で待っていた。「先に休んでいて」と言われたので、夜着に着替えてベッドに入っている。
いろいろなことを考えすぎて、すぐには眠れそうになかった。それに、もちろん、寝台はただ眠るための場所ではない。フィルは今夜こそ自分を抱くだろう、とリアナは思った。
彼に、その気がまだあれば。
床材がきしむ音がして、二階の寝室へ上がってきたのがわかった。扉が開き、燭台の火がゆらめく。寝台に入ると同時に火は消され、目が慣れるまでまったくの暗闇がおとずれた。
まだ温まりきっていないシーツのなかで、フィルの静かな呼吸を聞いていた。昨夜と同じように、手だけを絡めあっている。フィルの手。繊細な焼き菓子を作ることも、無慈悲に長剣をふるうことも、女性を抱くこともできる手だ。
「……怒ってる?」
しばらくしてリアナがそう尋ねると、ため息のような呼吸が聞こえた。
「……少しね」と、返ってくる。
「失望した?」
「かなり」
「嫌いになった?」
フィルはその問いに上体を起こし、リアナに向きなおった。上かけがはねのけられ、男の重みで寝台がきしんだ。
「……あなたはときどき、本当に俺を怒らせたいように見えるな」
そう言うと、冷ややかな目のまま圧しかかってくる。「そうやってデイミオンの愛情も
フィルバートの手が彼女の目元を覆った。もう片方の手で太ももを押さえつけ、熱い唇はもう、喉もとを下りていきつつある。
「フィル……フィル」
リアナはまだ混乱していたが、どこかに安堵の気持ちもあることを認めないわけにはいかなかった――デイミオンの妻候補を、いずれは自分が選ばなければならない。女性たちの名前が載ったリストを見たときの、はげしい動揺がよみがえってきた。だが、秘書や竜騎手たちにそれを見られるわけにはいかなかった。自分は王配で、いまはオンブリアの王で、この一年をデイミオンの支えなしに治めなければならないのだ。その重圧も、この結婚への疑念もすべて、フィルの唇と手がぬぐいさってくれるのかもしれない。
いっときでも忘れられれば、という思いと、そのためにフィルの愛情を利用するという罪悪感と、さらにその奥にある欲望とが嵐のように渦巻いていた。本当は、もうどんな理由でもよかった。フィルのことが欲しい。
だが、そこまでだった。
「平気なわけがない」
フィルは愛撫の手を止めて、そう断じた。
「俺がデイミオンに耐えられないように、あなただってデイに別の妻ができるのには耐えられないはずだ。……なのに、どうして俺の前でまで平気なふりをするんだ?」
「フィル、これはわたしの問題で……」
リアナの弱々しい言葉がさえぎられる。「俺には、あなたの荷をともに負う器量はないと?」
「あなたの気持ちが俺に向いてないなら、セックスしても意味がない。……そんなに泣いて、俺の助けを求めているくせに」
フィルはようやく、彼女の目を覆っていた手をはずした。冷たい言葉と裏腹に、ハシバミの目が気づかわしげに見下ろしている。そこではじめて、リアナは自分が泣いていることに気がついた。
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