第55.5話 ライダーの息子のその後

(※やや残酷な描写があります)

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 同日、王や五公が不在となった掬星きくせい城。その一角にある、貴族用の幽閉塔に来訪者があった。


 独房は扉と窓に鉄格子がはめられてはいるものの、それをのぞけば一人暮らしの安宿よりもよほど快適だ、と囚人は思っていた。布張りの長椅子に怠惰たいだに寝そべっていたその囚人、ザシャは、錠のまわる音で身体を起こした。


「ザシャ殿」

 声をかけてきたのは、見知った顔。竜騎手団の団長、ハダルク卿だった。隣に二人、部下らしいライダーをともなっている。


「ハダルク卿。こんな場所へようこそ。おかまいもできませんが」

 ザシャはへらへらと笑いながら言った。「閣下には警備隊への推薦状ももらっちゃったのに、すみません。俺がこんなことになって、あなたの出世に響くかな?」

 こうして最悪の形でハダルクの恩を裏切ることになったわけだが、ザシャにはそれを恥じる気持ちはなかったし、まして自分の犯した罪に対する悔悟の情など湧かなかった。


 ハダルクは用件も告げずに黙っていたが、しばらくして言った。 

「あなたの父上、ロッテヴァーン卿を存じあげていました。竜騎手団での私の後輩にあたります」


 ふーん、なるほど、とザシャは無感動に思った。警備隊への推薦もふくめ、タマリスでは世話をしてもらった自覚はあったが、やはり亡父の知り合いだったらしい。

「こんな立派な牢をあてがってもらったのも、死んだ親父のおかげですか?」ザシャがうすら笑いを浮かべて言った。「貴族牢っていうんでしょ、こういうの?」


「そうです」ハダルクは首肯し、続けた。

「手短におつたえしましょう。領主貴族――というより、竜を制御できる〈乗り手ライダー〉を多く輩出する家は、希少です。あなたには名家の一員として、汚名をそそぐ機会がある」

「なるほど。それが、こんなとこまでわざわざいらした理由ってわけだ」ザシャは興味をひかれたように尋ねた。「……で、どんな?」


「あなたの血を残すことです」

 ハダルクは青い目でじっとザシャを見据えながら言った。さすがに歴戦のライダーだけあって、感情の揺れはまったく見られなかった。

「同じような立場の女性とのあいだで繁殖をしていただく。そのつとめを受け入れられるのであれば、あなたは命をながらえます」


「そんなことじゃないかと思った」

 ザシャは嘲笑った。「繁殖、繁殖。高貴な方々の目的はいつもそれだ」


 ハダルクは反論する様子を見せなかった。

「返答は?」

 その問いに、ザシャはたっぷりと時間をかけてじらしてから、「ごめんだね」と拒絶した。

 答は瞬間に決まっていたが、自分のこのクソのような人生にもそれくらいの余興はあってしかるべきだろう、と思ったのだった。


「リアナは俺を領主貴族として認めなかった。それなのに、繁殖の役目だけ押しつけられるのはごめんですよ。俺は罪人だろうけど、パン屋の息子として死ぬ」


「そうですか。残念です」ハダルクは表情を変えずに言い、それ以上言葉を重ねることなく、静かに退出していった。ザシャは拍子抜けした。わざわざここまでやってくるくらいだから、もっと説得されるものだとばかり思っていたのだった。


 ハダルク卿の、あのすかしたツラをからかって時間をつぶそうと思っていたが、まあ、いい。どうせ、自分の最期に変わりはないのだ。高貴なる竜の末裔まつえいは裏切者に容赦しない。どんなむごたらしい処刑が待っているのだろうかと思いをめぐらせると、憂鬱になった。


 しかし、結論から言えば、もの思いの時間は無用だった。

 しばらくすると、見慣れない別の男がやってきたのだった。だと牢番が言った。

「今度は誰だ? 人生の最後に、俺も重要人物になったものだな」

 ザシャはいぶかしむ。「あの竜殺しスレイヤーの関係者か?」

 英雄にして竜殺しと呼ばれるあの男が、みずからの剣でザシャを殺したがっていると、牢番が面白そうに話しているのを聞いたのだ。もしザシャを震えあがらせたい目的があったのだとしたら、それは完全に成功していた。相手の意識を残したまま、末端から切り落としていくというフィルバートの尋問方法は兵士たちの間に広く流布している。


 だが、違うようだった。

「私は、フィルバート卿を敵にまわした男のなかでは、もっとも長生きしているようだな」老人はふくみ笑いで暗にそれを否定した。


「なに。おなじ領主貴族の一員としての慈悲だ。ライダーの息子として、おまえを誇り高く死なせてやろうと思ってやってきたのだよ。痛みのある死は嫌だろう?」

 たしかに身分の高そうな、そしてずいぶんと年を取った男だった。漂白された羊皮紙のような、白くて皺の多い老人で、小柄で痩せていた。隠れ里には高齢の者はいなかったから、ザシャは老人を見るといつもまじまじと眺めてしまう。……隣に従者らしき男が立っていて、折り目正しく差しだした盆に銀の杯が載っていた。


「毒杯か?」ザシャは笑った。もはや、貴族相手に口調をとりつくろうことも面倒になっていた。「さすが、お貴族さまにはいいものがあるじゃないか」


「これが欲しいかね?」老人はゆったりと杯をかかげた。

 ザシャは即答した。「みじめに処刑を待つより、一瞬で楽になるほうがいい。そいつを寄こせよ」


 老人がうなずきかけると、従者が杯を取ってザシャに渡した。彼らの気が変わらないうちにと、青年は一気に杯をあおった。

 

「これが毒か? すぐ死ねるのか?」

 ザシャはいぶかしむ。かすかに薬臭いが、それ以外には目立った味もない。しばらくは、手持ちぶさたな間があって、そして……。

 猛禽もうきんのような無感情な対の目が、自分を観察しているのを感じた。

「なんだか、身体がどんどん重くなっていく……これが毒なのか?」再び、そう呟いた。


「毒だとも」エンガスは穏やかな乾いた声で言った。「おまえが思っているような毒かはわからないが、ものだ。意志による抵抗は奪い、身体への命令は残す。従順にに協力できるようになる」


 話が違うじゃないか、という声はあがらなかった。囚人の目はしだいにうつろになり、手足が弛緩しかんしてゆらゆらと前後に揺れはじめている。


 エンガスは、従者がザシャを抱えて運ぶのを眺めた。

「リアナ陛下ほどはないが、被験者はいつでも歓迎されている」



 そして、永遠に貼りついた仮面のような笑みを浮かべた。



 ♢♦♢


 しばらくすると、牢役人の指示で、使用人たちが牢内を片づけはじめた。四半刻も経たずに若い囚人の痕跡は消し去られ、そして牢はまた新たな住人を待つことになった。



 その後、王国内の公文書で「ザシャ」という名前の男は確認されていない。

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