10 一本の剣でなく、一人の男として 【リアナとフィル】

第44話 夜が明けたら

 また、悪夢だった。燃えおちていく故郷がうつり、腐肉喰らいの怪鳥のようなデーグルモールたちが歩いている。祝いの日のために用意されていたものすべてが、打ち捨てられ、燃えて、里人たちは叫び声のなかで死んでいく。近づいてくる里人たちに顔はない。リアナは、恐ろしさよりも奇妙な納得をおぼえた。あの出来事から十年以上がって、これほどリアルな悪夢のなかでさえ、里人たちの記憶は薄らいでいるのだと。

 だが、そのなかに一人だけ、はっきりと憎悪の表情を浮かべた青年がいた。子どもの面影を残した、あのロッタによく似た顔だち……


「あいつのほうを捕まえるべきだろう!!? 汚らわしい半死者デーグルモールなんだぞ!! 俺たちの里を焼かせたのはあいつの母親なんだ!! 俺は全部知ってるんだ!!」

 憎しみに満ちて、悲痛で、慟哭どうこくのような声がよみがえってきた。

「なんで、なんで、父さんも母さんも兄弟たちも死んで、あんたは生きてるんだよ!? あんたが死ね、化物!」

 ……

 母エリサは、人間たちだけでなく竜族たちからさえ〈魔王〉とおそれられていたという。そして父と思われる男は、デーグルモールの頭領だった。自分は、知らず異母兄を殺してしまった。あの雪山では、ハリアン卿を手にかけた。化け物とののしるあの青年の糾弾は、たぶん正しい。……


 ♢♦♢


「リアナ」

「リアナ、起きて」

 男の声と、頬を軽く打たれる感触で目を覚ました。逆光だと灰色に見えるハシバミの瞳が、気づかわしげに見下ろしている。


「……フィル」

 寝起きの混濁で、自分の置かれた状況がすぐにはわからなかった。天蓋てんがいのない小さな寝台と、窓から差しこむ茜色の光がまっさきに目に入る。城ではない、見知らぬ場所……でも、フィルがいる。


(竜車が襲われて……フィルが戦って……)

 記憶をたぐってみようとするが、そのあとのことが思いだせない。

(フィルが敵に囲まれて、すべての敵を斬り殺して、いてもたってもいられなくなって……)


「どのくらい眠ってた?」ひとまず、第一声はその質問だった。


「ほぼ一昼夜。体調はどうですか?」

「すっきりしてるわ。めまいも、頭の鈍痛もなくて……」そこまで言って、リアナははっとした。断片的にではあるが、記憶がよみがえってくる。「わたし、あなたの血を飲んだ」


 見あげたフィルの、その首もとに巻かれた包帯が、如実に語っていた。フィルはなにも言わずに彼女の背に手をのばし、肩甲骨のあたりに触れた。ひきつれるような痛みがあり、思わず声が漏れる。が、我慢できないほどではない。


「傷も膿んでいない。血が回復を早めるのか」フィルの口調は、確かめるようなものだった。

「あのとき、後ろから押されるような感じだった。身体がかっと熱くなって……」リアナは呟く。

「背中側から矢を射られたんですよ。たとえ心臓が二つあろうと、あれほどの傷で無事なのは奇跡だ。……よかった」

「よかった……のかしら」

 いくら竜族の身体回復が人間に勝るといっても、心臓近くに矢を射られて、たった一日で起きあがれるほど回復するのは異常だ。自分はデーグルモールのように、なかば死者の領域に足を踏み入れているのではないかと思うと、背筋が寒くなる。


 思わず自分の両肩を抱いたリアナを、フィルは見下ろした。

「あなたが五体満足無事で戻るなら、生者だろうが半死者だろうが構わない。あのとき、を残しておいてよかった」

 口調は淡々としていたが、隠しきれない熱がまなざしにこもっていた。

(やっぱり、襲撃の前〈竜の心臓〉を受け取らなかったのは、わたしのためだったんだわ)

 ピースがぴたりと合うと、それ以外の理由が考えられないくらいだった。フィルは、どんなささいなことでも彼女を最優先にしている。ときにはそれが怖いくらいに。

 彼女が上半身を起こすと、フィルは寝台のそばを離れ、窓を前に立った。正面ではなく、外からは半身だけが見えるような位置だ。

 

「ここはどこ?」

 リアナは、まっさきに気になったことを、ようやく尋ねた。

「ヴェスランの家です」

「ヴェスランの?」意外すぎるので、オウム返しになった。「どうして?」


 フィルは無言で、窓のほうへ手まねきした。「顔はあまり出さないで。カーテンの陰からのぞく感じで……そう」

 言われるままに近づいて、外を確認したリアナは絶句する。見覚えのある建物は、たしかにヴェスランの私邸がある位置と重なっていたが、その陰になる部分にはあきらかに武装した兵士たちが立っていた。

