第43話 そのころの掬星《きくせい》城

 ヴェスランの屋敷から戻ったテオたちを、デイミオンは執務室で迎えた。


 どれでもいいから黒竜を駆って、みずから妻を救出に行きたい、なんなら町のひとつくらい焼き滅ぼしたい、と顔に書いてある。さすがに口には出さなかったが、黒い長衣ルクヴァ姿でうろうろと歩きまわる様子が威圧的だ。


「……と、このような次第です。結論として、フィルバート卿はリアナ陛下を、ヴェスランの私邸にかくまっているものと考えております」テオが堅苦しく報告し、そして付けくわえた。

「――それから、陛下。先ほどのぶしつけな発言をおわびします」


 探索に出る直前、このハートレスの兵士は『あんたがた、ほんとに、お互いのこと知らないんすね』と言ったのだった。王配を拉致したフィルバートはともかく、国王に対する発言としては、かなり失礼な部類になる。そのことを詫びているのだ。


「ああ。……いや、気にするな。私も頭に血が上っていた」

 デイミオンは言葉どおりに軽く手を振った。

「おまえの言うことが正しい。やつが本気でリアナを連れ去れば、誰も追いつけまい。そうせずに、ヴェスランという商人の家に立てこもっているのは、彼女の身体のためだろう」

 声の調子がいくらかやわらいでいるのは、ひとまず彼女の行方がわかったおかげだろう。

「ともあれ、事実上リアナが人質となっている以上、状況はかなり厳しい。たとえあいつが絶対に妻を傷つけないとしても、彼女の身の安全を駆け引きに使うのは避けたい。どうしたものか……」


「正攻法では、被害が大きくなりすぎます。フィルバート卿を説得するのが得策では?」と、テオは提案する。日和見なわけではなく、もっとも現実的な策のつもりだった。国王自身とて、執務室にこれだけの人数しか集めていないということは、なるべく事を大きくせずに収めたいと思っているはずである。


「くそっ。そもそも、あいつの目的はなんなんだ?」そのデイミオンが苦くつぶやいた。「リアナをさらって、なにがしたい?」


「テオバール隊長」

 ハダルクではない、竜騎手団の年長者の一人がそう尋ねた。

「貴殿は、戦時中からフィルバート卿の右腕をつとめ、彼の心情にも詳しい。なにか――卿の動機について、考えはあるか?」


 テオはしばらく考える様子を見せたが、ためらいがちに切りだした。

「あの、まさかとは思いますけど、駆け落ちってことはないんすかね?」


 その爆弾発言に一瞬、執務室内の空気が凍りついたかと思われた。


「なんだと!?」デイミオンは雷がとどろくような声を出した。文官どころかライダーたちまでも、恐怖に一歩後ずさるほどの剣幕だ。

「テ、テオバール隊長。いきなりなにを慮外りょがいなことを……」年長のライダーがかろうじて取りなそうとした。


「いや、すみません。ただ、それだと一応、連隊長――いや、フィルバート卿の動機に説明がつくんですが。逆に言うと、それ以外だと想像がつかないというか」

「どういう意味だ」

「ええっと、つまるところ、俺たちは剣なわけで……」

 テオは頭を掻きながら言った。

「あの人は結局、リアナ陛下の身の安全を犠牲にはできないし、彼女が望まないことはできないんですよ。とすると、陛下ご自身の頼みなのかなって」


「リアナ自身の頼み!? そんなはずがあるか」

 デイミオンは一蹴いっしゅうした。だが、テオのセリフにはどこか引っかかるところがあった。

 屋敷を包囲するための人員配置を指示しながらも、デイミオンはまだそのことについて考え続けていた。


 ♢♦♢


 なにもかも放りだしてリアナの奪還だけに集中したいのはやまやまだが、仕事は山積していた。国王としての政務だけではない。例の、リアナを狙って攻撃してきた貴族家の調査報告を受け、デイミオンにはどうしてもやっておかねばならないことがあるのだった。

 対応する相手が弟一人ではない分、こちらのほうがより気が重い。


 いつもは五公会が開かれる部屋に、デイミオンは足を踏み入れた。衛兵がぴしりと動きを揃えて扉を開ける。王の間と比べると狭く、しかし豪奢で、王に並ぶ権限を持つオンブリアの五公たちにふさわしい場所だ。

