11 内乱の結末と、三人の決断

第50話 白昼の演技と、緊迫する車内

 差しだされたフィルの腕を取り、ゆっくりと玄関の外に出ていく。ヴェスランの邸宅には車寄せがないので、二人で門をくぐり、竜車の見える通り沿いまで歩く形になる。

 屋敷を取り囲む竜騎手たちの気配と、往来する人々の好奇の目線とを感じた。


 ――フィルを守らなければ。

 リアナの頭にあるのは、そのことだけだ。彼の話のとおりなら、城から王配をさらい、国王その人にも剣を向けた大罪人と見なされていてもおかしくない。ナイルとの〈呼ばい〉を通じてフィルに抵抗の意志がないことは伝えているが、万一にも攻撃されないようにとしっかりと腕をからませた。

 

「ごきげんよう、だんな様。お早いお迎えね」

 リアナは快活に言い、周囲に聞こえるように、少しばかり空気の流れを調節した。まだ、あまり大きな声が出せないというのもある。外気に触れると、破片が刺さったように肺が痛む感じがした。


「もっとまともな逢引場所はなかったのか? こんな、すぐに見つかるような場所で」

 デイミオンは若い妻を叱る口調になった。

「ごめんなさい」リアナもそれに合わせてしおらしく答える。


 デイはすぐに、フィルバートのほうへ向きなおった。

も、繁殖期シーズンのマナーには不慣れと見える。配偶者である私に断りもなく妻を連れ出すと、のそしりはまぬがれないぞ」 

「なにぶんシーズンははじめてで、身にみました」フィルが苦笑してみせた。「思いが先走り、不調法な真似をしてしまい……閣下にも、奥様にも、申し訳ありません」


 ヴェスランが出てきて、へつらうようにデイミオンにあいさつをした。いかにも、貴族のご機嫌うかがいをする商人という演技が板についている。「若いお二人に、つい肩入れをしてしまいまして大変な失礼を。……いやぁ春ですなぁ……閣下には今後ともごひいきに」。

 デイミオンがうっとうしそうに手を振ると、ヴェスランは邸内に下がった。


 早朝、商人の邸宅、私服姿の男女三人。その小芝居としては、申し分ないものだろう。のちのちのことを考えれば、観客は多いほうが良い。いささか緊張しながら、リアナは夫のほうへ近づいていった。


 往来で不自然でない程度に肩をささえ、デイミオンが小さく尋ねた。

「傷の具合はいいのか? ……血は?」

「フィルにもらったわ。傷は……大丈夫」

「そうか」

 考えこむような間があって、リアナは不安を感じた。心臓近くを貫かれて、まる一日もたずに立って歩いているなんて、異形いぎょう以外のなにものでもない。フィルは彼女がデーグルモールでもかまわないというが、デイミオンは……。


「また、半分ゾンビになっちゃった。こんな竜族がほかにいるかしら?」

 リアナはなるべく明るい声をだそうと努めたが、皮肉っぽい響きになってしまうのは避けられなかった。

「どんな異形の力であっても、おまえが無事で俺のもとに戻ってくるなら、それでいい」デイミオンはフィルバートのほうを見ながら言った。

「この点についてだけは、と意見は同じだ」

 それは、そっけないがリアナの求めている言葉だった。リアナは張りつめていた気もちがほどけ、足もとがくずれ落ちそうに感じた。


掬星きくせい城へ戻る。……おまえもだ、フィルバート卿」

「はい、陛下」

 デイミオンが命じ、フィルがそれに従う。あと少しで竜車の中だ。あの中に入れば、もう演技をする必要はない。リアナは気力をふるい立たせようとした。



 夫に支えられながら竜車に乗りこむ。腕に手をかけ、リアナは念を押した。

「フィルはわたしを助けようとしたの」

「……わかっている」

「フィルを罰したりしないわね? デイ、わたしフィルと――」

「その話はあとだ」

 さえぎるデイミオンの声は冷たく、固かった。


 ♢♦♢


 車内は、当然ながら険悪な雰囲気だった。

 二頭の竜にひとつの竜車では狭すぎるとでも言うように、男たちは一触即発のぴりぴりとした空気を出していた。


 一方、リアナの気分は最悪だった。

 自分で言いだしたことだが、「恋人の家で夫と鉢合わせする妻」を演じるのが愉快であるはずもない。

 複数婚が普通のオンブリアでも、同伴するのは一度に一人だけだ。繁殖期シーズン中は男性も気が荒くなり、ささいな口ゲンカが刃傷沙汰になりかねない時期でもある。まして、この男たちなら、なおさらだった。


