第41話 その屋敷の奥に

 王国第二十一連隊。すべて〈ハートレス〉だけで構成され、フィルバートが連隊長をつとめた特殊部隊は、過酷な戦地に追いやられながらも多くの軍功を成し遂げ、その代償として隊員の多くをうしなった。

 オンブリアの世相は当時とは違う。強大な竜の力を操るライダーたちの脆弱性をおぎなう存在として、ハートレスたちも見直されるようになってきた。

 今では、新しい部隊の長はフィルに代わり、テオがつとめる。当時、補給隊員として頼もしいはたらきを見せていたヴェスランは軍を引退し、王都の商人として成功していた。



 ヴェスランの屋敷は、趣味の良い調度品が配置された瀟洒しょうしゃな邸宅だった。それでも、どこか寒々しい印象があるのは、使用人の数がごく少ないせいかもしれない。それについてハダルクが尋ねると、商人は薄く笑った。

「身のまわりのことをやるのは軍隊生活で慣れていますし、男やもめは気楽でしてね」

「なるほど」

 相づちを返しながらも、内心で疑うのは避けられない。

(ここなら、フィルバート卿がリアナ陛下をかくまうには、十分すぎるほどだ)

 ハダルクはそう思っていた。

「あなたは以前にも、フィルバート卿の計画をお手伝いされたと聞きました」

「腐れ縁といいますか。戦場では何度も窮地を救われましたからね、やむなくですよ」


「このおっさん、『れ谷の野ネズミ』なんて言われてたんですよ」

 二人の会話に、テオが割って入った。「そりゃあ口八丁手八丁で。あの戦場のなか、食料も武器もどこからか調達してくるもんだから、不思議でしたよ」

「野ネズミは今じゃ、おまえたちのほうだろうがな。しょっちゅう当邸うちにメシをたかりに来て」


 二人のやり取りに、ハダルクはどうも微笑ましくなった。フィルバートとテオのあいだには、はた目にも同世代らしい気やすさがある。ケヴァンやミヤミは弟、妹格と言ったところか。一方でヴェスランはハダルクと同世代、父親に近い年齢だ。戦場の過酷さを考えても、疑似家族めいたつながりが生まれて不思議ではない。

 ハートレスたちの行動原理は、フィルバートのそれと重なる。

 自分の命を犠牲にしても主君に仕える献身。

 だが社会とのつながりを持ちづらかったせいなのか、目的のためなら手段を選ばないというか、社会規範や法を軽視するような一面もある。


 目の前のこの男はどうなのだろうか、とハダルクはヴェスランを観察した。


 ハダルクの思惑を知ってか知らずか、ヴェスランは協力的だった。二人の兵士には自由に邸内を探す許可をあたえ、みずからはテオとハダルクを案内してまわった。だが、中庭に面した二階のある部屋の前に来ると、ためらう様子を見せた。


「どうかしましたか? ヴェスラン殿」

 ハダルクは、さっと主人の顔に目を走らせる。年月が額や頬に皺を刻んでいたが、竜族の男らしく整った顔だちだ。

「あ、いえ……」ヴェスランはためらってから、口端をあげてみせた。

「お入りになってかまわないのですが、ここの部屋のものは、あまり動かしてほしくないのです」

「なぜ?」

「ここは、亡き妻の部屋でして。恥ずかしながら、まだ片付けられないでおりますもので」

「奥方の――」亡妻と聞いて、ハダルクの顔に痛みがよぎった。「それは失礼を」

「いえ」ヴェスランは慌てたように手をふった。

「時代もありましたから、つがいの誓いは立てておりませんで、妻と呼ぶのは正しくないのですが」

 『〈ハートレス〉の妻になってほしい』と愛する女性にうのは、はばかられる時代もあったのだ。ライダーであるハダルクは、立場は違えど結婚のことで苦しめられた点では近いものがあるので、そのあたりの機微きびはよく理解できた。


