第46話 あの人を助けて

「まったく、つくづく手のかかる。うろこも取れないクソガキが、いっちょ前にほうばかり覚えやがって……いや、失礼、陛下」

 どうやら従軍中の汚い言葉づかいが出たらしく、ヴェスランは赤面して咳ばらいした。

 なかなか素顔を見せないフィルの、悪童のような一面を、彼は知っているのだ。もっと聞いていたい気もするが、屋敷のまわりを王城のライダーたちが囲んでいるこの状況では、そうもいかないだろう。王配であるリアナの無事は保証されるだろうが、彼女をさらってきたらしいフィルと、彼らをかくまっているヴェスランのことまではわからない。(なにか、方法を考えなくては。朝までに……)とリアナは思う。


 ヴェスランはけわしい顔のまま、上着のかくしから数枚の書類を取りだした。

「ここの土地と館の権利書、それから、いくらくらいの価値があるかの鑑定文書です」


 少女のころから権謀術数うずまく王城に身を置き、目端めはしくリアナだが、これは理解の範囲外だった。

「なんのこと、ヴェスラン? 意味がわからないわ」


「事業のほうも、すぐには売買できませんが、必要なら陛下にお譲りできます」

 リアナのとまどいを見ていないのか、男はぶつぶつと呪文のように金の話を続けている。不動産、事業、買い集めた家具や宝石類。

 そんな即物的な話なのに、子どもがひと目で泣きだしそうな剣幕なものだから、リアナはよけいに混乱する。


「ヴェスラン」とほうに暮れて男を見あげる。

 かつて兵士だった中年男は、うろうろするのをやめてスツールに腰を下ろした。しばらく間をおいて、口ごもるように言った。「あの人を……国外に逃がす方法があるのではないかと」


 リアナはまばたきをした。意図がまだ読めないでいる。

 ヴェスランは長いため息をついた。

「こんなことまでするとは思わなかったのです。あなたを王城からさらってくるなど……ハートレスの責任も忘れ、恋の愛のと、ばかげた戯曲のような行動に出る若造だとは」

「わたしはケガをしていたのよ、ヴェスラン。竜車が襲われて……そんなときに、フィルが私欲だけでこんなことをするとは思えないわ。恋愛とか、そういうのだけじゃなくて……なにか理由があるのよ」

「そう思われますか?」ヴェスランは彼女をためすような目つきになった。

 リアナはうなずいた。「フィルはわたしのことを、なにより大事にしてる。その信頼が揺らいだことはないわ。ただ、このばかげたことがなのかがわからない」

「愛する者からの信頼は……」ヴェスランは、窓の外へと目をそらした。「われわれにとってなによりも代えがたいものなのです。あの人があなたを盲愛するのも、わかる気がします」


 リアナは、その『あの人』がやすむ寝台に目をやった。フィルは、ヴェスランが用意してリアナが手わたした薬が効いて眠っている。薬には耐性があると前に言っていたから、案外はやく目を覚ますかもしれない。


「フィルは、『朝になったら投降する』と言っていたわ。……本当なの?」

「そのつもりでしょう」ヴェスランは、ぐっと奥歯を噛みしめた。

「しかし、たとえあなたが無事であれ、処罰は避けられますまい。デイミオン陛下は公平なお方でしょうが、五公会と竜騎手議会には、ハートレスであるあの人が失墜しっついするのを手ぐすね引いて待っているやつらもいるのです」


「それで……フィル一人を脱出させようということね?」

 そういう方法を考えないではなかった。フィルバート一人なら、どうにかなるのではと。

 そして同時に、金銭面の援助と引き換えに、ヴェスランがフィルの身の安全を保障してほしいと頼んでいるらしいことも想像がついた。

(なんて不器用な人なの。フィルそっくりね)

 こっそりと、そうため息をつきたくなる。

 怒りや焦燥を表に出すのは、男性の愛情と不安の裏返しだ。自分の大切なものを守れないかもしれないという恐れが、男を威圧的にさせるのだ。リアナは夫、デイミオンと知りあってからそれを学んだ。

