第51話 彼女に求婚された

 上王リアナが、〈竜殺し〉フィルに連れ去られてからおよそ二日。夫に連れられて居城に戻ったときには、蜂の巣をつついたようだったという城内にも落ち着きが戻りつつあった。

 

 国王と弟、あるいは英雄とその兄。人によってどちらを主に見るかは違うだろうが、デイミオンとフィルバートというめったに見られない組み合わせに、使用人たちからのおそるおそるとした好奇の目はまぬがれなかった。その二人にはさまれる形のリアナは、矢傷などなかったかのように堂々と歩いていく。


 廊下を進む三人に、いち早く報告に駆けつける人物の姿があった。普段は毛一筋も乱れないように結ってある銀髪が、紺色の長衣ルクヴァに数筋落ちていた。

「ハダルク」

 呼びかけるデイミオンの声には驚きが混じっていた。「おまえには、王太子の確保と聴取を命じたはずだが……もう戻ったのか」


 ハダルクはきびきびと動きつつも、あきらかに憔悴しょうすいした表情だった。

「殿下の聴取は部下に任せました。事態が収束したとはいえ、両陛下の警護の任のほうがより重要です。それに……身内の聴取では、五公十家の疑いを招きかねませんから」


「そうか……」

 デイミオンはそれ以上追及しなかった。実の息子を逮捕するという事態が起こった以上、せめて自分で指揮をりたかろうと思って任せた部分もあったが、ハダルクの言葉ももっともではあった。

 

 ヴェスランの屋敷にリアナを行った半刻ほどのあいだにも、警備隊とライダーの共同部隊が、くだんの貴族たちを一斉に摘発していた。城内がリアナの誘拐というスキャンダラスな話題でカバーされていたのは、かえって好都合だった。ハダルクの言葉どおり、事態はほぼ収束に向かいつつある。


 王太子の関与が疑われるということで、すぐに緊急の五公会が開かれるだろうことが予測できた。五公たちがどう動くのか、デイミオン自身の計画に及ぼす影響など、早急に策を練らねばならない。


「小広間のほうに、十家の貴族とライダーたちが集まっている」

 デイミオンはリアナに向かい、やや声を低めた。「あとひと芝居のあいだ、持ちそうか?」

 リアナは自分を力づけるように姿勢を正した。「大丈夫」

 妻の腕を、デイミオンはいたわりをこめて軽く叩いた。フィルの処遇を王命だけで決めることはたやすいが、五公十家につけ入る隙を与えないよう、火種は消してしまった方がよい。小芝居のひとつで済むなら、安いものだった。


 それぞれの思惑を隠して、三人で小広間に入っていく。


「陛下」

「リアナ陛下、ご無事で」

「だが、フィルバート卿もご一緒か?……」

 貴族たちの視線が、王であるデイミオンを通り越して、リアナとフィルに集まった。大戦の英雄が、兄である王に剣を向け、王妃を奪った――

 そう彼らは思っており、それが真実でもあるが、現場を見たのは一部のライダーと癒し手だけのはずだ。

 王配の安否を案じて集まるという名目でうわさ話に興じていた彼らの前に、当のリアナがフィルバートと連れだって無事に戻ったのだから、驚きの声があがるのも当然だった。ざわめき、顔を見あわせている貴族たちに向かって、リアナは快活にほほえんだ。


「みなさん、こんなにお集まりになって。今回はわたしとフィルのことで、ずいぶん心配をおかけしたみたいね。……」

 貴族たちを観客にしての、三人の芝居がはじまった。


 ♢♦♢


 五公会に向けた指示や情報共有という名のすり合わせは思ったより長引いた。貴族たちが去り、リアナが疲れから寝入ってしまうと、男二人のあいだに緊迫した空気が流れる。


「どうして、貴族たち相手にあんなわけのわからない寸劇をしなきゃならなかったんだ?」理解できない、というふうにフィルが首を振った。先ほどは彼らに合わせて、『シーズンのしきたりがわからず先走った粗忽そこつ者の剣士』を演じていたが、もともと宮廷の立ちまわりには興味がない男だ。

「リアナは矢傷を負ったばかりなのに。すぐ寝台で休ませるべきだ」


「おまえを犯罪者にしないための芝居なんだぞ」

 デイミオンは憎々しげに言った。

 『若い妻の、はじめての第二配偶者候補に手を焼いている夫』という役を演じたデイのほうも、面白く感じるはずがなかった。

「くだらない痴話ゲンカと見せかけられればこそ、おまえの所業から世間の目をらせる。……そうでないなら、王妃誘拐の大罪人として今すぐ打ち首にしてやりたいところだ」


「どうぞご随意に、陛下。今なら、目の前で妻をさらわれた夫という不名誉な称号も手に入る」フィルは、リアナの前では出さない皮肉たっぷりの声を使った。


 デイミオンは大げさにため息をつき、弟の挑発にはのらないという意を表した。臨時の五公会は明日の正午に開かれる。それまでに、やらねばならないことは山積していた。フィルバートがライダーとしての務めを忠実に果たしていれば、貴族たちに対してももっと圧力がかけられるのに。