「カミラが亡くなってずいぶん経つな」

 テオが、元同僚へのいたわりを込めて肩をたたいた。「のぞかせてもらうだけだ、ヴェス。中のものは触らないように気をつけるよ」

「ありがたい」

 二人は、ヴェスランが開けた扉から中へ入った。


ほこりっぽくてすみません」

 ヴェスランがそう断る通り、部屋の中は掃除の手が入った様子もなく、片付いているのに家具の上などにうっすらと埃をかぶっていた。日当たりの良い部屋なので、よけいに目立つ。


(部屋の主がいなくなってずいぶん経つのだな)とハダルクは思った。化粧台の上の香水ビンや、書き物机のレターセットに亡き女性の面影がある。

(たとえ元上官をかくまうにしても、これほど大切な場所を提供したりはしないだろう)

 そう考えたハダルクは、寝室の扉に手をかけようとしているテオに、思わず呼びかける。

「よろしい。もう十分でしょう」

「寝室は?」

 ハダルクは近くまで寄っていって、ドアノブにも埃が付着していることを確認した。間違いなく、数日はここに入っていないはずだ。


「いえ、結構です。……ご主人、大切な場所に土足で失礼しました」

「いえいえ」ヴェスランは苦笑してみせた。「男やもめというのは、情けないものですね。未練がましくていけない」


 ハダルクは、指揮を執るテオをうながし、丁重に屋敷を辞した。


 ♢♦♢


「寝室まで調べさせなくて、すまなかったな」

 帰り道で、ハダルクはテオに声をかけた。「私も妻がいるもので、つい感傷的になって」

 残り二人のハートレス、ライダーを連れて、城に戻るところである。近場でもあったので、目立たぬよう全員が徒歩で移動していた。


「いえ、これでいいんすよ」テオがなにげなく言った。

 そして、驚くような言葉を続けた。

「おかげで、連隊長とリアナ陛下があの屋敷にいることがわかったんで。結果オーライです」


「えっ」ハダルクはぎょっとした。「なんだって?」

 テオは飴色の目をハダルクに向けて、淡々と続けた。

「あの時間に、商売人のヴェスが屋敷にいる点からおかしいでしょう。……間違いなく、二人はあの部屋の奥ですね」

 隣にいた、別のハートレスの兵士もうなずく。こちらも、フィルバートのことはよくわかっているという風だった。


「だ、だが部屋には埃が」ハダルクは言いかけたが、テオは肩をすくめる。

「そりゃ、埃が積もるのには数刻かかりますけど、局所的に付着させる程度の細工はすぐできますよ。それに、連隊長はドアノブに触らないでドアを開けるくらいのことはします」


「なんてことだ。今すぐ屋敷に――」

 あわてて踵をかえすハダルクの腕を、テオがつかむ。

「やめてくださいよ。何のために黙って戻ってきたと思ってるんです。今なら、二人がどこにいるか把握した状態で作戦が立てられる。下手につついて、想像もつかないような場所に逃げられたら困るでしょうが」


「本当に、なんてことだ。自分が阿呆に思えるよ」ハダルクは大きく息をついてから、整った顔を手でこすった。「なんにせよ、陛下にご報告をしなければ。ナイル卿が〈呼ばい〉で確認すれば確定だ」

 それにしても、あまりにもあっけない。テオの観察力に舌を巻きつつも、ハダルクはどうにも、なにかを見落としているのではと思えてならなかった。


 ♢♦♢


 同時刻、ハダルクたちが帰ったあとの屋敷。

 みずから彼らを見送ったヴェスランは、従僕に仕事上の言づてを頼んでから、二階へと上がっていった。商売人風のにこやかな笑みはなりをひそめ、けわしい顔つきになっている。

 妻の部屋に入り、めだつ場所の埃をハタキでそっとぬぐった。

 そして、寝室へと続く扉をおもむろに開けた。


「あなたは、何度私を面倒に巻きこんだら気が済むんです? ……上官殿」ヴェスランは固い声を投げかけた。


 テオの予想通りといおうか。

 寝台の真ん中には、フィルバート・スターバウが座していた。片足を床につけ、右手にはナイフを持ち、左腕で上王リアナを抱えるようにして。

 ハシバミ色の目の片方が、窓からの陽光で明るい緑に見える。ゆるぎない意志に満ちたまなざしが、今のヴェスランには無性に腹立たしかった。

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