 はたして、ヴェスランは切りだした。


「あの人を助けてください」

 言葉をと落としてしまったように、床の一点を見つめている。ヴェスランはリアナ以上にとほうに暮れているようだった。


「剣しか能のない男で、外面そとづらばかりよくて中身は頑固で、融通のひとつもきかせられないやつで、われわれにはぞんざいな口をきくくせに、あなたにはいい部分ばかり見せたがる、しようもない若造ですが」


 ヴェスランはそこで顔をあげ、拳を固く握りしめた。

「――しかし、われわれの仲間なのです。……地獄のような戦場で、ともに泥をすすって生きた戦友です。そしてあの人だけが、ネズミたちのなかの獅子だった。私たちハートレスの戦いと、死とを意味あるものにしてくれた。あの人がいなければ、われわれは英雄ではなく無名のネズミとして死んでいたでしょう」

 声はしだいに絞りだすように弱々しく、涙まじりになった。「それなのに、こんなことで簡単に自分の命を投げだしてしまうなんて。王配をさらうなどという汚名を着て、今度こそ逆賊として処刑されるかもしれない」


 リアナは立ちあがって彼に近づき、激情に震える拳に、そっと手を置いた。「ヴェスラン」


「お願いです、陛下。……あの人を助けて、助けてください」


 いかつく大きな背中を丸めて、ヴェスランはすすり泣いていた。リアナは太い首に腕をまわして短髪の頭を抱きしめた。金茶の髪が彼の肩に腕にと流れ落ちるにまかせ、嗚咽おえつに耳をかたむけた。

 恥も外聞もなく、全財産すら投げうって、こんなにもフィルのことを思っている誰かがいる。

 そう考えて、つられて涙がこみあげそうになるのを、ぐっと我慢する。デイミオンは、オンブリアというひとつの王冠を、王国を、夫婦つがいで分かちあっていると言う。夫と同じようにリアナもまた王で、彼らを守る側なのだ。


「……泣かないで、ヴェスラン。大丈夫よ。大丈夫……」

 おそらくは父親ほどの年齢であろう男が落ち着くまで、声をかけ、背中をさすってやった。

「フィルを愛してる。かならず助けるわ。わたしの力で」


 ♢♦♢


 フィルが不機嫌そうに寝台から降りてきたのは、そのすぐあとのことだった。リアナはまだ、立ったままヴェスランの背を撫でてやっていて、フィルはそれを見ないように目をそらした。

「薬を盛ったな、おまえはそういうヤツだと前から思っていた」とフィルがののしると、ヴェスランも「あなたのせいで店にも顔を出せない。損害賠償だ。裁判だ」などと応戦する。

 リアナが見るかぎり、二人とも本気の口ゲンカというわけではなく、単におたがいの本音を知って気まずく、それをごまかしたいというように見えた。フィルもヴェスランも、リアナには甘いくらいに優しいのに、それが男同士となると……謝ると死ぬ病気にでもかかっているとしか思えない。


 フィルに追いはらわれるようにしてヴェスランが退室すると、ふたたび静けさが戻ってきた。


「謝らないわよ」

 リアナは、あらかじめ釘を刺しておいた。「あなたが秘密主義すぎるから、ヴェスランに話を聞くことになったんだから」

 フィルはまだ顔をしかめたままだったが、さすがにが悪いことを自覚しているようだった。ヴェスランの嘆願を寝台で聞いていたに違いないとリアナは思った。思いがけない愛情の発露にとまどっているのだろう。本人は絶対に認めないだろうが。


「わかっています。……こういう危険な状況で、おちおちと寝てしまったのが嫌だっただけです」

「あんなに即効性があったんだから、あなたも疲れているのよ。わたしに……血を分けたわけだし」


 それを聞いたフィルは、やはりいくらか疲れを自覚したように、眉間の間を指で揉んだ。リアナは彼のそばに寄っていき、前腕に手を置いて言った。

「理由を話してくれるわね? 今度こそ」

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