 とはいえ今日、この場に五公たちが集められているわけではない。

 デイミオンの命で召集されたのは、五公の一人で彼の叔母でもあるグウィナ卿。そして、王都警備隊の隊長と、モーガン隊員がその場に顔をそろえていた。


「これはどういう召集なの、デイミオン? 緊急と聞いて来たけれど」

 グウィナが固い声で尋ねた。ふだんなら、きちんと臣下の礼を取ってみせるはずで、そこに彼女の不安が現れているようだった。

「……」

 デイミオンはすぐには答えず、円卓を囲む椅子のひとつに腰を下ろした。そして、「メーセデス隊長。報告を」と命じた。


「本日正午過ぎ、ジェンナイル・カールゼンデン卿の屋敷を出た上王陛下が、貴族の私兵と思われる集団に襲撃されました」

「襲撃――!?」グウィナは思わず中腰になって、叫んだ。「上王陛下が!? いったいどういうことなの」

 警備隊長のメーセデスは、見た目には帳簿でもつけているほうが似合いそうなひょろりとした文官タイプだが、荒くれものぞろいの警備隊を束ねるだけあって相応の切れ者でもあった。グウィナの剣幕にうろたえることなく、淡々と事件のあらましを説明する。

 燃えあがる炎のような赤毛がいかにも黒竜のライダーらしいグウィナは、リアナが襲われたくだりでは口もとをおさえ、フィルバートの活躍に安堵し、そしてリアナがそのフィルにさらわれたと聞いて絶句した。


「なんていうこと。フィル、あの子がそんなことをするなんて……」

「お身内からしますと、ショックを受けられて当然です」と、隊長。

「――なにか理由があるはずだわ。デイ、そうでしょう? フィルは誤解されやすい子だけど、リアナ陛下を傷つけるような真似は絶対にしないわ……」


「そう信じていますがね」

 デイミオンは短く答えながらも、さりげなく叔母の様子を観察している。フィルバートの行動にしか意識が向いていないらしい彼女のそぶりから、やはり本当に初耳らしい、と結論づけた。


 彼女は、本来ならすでに知らされているはずの事件を、知らされていないのだ。知らせるべき者の怠慢、あるいはによって。


「白昼堂々、上王陛下を狙えるだけの兵力を確保するだけでもかなりの財力が必要です」

 警備隊長が示した紙には、闇オークションにかかわりのあったいくつかの貴族の名が記されていた。

 デイミオンがあとを続けた。

「ここに名前の挙がった家に、資金提供をしていた者がいる。金の流れは警備隊では追えないので、竜騎手団が当たった」

 そこで、グウィナが赤毛の頭をさっと振り向けた。甥が言おうとしていることに、なんらかの不吉な予感を覚えているような顔つきだった。


「複数の貴族家が、あなたの元夫、ゲーリー卿を名乗る者からの資金を受けていた」

「ゲーリーが!? まさか……」グウィナは弱々しく首を振る。

「あの人は、蘭の栽培以外にほとんど、家族にも、領地のことすら興味を持たない人なのよ。こんな大それた犯罪に手を染めるなんて、考えられないわ」


「そうだな」デイミオンは静かに首肯した。

「ゲーリー卿は竜騎手団が取り調べているが……私とハダルク卿も、あなたと同じ意見だ」

「――ハダルクはどこ?」

 グウィナはたった今、おそろしいことに気がついたように、乾いた声で尋ねた。


 デイミオンは、またも答えなかった。叔母の目にゆるゆると絶望が満ちてくるのを見たくなくて目をそらし、代わりに、冷徹な声で言った。

「結論を言おう。ゲーリー卿の名を使い、彼らの活動を資金面で援助していたうちの一人は、あなたの息子のナイメリオンだ。グウィナ卿、あなたが関与しているとは思わないが――」


 がたっと立ちあがった叔母を、デイミオンが押しとどめた。「〈呼ばい〉を送っても無駄だ、叔母上。ハダルク卿がすでにあなたの家で、王太子ナイメリオンを確保している」

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