 いらいらと部屋を歩きまわるデイミオンとは対照的に、フィルバートはリアナのもたれていた長椅子の前に静かに立っていた。

 そして、思いがけないことを言った。「彼女は俺が運ぶ」


「なんだと?」考えにふけっていたデイミオンは、弟の言葉にぴくりと動きを止めた。


「俺が運ぶと言った。いいだろう、別に。デイの寝室に運ぶんだから」フィルの口ぶりにはとげがある。


「どこの世界に、寝室に行くのに妻を別の男に運ばせる夫がいる? 出過ぎた真似をするな」

「出しゃばらずに城の奥にこもっていれば、彼女を守れたのか? あなたみたいに?」フィルは嘲笑った。「吠え声だけが大きく聞こえるな」


「下手な挑発だな。『マウンティングはやめろ』などと綺麗ごとをほざいたのはどの口だ?」と、デイミオンも負けずに返す。


「あれはリアナに聞かせたかっただけだ。でも、もう寝てるし」

 フィルバートはと言った。

 デイミオンはあきれかえった。そんな卑怯な手でリアナの歓心を買おうとしていたなんて。

「なんて汚い男なんだ、信じられん。本当に、俺が出たあとのはらから生まれたのか?」

「なんとでも。なりふり構うつもりもないし、貸しが多いのは俺のほうだ」


 結局――本当にめずらしいことだが――デイミオンが折れた。フィルバートに妻の命を何度も助けられているのは事実だからだった。それに、またこの男が剣でも抜いた日には、それこそ今日一日の小芝居とリアナの努力が無駄になってしまう。もっとも、『剣を抜く』のは比喩ひゆに過ぎない。フィルは近衛兵たちによってすでに武装解除されていたからだ。だがその気になればフォーク一本からでも城を制圧できる男に、武装解除など何の意味があるだろう?


「王権をおびやかす勢力に、ナイメリオンの利敵行為も確認された。これほど情勢が逼迫ひっぱくしているのに、おまえの頭のなかにあるのはリアナのことだけなのか?」

 デイミオンは叱責する口調になった。「おまえがもっと王の仕事に協力すれば、ひいてはリアナの負担を減らすことにもなるんだぞ」

 言いながらも、否定かあざけりの言葉が返ってくるだけだろうと思っていた。が、フィルバートは黙ったままで、考えこむようなそぶりを見せた。


 長椅子にかがみこみ、リアナの背と膝裏に手を入れながら、フィルはだしぬけに宣言した。

「彼女に求婚プロポーズされた」


「……!」

 デイミオンの顔に、苦々しい衝撃とでも呼べそうな表情がよぎった。ナイルからの通信でだいたいのなりゆきは把握していたが、当のフィルバートから不意打ちで聞くと動揺は避けられなかった。

「……はき違えるな。王に剣を向けた男としておまえが処刑されないための、リアナの苦肉の策だ」

「それでもかまわない。もともとはあなたが言いだしたことだ」

 フィルはリアナを抱きあげた。顎先で、扉を開けろと指示されるのがデイミオンには腹立たしい。

 こうなったら、さっさと寝室に戻ってこの男を追い出そうと歩みをすすめる。目礼する近衛兵たちが、ちらりと王の顔色をうかがったのが見えた。妻を臣下に運ばせるのは、王らしくはあるが、デイミオンらしくはない。〈竜殺し〉の両手がふさがるというメリットはあったが。


「私が頭を下げて頼んだときに断ったことを、忘れていないだろうな? 今になって惜しくなったのか?」


「俺は竜騎手ライダーじゃないし、シーズンの務めも愛のない結婚も嫌だ。リアナを守るのは自分の意志であって、あなたの駒として使われるのもごめんだ。それは、変わってない」

 そう言って、フィルは自分の腕のなかの女性を愛おしげに見下ろした。


「でもリアナが一人の男を求めてくれるなら、俺はもう『一本の剣』じゃない。無鉄砲で自由な彼女を危険から守ることも、夫として尽くすことができるのも、あなただけじゃない。彼女が求めるものは俺だって与えられる。……そして、彼女の気持ちがすこしでも俺にあるなら、俺はもう譲らない」


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