 念のため、竜の力を起こして〈グリッド〉と呼ばれる感知術を使う。自身の竜、レーデルルがいないために断片的にしかわからないが、それでもライダーたちの気配がいくつも感じ取れた。


「フィル、あなた何をしたの」愕然がくぜんとして、そう尋ねるしかない。


掬星きくせい城から、あなたをさらって逃げてきました」

さらってきたですって!?」

 リアナは金切り声をあげた。「どうして!? まさか、警備兵たちを傷つけてないでしょうね?! それに、デイミオンは……」

 あまりに驚いてしまって、質問が矢継やつぎばやになるのは避けられなかった。

「そっちは、あまりうまくいきませんでした。単独だし、急いでいたので」フィルはため息まじりに言った。「剣で脅すだけでは不十分なので、にも多少は血を流してもらう予定だったんですが」

「予定って……フィル、あなた、なにを言ってるの? なにを言ってるか、自分でわかってるの?」

 リアナは信じられないものを見るような目つきでフィルを見た。「デイを傷つけるつもりだったの!?」

 〈剣聖〉〈戦鬼〉とも呼ばれたフィルバートが本気で向かえば、デイミオンは死んでいてもおかしくない。本当に、そんなことをするつもりだったんだろうか?


 信じられない、信じたくない、とも思うが、同時にフィルならやりかねないという確信もあった。いざリアナの生命がかかった場面となると、自分自身の生死さえ問わないような男だ。そして、デイミオンとはけして仲のよい兄弟とは言えない。


(デイミオンは、いまごろわたしを奪還しようとしているはずだわ)

 そう考えると、危機感がいや増した。夫は為政者として、たいていの事態には冷静を保っているが、妻のこととなると弟同様、楽観視できない。

 この二人が衝突したときのことを思うと、デーグルモール化のことよりも、よほど恐ろしいくらいだった。


「どうするつもりなの、あんなに大勢に囲まれて……。いくらあなたでも、逃げられないわよ」

「投降しますよ」腕組みをしたまま、フィルはあっさりと言った。「夜が明けたらね」


「投降するですって?」

 それこそ、まったく意味がわからない。

 城から王配を攫ってきておいて、おそらくは兵士たちにも負傷を出して、こんな市街の真ん中に立てこもって。

 フィルバート一人ならこの包囲網を逃げきれるかもしれないが、リアナを連れてこの先は難しいだろう。だからといって、そんなことは最初からわかりきっていたはずだ。それを――投降する?


「じゃあいったいどうして、わたしを攫ってきたの? 最初から投降するつもりなら、そんな危険をおかす必要があった?」

「ええ。その必要がありました」フィルは決然と言った。


「投降して、それで? 無事に済むとは思ってないでしょう? 竜王に剣を向けて、王配を拉致して、ただで済むはずがない。いくらあなたがデイの兄弟でも、罪に問わなければ五公十家へのしめしもつかないのよ。それくらいの理屈もわからないの?!」


「俺は、しなければならないことはやり遂げる男です。なにが障害となっても」

「だから、なにを……」リアナは尋ねかけて、首を振った。「あなたの悪いところよ、フィル。まわりに何も話さずに独断で行動するのはやめて。そばで見ている身にもなって」


 それでもかたくなな様子の横顔に、リアナは手をのばした。こういう接触で防衛を解いてくれるほどたやすい男ではないが、少なくとも顔をこちらに向けることはできる。


「俺が怖くないんですか?」

 フィルは唐突に、そう言った。「デイミオンのもとから、あなたを奪ってきた。王城にはもう帰れない。……自暴自棄になって、どんな非道なことをあなたにするか知れない」

「非道なことって?」

「無理心中とか」


 リアナは、その可能性について考えてみるまでもなかった。考えを読ませない男だが、これでも十年も一緒にいる。それに、夫のデイミオンとすら分かちあっていないほどの危機を、二人で乗り越えたことだってある。

 それなのに、なぜかこの男は、リアナの信頼をためすようなことを訊くのだ。


「もしそれがフィルの目的なら、わざわざわたしを怖がらせるようなことは言わないわ。あなたは自分勝手だから、痛くないように怖くないように殺すんじゃないかしら」

 フィルは片眉をあげ、なぜか面白そうな顔になった。自分の顎にかけられたリアナの指をつかみ、淫靡なしぐさで唇を寄せる。「ひどい言い草だな。俺はこんなにあなたに尽くしてるのに」

「あなたが自分から色恋っぽい言葉を持ち出すときは、なにか気をらしたいことがあるんだわ」リアナは指を引き抜いた。「……ごまかさないで。ちゃんと話して、フィル」


 色気のある行動はやはり見せかけなのか、フィルバートはすっと身を引いた。また窓のほうへ近づく。「話しますよ。少しずつね」


 そして、窓の外へ目を向けたまま、甘さのかけらもない低い声で告げた。

「あなたの安全は保証します。無事にデイのもとに返すから……今日この夜は、俺と一緒に過ごしてください」

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