仮王と英雄の寝室問題

Day 1 とまどいの夜

 意を決して、という言葉がふさわしい夜のはじまりだった。


 二人は、百戦錬磨の政敵たちがそろう夜会にでも出かけるように、緊張感をはらませて寝室に入った。この夜のために揃えられた家具、厚くて目が詰んでいるために縞状のつやがみえるアエディクラ綿の高級シーツ。そこにはあからさまではない、上品な情緒ムードがあった。花はラベンダーと、リアナの知らない小さな黄色い野花がひかえめに飾られている。あるじの心づくしのもてなしは、彼女にも十分伝わってきた。

 そして、二人はいやおうなく惹かれあっていた。信頼や恭順きょうじゅんだけではない、肉体的にたがいを求める感情が。

 蓋をしてきた恋情に、ついに向きあうときが来たのだった。フィルは彼女との未来を望み、リアナはこの思いに決着をつけて、夫デイミオンのもとに戻ることを望んでいる。

 熱く見つめあう視線のなかに、相手を打ち負かそうという計算高さが見えかくれする。この一年でフィルがリアナを夢中にさせれば、彼の勝ち。それに屈服しなければ、リアナの勝ち。その意図が、強い酒のように刺激をあたえて、たがいを酔わせていた。


 ――だが最初の夜は、結論から言えば、うまくいかなかった。


 キスをしようとすれば鼻をぶつけ、強く抱きしめられた勢いでコルセットに肉をはさんだリアナが悲鳴をあげた。性急に服を脱がそうとするあまり、彼女の髪がフィルの服のボタンにからんだ。わたわたと髪をほどこうとするフィルの指に、さっさと断ち切ろうとするリアナのハサミが刺さり、今度はフィルがうめいた。……一事が万事、こんな調子。しまいにフィルは、彼女の上に覆いかぶさろうとしてヘッドボードに頭をぶつけた。

 痛みというより衝撃でぼうぜんとしているフィルを見て、リアナも驚きを隠せなかった――繁殖期シーズンでは疎外そがいされていたとはいえ、フィルバートは女たらしウーマナイザーの評判がある。ルーイだってそう言っていた。あの嵐の夜、経験のなかった時でさえ、彼のほうはあんなに手慣れてスムーズだったのに。


 本人もこんな不手際は想定していなかったらしい。くずおれるようにしかかられ、砂色の短髪が顔の横にうずめられた。リアナはあおむけのまま、意気消沈いきしょうちんする頭を撫でてやった。なかなか派手な音をしてぶつけていたが、大丈夫だろうか。

「痛くない?」

 おそるおそる尋ねると、「心が痛い……」と返ってきた。その答えは、かわいそうだが、百戦錬磨の男をかわいらしくも感じさせた。


 背中に腕をまわすと、ぎゅっと抱きしめられる。欲情を制御しようとこらえている男の姿が、リアナにねじれた優越感を感じさせた。自分はまだ、彼の手の中に落ちていない。それでいて、こんなにも強く求められている。

気負きおいすぎかな」

 あきらめたようにため息をついたフィルに、リアナはやんわりと言った。

「今日は疲れてるみたいね、おたがいに」


 身体的な疲労とは無縁の男だが、フィルは反論しなかった。しぶしぶと言う。「……今夜は、ふつうに寝ましょう」


 明かりが落ちてしばらくすると、上かけの下にあるリアナの手を、フィルの手が探り当てた。緊張がほどけたあとの沈黙はおだやかで、優しい。指を絡めるようにしてつなぎ、二人はそのまま眠りに落ちていった。


 ♢♦♢


 夢も見ずに、深く眠ったらしい。リアナが目を覚ましたとき、分厚いカーテンの下から朝の光がフリルのように漏れていた。ずいぶん朝寝してしまったかもしれない。


 フィルバートを求めて、寝台の隣を見た。すでに姿はない。朝は早いと聞いていたから、もう起きているのだろう。

 東向きの窓からは、掬星きくせい城は見えなかった。見えなくても、やはり城のことは考えてしまう。王城で働く人々、レーデルルとドーン、そしてそこで眠るデイミオンのこと……。

 リアナは頭をふった。新しい家でむかえる、はじめての朝だ。フィルにとっては、これがはじめての結婚生活になる。限られた期間とはいえ、自分には彼を幸せにする責任があった。昨晩のことは不可抗力とはいえ、いつまでもお預けにするような不誠実なことはするまい。



 夜着のまま階下におりていき、音をたよりに厨房を探しあてた。新しい屋敷らしく、キッチンは採光がよくて機能的だ。鍋をつるして調理するかまどがあるが、ストーブを複数くっつけて上で調理ができるコンロもあった。

「おはよう」

 リアナが声をかける。朝の光のなか、フィルバートはそのコンロにソースパンをかけているところだった。



========

今日は二話更新です。

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