Day 2 フィルバートの手作りおやつ

 ヴェスランからの差し入れで昼食をすませると、リアナは執務にとりかかった。

 屋敷のなかでもっとも採光のよい広い部屋が、彼女の執務室となる。どのみち、書類や資料は担当の文官がたずさえてくるので、大がかりな設備は必要なかった。



「外遊の予定だけど……キーザイン鉱山への視察は外せないわね」

 秘書官のしめしたスケジュールを入念にながめながら、リアナは言った。「エンガス卿あちら側に準備する時間を与えすぎないように、早く動きたいの。いつなら可能?」


 理知的な銀髪の、小柄な秘書官が即答した。「五日後には可能です」

「そんなに早く?」

 リアナの秘書官の一人、ロギオンはセラベスの兄。塔に閉じ込められた薄幸の美姫、といいたくなるような美貌の持ち主の男性だ。セラベス同様、大貴族の領主という地位がありながら、本人の希望で城仕えをしている。なんでも、目的はつがい探し婚活だとか。

 はかなげな美貌に似合わず、ずけずけとものを言うタイプで、スケジュールの調整などはお手の物だった。



 今日の執務室は、美形の度合いが高い。

 ロギオンもだが、護衛の竜騎手もまた、まばゆいほどの美男子だった。背中に届く金髪をとき流し、横髪は邪魔にならないよう三つ編みにして結ってある。彫像のように身じろぎもせずに壁際に立っていた。


 書類仕事が一区切りする頃合いで、見はからったようにフィルバートがやってきた。簡素なリネンシャツに給仕用のエプロンをつけている。事情を知らないものが外から見れば、貴族たちの会合にお茶を頼まれた街のカフェ店員にしか見えないだろう。


「お茶にしませんか? 間食おやつをもってきたんだけど」

「フィル」リアナの口もとがゆるんだ。「いい匂い。ありがとう」

 トレイに山と積まれているのは、甘い匂いのする、芽キャベツのような形の焼き菓子だった。

「あなたが作ったの?」

 はじめて見る菓子に、リアナは興味津々のまなざしをそそぐ。

「ええ。口に合うといいけど」

「すごいわ」


 さっそく菓子をつまんだリアナは、「あっ」と失望の声をあげた。

「ごめん、つぶしちゃった……」

 白い指のあいだで、つぶれた菓子からクリームがはみだしていた。


「生地を膨らませてあるから、見た目より柔らかいんだ」フィルが言った。「さきに注意すればよかったですね」

 フィルは彼女に近づいて、手指についたクリームをナプキンでぬぐった。菓子をつまみあげると、卵のクリームよりも甘い声でささやいた。

「はい、口を開けて」


「ええと」リアナは、いちおう人目を気にしてためらった。壁際の竜騎手が、冷たい目で二人を見ている。

 でも、期待に満ちたフィルの顔には弱い。それに、香ばしく甘い菓子の匂いにも。おそるおそる口を開けると、一口大の焼き菓子が押しこまれた。予想外に皮がうすく、なかにはたっぷりと甘いクリームが入っている。

「……こんなにおいしいもの、はじめて食べたかも……」

 思わず、そんな言葉が口をついて出る。

「おいしい?」

 フィルは親指で彼女の口もとをぬぐった。そして、近い距離のまま、「俺が作ったんですよ」と強調した。

 そう、このおいしいお菓子をフィルが……。

 リアナの頭のなかで、甘い菓子と目の前の男が結びつくのは時間の問題だった。お菓子おいしい、フィル大好き、となる日は遠くない。



「〈ヴァデックの悪魔〉とも恐れられるお方が、料理女中の真似事などなさる必要もありますまいに」竜騎手が、とげのある口調で言った。「上王陛下のちょうを競うというのもたいへんなものですね」


「それはどうも。見てのとおり、寵愛されてるんだ」

 フィルはにこにこと答えた。皮肉の応酬にならなかったのは、彼の方がまったく眼中にないせいだった。『ハチドリの竜騎手』、ロレントゥス卿は、リアナの好みのタイプではないと知っているので。


「ロール。小姑こじゅうとみたいな皮肉を言うのはやめてちょうだい」案の定、リアナが嘆息した。

「どうせ小姑ですよ」

 ロール、つまりロレントゥス卿はむっとした。「では、私は屋敷内の警備に戻ります。小姑みたいに窓のさんをつっつきながらね」

 ぶつぶつと言い、肩を怒らせて出ていった。窓際のホコリを指でチェックしている渋面の竜騎手を想像して、リアナは声をあげて笑った。

 あれでも、剣とダンスはタマリス指折りの腕前らしい。御前試合でフィルバートにまったく歯が立たなかったことがあって、以来一方的にライバル視されている。


「大陸一の剣豪に給仕をさせて、剣で劣る自分が護衛につくっていうのが、逆にプライドにさわったのかもしれないわね」

 リアナが笑いながら、いささか残酷な分析を披露した。

「俺は気にしないのになぁ」フィルは首をかしげた。自分でも菓子をつまみ、口に入れる。「ん、おいしい」



 焼き菓子は、部屋にいるほかの文官たちにもふるまわれた。スイーツ大好き、と言いそうな見た目のロギオンは、実はそれほど甘いものに執着はない。だが、「たいへん美味です」とお世辞を言った。


「よかった」フィルはにっこりして、すでに籠に詰められた菓子を手渡した。「たくさん作ったから、おすそわけ。セラベス卿と一緒にどうぞ」

「ありがとうございます」

「今から持って帰れば、お茶の時間に間に合う」フィルは笑みをたやさぬまま言った。

「ええと」それは、今すぐ帰れという意味だろうか。腹芸のできないロギオンではあるが、〈竜殺し〉の雄弁な目がそう告げていることは理解できた。

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