第55話 〈血の呼ばい〉の行方
王太子ナイメリオンは竜騎手団の聴取に応じ、廃嫡についてもすなおに受けいれた。王配リアナの評判が落ちれば、王がもっと自分を頼り、重んじてくれると思ったと動機を語ったらしい。気に食わない相手の評判を落とすつもりの浅慮な挙動が、王都を揺るがすほどの騒動につながったことがようやく理解でき、深く反省しているようだと世話役の竜騎手が報告した。
犯罪組織に金を提供したことと、無自覚にではあるが王配の動きを組織側に流していたこと。どちらもオンブリアでは死を持って償うべき重罪になるが、未成年であるため処分は廃嫡のみとなった。重罪を与えにくい背景には、高位貴族たちの親族関係が強いことや、それぞれの竜種のライダーたちに産業的・軍事的に依存している事情もある。成人を迎えても当面、公職に就くことはできないだろうが、更生の機会は十分にあるだろう。
一方で、感じやすい年頃のナイムを
〈
リアナが〈御座所〉を訪れるのはひさしぶりだった。一番最初にこの場所に来たのは、まだ彼女が王太子の身分のころだった。いまのナイムと違うのは、そのころすでに王は亡く、〈血の呼ばい〉の上では彼女はすでに王で、デイミオンがその後継者だったということだろうか。
「王権の辞退や譲位には、しかるべき手続きが必要だ」と、かつてそのデイミオンが言っていた。そして、「能力のない竜王が退位したことについては前例もある」とも。あとになって、その王が、彼とフィルの母レヘリーンだと知った。
竜たちの国に王家はなく、〈血の呼ばい〉によって後継者が決まる。それぞれが王になりうる血筋の五公十家が大きな力を持っており、資質のない者が王となることは彼らが許さない。
(では、〈血の呼ばい〉の意義は、いったいなんだと言うの?)
儀式を待つあいだ、リアナはつれづれにそんなことを考えていた。
〈継承の間〉への門はナイメリオンに開かれ、出てきたときには、少年は泣いていた。
「あのきれいなものたちは、もういませんでした」
王太子から降りたばかりの少年の、最初の言葉だった。
「きれいなもの?」少年の腕に手を置いて、リアナが尋ねた。「あの……蝶みたいな生き物たちね? 〈継承の間〉にあらわれて、入ってきた者に
ナイムは
『犯罪者』という固い言葉の響きが、ナイムをかえって幼く見せていた。まるで、「僕が悪い子だから」と言っているのも同然だった。なんともいえない気持ちになり、リアナは小さく息をついた。ヴィクトリオンが弟の肩を抱き、母グウィナのもとへ連れて行く。グウィナは本来の明朗さをいくらか取り戻していて、息子たちに目だけで微笑みかけると、あとはライダーたちに細かな指示を出していた。
……ともあれ、あの生き物は、竜祖の使いというよりも、もっと機械的ななにかのようにもリアナには思える。少なくとも、ナイムの罪を裁くほどの高位の存在があるのなら、そもそも彼が〈血の呼ばい〉によって選ばれたことと矛盾している。〈呼ばい〉と〈継承の間〉、いや竜そのものを含めた、古代からの仕組みのなかのひとつのような……。
「それで、〈血の呼ばい〉は誰に?」リアナが尋ねると、デイミオンは腕組みをしたまま首を振った。
「どこにも感じない」
「〈呼ばい〉を感じない? そんなことがありうるの?」
「あるよ」同行していたファニーが口を挟んだ。「自発的な退位の場合には特にね。レヘリーンが退位したあと、エリサの次の王太子――つまり、クローナン卿が見つかるまでには七日ほどの間があいた、と記録にはある」
念のために、五公たちが入れかわり立ちかわりして扉の前に立ったが、よく磨かれた鏡のような扉は貝のように固く閉ざされていた。王につらなる者は彼らの中にはいない、ということなのだろう。
「いずれは定まるだろうが、これでひとまず、政争の具となることは避けられた」デイミオンがリアナにだけ聞こえる声で言った。リアナも小さくうなずく。王太子が誰に定められたとしても、いくらかは準備する時間があるわけだった。願わくば、彼ら二人に友好的な勢力のライダーであればよいが。リアナにとっては、自分が代理王をつとめる間、重要な関係を持つ間柄になるからだ。
♢♦♢
帰り道で、リアナはナイムの兄弟、ヴィクトリオンを夫婦の竜車に呼んで話を聞いた。
「母上と父上にも連座して処分が下ったことが、ずいぶん
そして、ナイムから聞いたことを語った。
未成年である彼には、所領の収入を勝手に引き出すことはできなかったため、ほとんどの資金は養父であるゲーリー卿にねだって出してもらったのだという。古竜の仔を飼いたいという名目だったのに、実際の竜が見当たらなかったことから、養父はことを知るにいたった。
そして、息子は権力ゲームに興じているつもりでその実、本人の首がかかった危険な綱渡りから、いままさに墜落しようとしていることに気がついた。
『心配しなくてよい、ナイム。おまえはなにも知らなかったのだ。金を流したこともすべて、私がやったのだ。……おまえがどんなことをしでかしても、父はおまえの味方だ』
ゲーリー卿は血のつながらない息子を抱きしめ、そう言ってきかせたのだという。
「そう……」
それは親としては誤った愛だとリアナは思う。砂糖菓子を与えて鳥かごに飼うような惰弱な愛だ。それでも、その情愛がナイムの救いになったことも確かなのだろうと思うと、ゲーリー卿ばかりを責める気にはなれなかった。
たしかにナイメリオンには、次代の王として過大な期待と負荷がかかっていたには違いないのだろう。
ヴィクはつづけた。
「ナイムは、
その言葉に対して、リアナは是とも非とも言えなかった。憧れと言われた当のデイミオンは渋い顔をしている。
「……それで、おまえはどうするつもりなんだ?」デイミオンが尋ねた。
ヴィクトリオンは母譲りのアイスブルーの目で、竜車の窓から遠くを見はるかした。
「俺、ナイムを連れて大陸を旅してまわろうと思ってるんだ。今のタマリスはあいつには居づらいし、それに、ずっと王城でしか生活してなかっただろ?」
「そうか」デイミオンは反対しなかった。「許可を出すように通達しておこう」
「いい子ね、ヴィク」
リアナは、自分よりもずいぶん背が伸びた少年をハグしてやった。
「だけど、あなたはそれでいいの? 剣士の修行をしたかったんでしょう? ナイムと一緒に行けば、修行にはまわり道になる。〈ハートレス〉だからといって、あなたの人生をナイムの犠牲にしてほしくはないわ」
自己犠牲と言えるほど献身的な〈ハートレス〉の生きざまを間近に見ているリアナには、それが心配だった。
「いいや」
「まわり道でも犠牲でもないよ。俺がそうしたいから、そうするんだ。……たぶん俺はそのために、これまで剣の稽古をしてきたんだよ」
その確信に満ちた言葉に、リアナはヴィクの成長と、兄弟の絆を感じた。ヴィクの優しさや力強さが、きっとナイムに良い影響を与えるだろう。
ヴィクとナイムの冒険に満ちた旅は、のちに王都で戯曲となって上映されるほどの物語を生んだが、それはまた別の話である。
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※次話(第55.5話)は、やや残酷な描写があるため本話から分割しました。苦手な方は、飛ばしてください。
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