 右手側にフィルバート、そして左手側にデイミオン。

 治りつつあるものの重傷にくわえて気疲れしていて、正直に言えば、どちらでもいいからどちらかの肩にもたれて眠りたかった。だが、そういうわけにもいかないだろう。片方を選べば、片方のメンツがつぶれる。そして竜族の男というのはメンツがつぶれると死ぬ生き物たちなのだ。


 どうしたものか。考えていると、左からデイミオンの腕が伸びて、リアナを自分の肩に押しつけた。いかにも彼らしい行動ではあったが、今、フィルの目の前では困る。ハシバミ色の目がじっと彼女のほうを見ていた。

「デイ……」

 リアナはふり向いて、なにか角の立たない拒否の言い方がないかと探した。


「マウンティングはやめてくれ」隣から、フィルバートが静かに言った。

「俺たちは良くても、あいだにはさまれたリアナが辛い」


「言うようになったな」

 デイミオンの声は冷えびえとしていたが、ともあれ抱きよせる手が止まったのでリアナはほっとした。素直に夫に寄りかかれないのは辛いが、この状況ではしかたがない。それに、たぶん……フィルがデイミオンに対して意見できるようになりつつあるのはいいことなのだろう。


「城はどうなってる?」フィルが尋ねた。


「襲撃者たちが割れた。城は上下をひっくり返す騒ぎだ。今説明しておく」

 デイミオンは、フィルとリアナがいない一昼夜に起きた出来事の経緯を説明した。リアナにも聞き覚えのある貴族家の名前がいくつか。それに、警備隊の内通者と確定したザシャのこと。そして、王太子ナイメリオンの資金提供の疑い。


「……ザシャが」リアナはその名前に愕然がくぜんとせずにはいられない。領地の件で不穏な空気はあったが、まさか殺したいほど憎まれているとは思わなかった。


「そいつから芋づる式に貴族家のいくつかが上がってきた。これを正すにはかなり大ナタを振るうことになるだろう」

「……そう……」

 リアナは柳眉をひそめた。「……今回の件で、五公十家の勢力図がかなり変わってくるでしょうね」

 デイミオンがうなずく。

「ナイルはおまえの従兄いとこで、利害もからまず安心できる。ただ後継者の面では、ナイルも一族のためにおまえを利用したがっているはずだ」

 そして竜車の小さな窓から外を眺めた。「言っても詮無せんないことだが、メドロート公が生きていればな。利害より肉親の情を重んじる点で、おまえの絶対的な庇護者になったんだが」


「アエディクラの種苗しゅびょうの七割は、北部領主家とアエディクラ内の協力企業が流通を押さえている」

 リアナは言った。「すべての根回しが整ったら……ガエネイス王には、いつかネッドの命のツケを支払わせてやるわ」


「わかっている。だが今はこらえろ。テーブルの上がひっくり返って、敵対者をあぶり出すには好機でもあるんだ」と、デイ。


「ナイムは誰かにそそのかされているという気がするな」と、フィルが呟く。

 デイミオンは嘆息する。「残念だが、おまえの言うとおりだろう」

「グウィナ卿はどう動く?」


 リアナは兄弟を交互に見た。どちらも、グウィナ卿を母親同然にしたっている。

「わからん。……愛情深く公平な人ではあるが、肉親の情にはほだされやすい。それで俺の命が助かったこともあったわけだが……」

 デイミオンが言及しているのは、彼がデーグルモールの頭領ダンダリオンと戦って重傷を負った際のことだった。グウィナは政敵であるエンガス卿の息女、しかも王への反逆罪に問われている当のアーシャ姫を、囚人塔から独断で呼び戻して彼の治療に当たらせたのだ。


「そういう女性ひとだから、ナイムを見捨てることはできまい。今回ばかりはグウィナとハダルクを味方とする判断は留保しなければならないだろうな」


 その後、城にたどり着くまで三人の口は重かった。

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